いつまで、ゲームクリエイターであり続けるか
喜多山氏:
まだ私のメモに残っているんですけど、近藤さんに生涯現役でクリエイター、 シナリオライター続けてほしいんですよ。
近藤氏:
どれぐらい続けるかまでは、わからないですね。
喜多山氏:
「何歳までやりますか」という質問になっております。
近藤氏:
でも、60歳までは間違いなくやります。
喜多山氏:
おっ!いいじゃないですか。
近藤氏:
いま48歳だから、あと12年。
12年って、多分あっという間だと思うんですよ。
喜多山氏:
12本は出るわけですね!
近藤氏:
なんで年間1本のペースなんですか(笑)
もうちょっと落とさせてください。
喜多山氏:
じゃあ2年だとして、6本は出るわけですね。
近藤氏:
……もう6本しか作れないんですね……。
喜多山氏:
確かに6本って考えたら、「もっと見たいです」って話になりますもんね。
近藤氏:
今まで作ってきた数を考えれば全然少ないですからね。
30本以上やってるはずなんで。
喜多山氏:
6本は寂しいと思いますよ。
近藤氏:
もっと小さいものも作ってみたいですけどね。
そういう意味じゃ、RPGのドカッとしたものが大きいので、もっとサクッと遊べる『イース』でもいいんじゃないかと。
喜多山氏:
RPG以外のジャンルにも興味あるんですか。
近藤氏:
シミュレーションRPGとか僕は苦手だと思うんです。
プレイするのも苦手なので、やってみたいとすればアクションですかね。
喜多山氏:
どういうアクションですか。
近藤氏:
そんなの、まだわかんないですよ。
でも『イース』は割と爽快感のあるサクサク系なので、別のアクションをやってみたいというのはあります。
だいたい新しいこと考えるのって、追い込みの時期ですよ。
現実逃避して今の『イースX』の内容も『イースIX』の追い込みの時に思いついた内容ですけど。
喜多山氏:
辛くなってくると違うことを考え始めるんですよね。
近藤氏:
そうなんです。全然別のストーリーを書き始めたりとか。
喜多山氏:
でもそれがまた次の仕事につながったりするんですよね。
近藤氏:
なります。
喜多山氏:
終わりがないんですよね。
“ゲームを作り続ける場”をファルコムにつくりたい
TAITAI:
そろそろ、最後の質問に移らせていただきます。
喜多山氏:
近藤さんの浪漫を語っていただきたいんです。
近藤氏:
浪漫か……。
自分自身がゲームを作り続けるのももちろん夢としてあったんですけど、今は「ゲームを作り続ける場を作りたい」って思っています。
僕がゲームが好きな理由っていうのはゲームの持つ双方向性みたいなものがあるんですよ。
ゲームには、小説とか映画では実現できない部分があって、自分が世界に入り込んで自分ならではの軌跡をたどり、エンディングに辿り着くというものがあります。
そこで得られた体験というのは、ゲームのタイトルによっては一生忘れられないものになると信じています。
その現象を僕らはゲームの黎明期から見てきて、ゲームの基礎から見てきているのでゲーム全体を見ることができる。
今の若い人たちっていうのはゲームが大きなビジネスになってしまっていて、ゲームそのものも大きくなったのでいきなり「全体を見なさい」と言われても、そういう機会が与えられることもない。
「どうやったらその全体を見れるようなとこに辿り着くの?」というスキームってハッキリとはまだないじゃないですか。
自分たちがやってきたことを次世代へ繋いでいくためにも、そういうことを知れる場をファルコムの中で実現したいなという浪漫があります。
そういう意味では、人を育てたいです。
人のことは今まではどうでもよかったんですけど、最近になって初めて思いはじめて……自分がゲーム作れるってのが良かったんですけど。
喜多山氏:
48歳にして、人を育てたいと。
近藤氏:
