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「インディーやるなら一番大事なのは貯金額」「お金を貯めること=自由にゲームを作れる時間を買うこと」──『くまのレストラン』『メグとばけもの』のDaigoが語る“心が折れないゲーム作り”とは

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「ゲーム市場のフロンティアだ」と言われたインディーゲームも今は昔。

Steamでの年間発表タイトル数は1万を超え、また過去の名作がどんどんとセールで安く売られるという、苛烈なレッドオーシャン状態にあるインディーゲームというジャンルの中で、いったいどうやって戦っていけばいいのだろうか?

「インディーゲームをやるなら、一番大事なのは貯金額だと思うんです」
──そう語るのは、高評価2DドットRPG作品『くまのレストラン』『メグとばけもの』などで知られるOdencatのDaigo氏だ。

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『くまのレストラン』
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『メグとばけもの』

スクウェア・エニックスやDeNAといった大手メーカーで働いていた同氏は、モバイルゲームバブルの崩壊を機にインディーゲーム制作者に転身。昨今のインディーゲームブームの黎明期から長年の活動を続け、一定の成功を収めた人物だ。

しかし話を聞いていくと、その成功の裏には決して順風満帆とは言えない“泥臭さ”があった。

年収2000万円クラスの転職を捨て、貯金を切り崩してゲームを作り続けた。「ホームランは打てない」と割り切り、“心が折れない”ように、小さなゲームを完成させては月数万円の収入を積み上げていった。どうして彼は、そこまでして「インディーゲームを作って生きていく」という選択肢を選んだのだろうか?

というわけで、今回電ファミニコゲーマーでは、そんなDaigo氏を招聘し、インディーゲーム制作にまつわるぶっちゃけ話をしてもらうことにした。聞き手として声をかけたのは、先日のヨコオタロウ氏との対談でも話題になった塩川洋介氏だ。

というのも、塩川氏自身がまさにこれからインディーゲームに乗り出すにあたって、「教えを乞いたい」立場であることに加え、実はDaigo氏と塩川氏は、スクウェア・エニックス時代の同僚で知り合いという間柄でもある。

インディーゲームというジャンルに先駆けて飛び込み、苦労を重ねながら今に至るDaigo氏と、商業での経験を経て、40歳半ばにして心機一転インディーゲームへの挑戦を試みる塩川氏。この二人ならば、より踏み込んだ議論が出来るのではないか?──そう考えたわけだ。

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塩川洋介氏のスタジオ「ファーレンハイト213」が手掛けた『マーダーミステリーパラドクス』
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塩川洋介氏のスタジオ「ファーレンハイト213」が開発中の『つるぎ姫』

かくして、約10年ぶりの再会を果たした両氏なわけだが、その会話から見えてきたのは、インディーゲーム制作にまつわるTipsやノウハウ……ということではなく、むしろ「生きかた」や「人生の価値観」に近いものであった。

インディーでやるとはどういうことなのか? そして「ゲームを作って生きていく」とは?

悩める二人のやりとりを、ぜひご一読いただきたい。

聞き手/TAITAI
編集/実存
撮影/佐々木秀二


スクウェア・エニックス時代から、自分でゲームを作り始めるまで

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──まずは元々のお二人の関係からお伺いできればと思います。

塩川氏:
スクウェア・エニックス(以下、スクエニ)時代の同僚ですね。Daigoさんはどれくらいいらっしゃったんでしたっけ?

Daigo氏:
10カ月くらいですね(苦笑)。当時、僕は20代後半ぐらいで若気の至りもあって、全然部署とか関係ない人に挨拶しに行ったり、お話を聞きに行ったりしていたんです。そこで、塩川さんをご紹介いただいてお会いしたのが初めてですね。今でも覚えていますよ。

──そもそもDaigoさんは、なぜスクエニに入社したんですか?

Daigo氏:
もともとActivisionにいて『ギターヒーロー』というゲームを作ってたんですけど、ギターのゲームを作りたかったわけじゃないんですよ。そんな時にボストンの就活フェスみたいな場所にスクエニさんが出展していて、応募したら通っちゃって。

「あ、日本に帰るか……」って感じで日本に戻りました。みんな「頑張って来いよ!」って快く送り出してくれましたね。そこから10カ月でやめちゃうのはまた別のお話なんですが……(笑)。

──自分のやりたいことを求めて転職した感じなのでしょうか?

Daigo氏:
そうですね。昔から自分で作りたいゲームを作り続けている、という背景もありまして。

中学の頃から『ツクール』シリーズでゲームを作っていて、確か高1の頃だったかな。『息子よ。這い上がれ。』という自分が作ったゲームが『ツクール』のコンテストで受賞して、「期待のスーパークリエイター」みたいな感じで新聞にも載ったんですよ。大学に入ってからも自作RPGをつくっていました。

なんやかんやあり、アメリカのゲーム会社に就職してちょうどActivisionにいた頃にiPhoneが出てきたんですよ。「これでゲームを出せるかも」と裏でコソコソとやっていたんですが、とても商用で出せるものは作れなかった。「いつか自分だけのゲームを作りたいな」という燻る気持ちはありつつも、会社という枠組みの中で働いていたので、その頃は「自分がインディーだ」という認識はありませんでしたね。

それこそスクエニにいた時も、各部署を駆け回って企画を投げては苦い顔をされるという感じで。今思えば鋭い指摘も貰えてありがたかったんですが、「ま、ダメなんだなぁ……」って(笑)。

塩川氏:
スクエニを退社された後は何をされてたんですか?

Daigo氏:
退社する前の話からしましょうか。ちょうどその頃、『怪盗ロワイヤル』とか『探検ドリランド』とか、モバイルゲームが盛り上がっていたんですよ。それを見て「あの規模のゲームでも凄いことができる」と思うようになった。なんですけど、日本国内だけのビジネスになることは明白でしたし、そもそもガラケーにも興味がなかった。

その後に『FF14』が仕切りなおす大事件が起きて、その直後に東日本大震災が来たじゃないですか。スクエニのビルがめちゃくちゃ揺れたのを今でも憶えてます。

当時、自分はプログラマーだったので、大量の技術的負債がある中で「大変だけど面白くない仕事」をやらないといけない。自分の「スマートフォンゲームを作りたい」という思いもあって、モバイルの部署に行きたかったんですが、当時のスクエニはモバイル分野で出遅れていたんですよ。

そんな時に元スクエニにいたDeNAの方と縁ができて、トコトコと昼休みに面接を受けに行ったら受かっちゃって。「スマートフォン・海外」という自分の興味があることに惹かれてDeNAに転職したんですね。半年間ベトナムに行ったり、サンフランシスコに行ったり、スウェーデンに行ったりとそんな感じで。

塩川氏:
当時はDeNAさんのMobageの勢いが一番すごかったときですよね。

Daigo氏:
そうですね。で、その時にはすでにスマートフォン部署みたいなのを始めていて。最初に作ったのは『忍者ロワイヤル』ですね。そこには5年ほどいたんですが、僕に続いて元スクエニの人が続々と入ってきて、本当に時代が動いているという感触があって、あの場所にいられたのは良かったなと思いますね。

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塩川氏:
まさしく時代の最前線ですね。あのときのモバイルゲーム業界のうねりはすごかった。

Daigo氏:
ただそれも長くは続かず、アメリカ・サンフランシスコのDeNAに赴任した後しばらくして、「スタジオが閉鎖します」と通達が来ちゃって。日本に戻るか、このままアメリカに残るかという選択を突きつけられた時、アメリカに残ることにしました。「ここでインディーゲームを作らなきゃ一生作らないな、いい踏ん切り時だな」と思って独立しました。

とはいえ実のところ、そこまでの強い覚悟があったわけでもなくて、時々ゆらぎそうにもなりました。ときどき就職活動もしていて、アメリカの会社からオファーをもらったりもしたんです。アメリカの会社って給料すごいんで「おぉ……」みたいにはなりつつも、どこか引っかかる部分があって断っちゃう。そんなことを3カ月に1回くらい繰り返してました。

ところで、塩川さんはどうして辞めて独立なされたんですか?