そうですね。
喜多山氏:
自分がいなくなったら『イース』シリーズが終わるみたいなのは嫌ですよね。
近藤氏:
まあ終わってもいいんですけど。
喜多山氏:
いいんだ(笑)
近藤氏:
僕は、先輩から引き継いできたものが多いんですよ。
僕が終わる時になってやっぱりまだ支持を受けているようであれば、誰か「やりたい」と言える人間がいれば引き継いでほしいし。
別に、『イース』じゃなくてもいいんですよ。
僕らが作ったゲームをプレイしてくれて「あ、自分もこういうものが作りたい」とか、そういうふうに思ってくれたモノでいいんです。
でも、なかなかそういう場がやっぱりなくなってきているので、どうしたらそれができるのかなって思います。
多分、どこのメーカーさんも一生懸命考えているところだとは思うんですけど、コンシューマーゲームのゲームってやっぱコンシューマーゲームにしかない魅力があると思います。
ソーシャルゲームにもないし、それはオンラインゲームにもない。
それで育った人間としては、その文化を絶やしたくないですよね。
コンシューマーはまだまだよくなる余地もあって、この前、日本では廃れてきちゃったものが電ファミのHoYoverseさんとの対談であったように、中国の方に拾ってもらって「いや まだまだいけるでしょ!」って。
喜多山氏:
コマンドRPGの記事ですね。
近藤氏:
そうですね、はい。
喜多山氏:
その話になってくると、いま、人を育てる側のものの話でしたけど「いやいや、まだコマンドRPGやれるぜ」っていう。別の浪漫が出てきましたね。
近藤氏:
それはまた別の話になりますけど、やってくれる人がいてもいいと思うんですよね。
割と若い人でも昔のクラシックなゲームをやってる人ってチラホラいて、「何がいいの」と聞くと、僕らがその当時「いいな」と思ってたことを言うんですよ。
だから、根源的なゲームの面白さってのは不変だと思うんです。
喜多山氏:
そうなんですよね。
近藤氏:
そこが日本国内で断絶してしまうのは怖いです。
喜多山氏:
なんかバッサリ「古い」とかっていう言葉で片付けていい話ではないと思うんですよね。
近藤氏:
「古い」って言われた時点で皆が諦めちゃってちゃんと作らなくなった。
そして、魅力がなくなった。それを「古い」って言ってるんだと思うんですよ。
それを古いと一括りにしたくないですよね。
喜多山氏:
そうですよ、だからレトロゲームとかでも未だに遊んでも面白いじゃないですか。
普遍的な面白さがあるわけです。
近藤氏:
映画もすりきれそうなフィルムで昔のものを見ても、面白いものは面白いじゃないですか。
喜多山氏:
そうなんですよね。だから「古い」っていう片付け方はちょっとね。
近藤氏:
悪意を感じますよね、諦めちゃってる部分もあるでしょうし。
喜多山氏:
いや、まだまだ行けますよっていう部分もありますよね。
近藤氏:
でも、一時期流行ったものがパッと廃れて、時代を経て形を変えて出てくると「やっぱり面白い」ってなるじゃないですか。
ゲームも、もう何十年も続いているとそうなりますし、ファッションも曲もそうだったりして。
喜多山氏:
一周回ってみたいな話が、全然あると思うので。
近藤氏:
そうなんですよ。
それも、途絶えてしまうと回らなくなってしまうので、循環させていきたいです。
だから、ファルコムって自分がゲームを作る場だったんですけど、それだけじゃなくってゲームを作りたい人がゲームを作る場であってほしいなって思いますよね。
それをやり続けるには、一定のクオリティが必要だったり、いろんなものが要るじゃないですか。
そういうところから、きちんと捉えてもらって羽ばたいていける場になると一番嬉しいですよね。
それが自分なりの浪漫かもしれないですね。
喜多山氏:
今日はどうもありがとうございました。
近藤氏:
ありがとうございました。