塩川氏:
そうですね。『FGO』というタイトルを長くやらせていただいて、そこで信じられないような経験をさせてもらったんですよ。さまざまな問題が起こっている状態からスタートして、気づけば日本一になって、気づけば世界一になって。そこからさらにアーケードを作ったり、VRを作ったり、「『FGO』の可能性を広げること」にもいろいろ挑戦させてもらいました。一方で、「自分でオリジナルゲームを作りたい」という気持ちも、Daigoさんと同じで徐々に強く感じていくようになったというか。

Daigo氏:
これ、お互いのことをもっと知りたいですね。収拾がつかなくなりそうですけど(笑)。

塩川氏:
そんな時、ディライトワークスのゲーム事業部が売却されることになりまして。残ることももちろん考えましたけど、別の選択肢もあるなと。Daigoさんと同じで転職も考えたりもしました。ただ、この先やりたいことを考えると「残るか、独立するか」のほぼ2択でした。

Daigo氏:
そりゃそうですよね。あのポジションにいたんだから。

塩川氏:
最終的には「やっぱり自分でオリジナルゲームを作りたい」と思って独立を選んだという感じですね。

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「インディーでやると決めたなら、一番大事なのは貯金額」

Daigo氏:
これ、みんな話さないことなんですけど、インディーでやると決めたなら一番大事なのは「貯金額」だと思うんです。
というのも結局、最初のゲームを完成させて売るまでには、少なくともその間をしのげるだけのお金が絶対に必要だからです。

インディー開発者の成功談とかいろいろ聞きますけど、僕がまず聞きたいのは「いったい始める時にどれだけの貯金があったんですか?」ということです。そこがわからないとフェアじゃないから、公開してほしい(笑)。
人によっては結婚していて、奥さんが稼いでるパターンもあったりするわけで、そうした経済状況で踏ん切りの重さって変わってくるじゃないですか。

自分の場合は「お金を貯める」ことは「自由にゲームを作れる時間を買う」ことだと思っているし、アメリカで働いていたというのもあってそれなりの貯金はあったんだけど、塩川さんはどうだったのかなと気になっています。

塩川氏:
私の場合は、ざっくり言えば「完全に無収入だったら1年でアウトだろうな」ぐらいでした。ですから、不安がなかったわけではないです。

「独立しよう」と実際に考え始めたのも独立の半年前くらいからだし、それ以前には「いつか自分でゲームを作るためにお金を貯めておこう」みたいな意識もなかった。いざ独立を意識し始めてから「どれくらいのことができるのか」というシミュレーションをした結果、出来て1年程度だろうと。

最初からどなたかに投資をしてもらうとか、株を売却するみたいなことも考えていませんでした。100%自己資金で、「ダメだったら終わりにしよう」くらいの心意気でしたね。

Daigo氏:
投資を受けるのはあまり乗り気になれないのもあって、僕も100%自己資金ですね。けど、最近の業界の流れを見ていると、インディープロジェクトへの出資がけっこう多くなってきたじゃないですか。決して否定はしないですし、海外の動向を見ても、インディーにお金が回り始めているのは良いことだと思う。

ただ、個人的にはけっこう違和感があって。
「結果を出せるのなら、あらゆる手段を使えばいい」とは思うんですけど、いきなり“最強の剣”を手に入れた状態で始めると、本来であればゼロから学べたはずのいろいろなプロセスを飛ばすことになるじゃないですか。

塩川さんみたいに「ゲームの作り方を知っている人」であればいいんだけど、ゲーム業界に行ったこともない人が、いきなりお金をポンと渡されて「これで好きにやりなよ」みたいなのは、やっぱりちょっと違うんじゃないかって。最初からそういう作り方になってしまうと、「少ない予算でやりくりしよう」みたいな発想も生まれてこないですし。

自分も最初から資金があったらドット絵じゃなくて、いきなり3Dゲームが作れたかもしれない。けど、そうすると、今の自分がやっている作り方は成立しなかったと思うんです。
そういう意味では、僕が感じるのは「違和感」というよりも「危機感」なのかもしれません。もし上手くいかない理由があるとしたら、そういうところなのかなと思っています。

塩川氏:
私もDaigoさんと同じような感想を抱くところはあります。
今、自分の会社に一応オフィスはあるんですけど、築50年ぐらいのマンションの1室なんですよ。今対談している会議室と同じくらい……いや、こんなに広くないか。ちょっと盛りました(笑)。

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「ファーレンハイト213」公式サイトのメッセージ

Daigo氏:
もう絵に描いたようなインディーの園というか、スタートアップの拠点ですね(笑)。

塩川氏:
さまざまなプロジェクトを長年やってきた経験からすると、お金ってあっという間に消えていくんですよ。生きているだけでも、お金は本当にガンガン減っていく。

だから、自分は可能な限りゲーム作りにお金を使いたいと思ったんです。会社の利益も、基本的にはゲームを作ることに回していきたいなと。
私自身が物欲がないほうなので、オフィスやモノにあまりお金をかけようと思わないことのほうが大きいかもしれませんが。

Daigo氏:
僕はお金のない状況を楽しむ方なので、最近すごく思うのが「開発資金が少なくて良かったな」ということなんです。いきなり100億円みたいな貯蓄がある状態で人生がスタートしたら、何かクリエイティブなこととか、ビジネスを始める気力って起きないだろうなって。

日本ってほかの国と比べても、国がゲームに全然お金を出さないし支援も少ない国ですよね。3年前ぐらいにデンマークへ1ヶ月、留学というかそんな感じで行ってきたんですけど、他の国のクリエイターからは自国からの支援が手厚いという話をよく聞きました。羨ましいと思いつつ、一方でそんなに支援してもらっている割には、そこまでいいものを作れているのかな? とも思ったりする。国からの支援がほぼないのに日本のクリエイターはよくやっているなと……。

だからこそ思うのは、お金って大事なんだけど、「クリエイターの強さ」ってお金から来ないのかな、ということです。ある種のハングリーさや狂気がないと作れないものがあるというのは時々思うし、とくに最近は自分の会社がちょっとうまく行っていることで、そうしたものが失われていないだろうか? と不安に思うことがあります。

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塩川氏:
私がディライトワークスに入社したときはまだ20人ぐらいしか社員がいなくて「席の後ろも通れないよ」みたいな狭いスペースにぎゅうぎゅう詰めになって仕事をしていました。
しかし、そこから『FGO』が大ヒットしたことで、会社に一定のお金がある状態になっていったんです。会社の規模も20人から400人ぐらいに急激に大きくなって。

「お金があれば、何でもできるじゃん」と思う方もいるかもしれませんが、まさにDaigoさんのお話にあったとおり「お金があってもできないこと」もたくさんあって。「些細なお金の消費が気にならなくなる」みたいな副作用もあるし、ハングリーさや狂気みたいな失われていくものもあるし。そうなってきた時に感覚が狂っていくんだろうなと思います。

これは「ゲーム作りにいい影響を与えないな」というのは感じていて。もちろんお金がないとゲーム自体は作れないんだけど、「お金があっても作れないものがある」という学びがありました。

Daigo氏:
そこなんですよ。逆にお金のない作り方をしていると、ある種いい意味で「ケチ」になって、無駄なことにお金を使わないので、ここぞというところに資金を投入できると思うんです。

なぜ年収2000万クラスの転職を捨ててまで、インディーゲームを作るのか?

──先ほど「会社にお金がある状態になった」とおっしゃられていましたけど、塩川さんはそこで金銭感覚は狂わなかったんですか?

塩川氏:
あくまで会社のお金であり私個人のお金ではないのですが、それでも「満たされている」という状態はすごくいろいろな感覚を鈍らせるんだな……と独立した今になって実感します。

独立してからは、当然ですけど満たされないことだらけなわけです。あれもないし、これもないし、明日をも知れないみたいな状態の中だからこそ、感覚が研ぎ澄まされていくな、という感覚があります。荒野で生きるライオンが「あ、いま数キロ先で一瞬シマウマの臭いがした気がする!探すぞ、ウワァァー!」みたいな感じで(笑)。

Daigoさんはこういう境地で何年もやられているわけですから、やっぱりすごいなと思います。

Daigo氏:
そう言われてみると、僕が独立してから最初の数年は、狂気に近いものがあったと思います。だって、基本的に1日のサイクルが「起きる。ゲームを作る。寝る」ですから。それしかないんです(笑)。

一同:
(笑)。

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『くまのレストラン』

Daigo氏:
最初の2年ぐらいはもう本当に、ずっと独りで引きこもって作っていました。
当時の知り合いもけっこうみんな日本に帰っちゃっていたので、寂しいのもキツかったですね。日本語で話す相手がいないから、どんどん口が回らなくなっちゃったりして。

それで2年ぐらいやって、ようやく『くまのレストラン』を出して。それが売れたので、日本に帰ることにしたんです。ここはもっとちゃんと振り返るべきなんだと思いますけど、そのとき、結婚して、奥さんがいて、子供がいて……という状態だと、ゲーム作るのは無理だなと思っちゃったんですよ。マジでプライベートがない状態で、ゲーム作りだけやっているから。

『Indie Game: The Movie』というインディーゲームのドキュメンタリーがあるのですが、開発者の壮絶な開発の話が描かれていて、プライベートを全部犠牲にして、友達もいなくなって、車も売って……みたいな。気づいたら自分も似たような状況になっていたな、と今振り返ると思いますね。インディーゲームを作るなんて狂気の沙汰です。(笑)

なので、自分は資金をもらってメディアミックスしてとか、そういう景気のいい話よりは、どうも苦労した人の話に共感してしまう。「お金もらえていいな」と思う気持ちと、「お金もらえるんだったら、俺の苦労はなんだったんだ」と思う節もある。自分を正当化したいところもあるかもしれませんね(笑)。

自分の場合は、当時からリモートで協力してもらっていた日本の友達がいるんですが、今思えば「よくついてきてくれたな」って思います。
ただ、これって自分が19歳で起業していたら存在しなかった絆だと思うんです。30歳近くまでずっと積み上げてきた人脈というか、意外と20歳を超えると大学の友達とか、趣味が関係ない友達ってどんどんフェードアウトしていくじゃないですか。だから、残るのは趣味の話とか、ゲーム作りの話をしている連中ばかりに煮詰まっていく。

塩川氏:
最初はもうずっと自分の貯金を切り崩して作っていた感じなんですか?

Daigo氏:
そうですね。でも、ただ切り崩すだけじゃ夢がないと思って、「小さなスマホゲームを定期的にリリースする」ということをしていました。

自分の場合、「ホームランは打てない」と初めから諦めていたんですよ。ずっとスマホゲームを作っていた経験から「いくらお金をかけても、コケる時はコケる」と分かっていたので、それよりは「小さく積み重ねよう」と心に銘じてやっていたんです。

『償いの時計』はずっと前に自分が作ったRPGツクールの作品なんですけど、割と実況などで人気があったので、「最初はもうこれをスマホに移植することだけに集中しよう」と。クリエイティブなことをあまり考えず、とにかくゲームエンジンや技術に投資して、スマホで動かすことだけに集中しました。その結果、月あたり数万円ぐらいを生み出すゲームになりましたけど、数万円じゃ生きていけないですよね。

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『償いの時計』
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『しあわせのあおいとり』

その後、その技術で『しあわせのあおいとり』というゲームを作ったんです。脱出ゲームが流行っていたので儲かるかなって(笑)。

それも最初はそんなに売れなかったんですけど、Googleにフィーチャーされたりしたことで、少しずつ収入が増えてきて。その後も「前の作品と新しい作品を合わせて収入を得る」ということを、愚直に4作品まで繰り返したんです。そうすると、さすがに月10万円は超えてくると。

当時、プログラマとしてアメリカの会社に就職すれば年収1500万円〜2000万円はあたりまえにもらえる状況で、言い換えれば月100万以上の収入を得ることができたわけですよね。それに比べたら、作ったゲームから得られる収入は全然大したことはないし、なんなら家賃にも足りない。

『くまのレストラン』『メグとばけもの』のDaigoが語る“心が折れないゲーム作り”とは_013

──Daigoさんは、なぜ2000万円の転職を捨ててまで作り続けたんですか?

Daigo氏:
なんででしょうね?(笑)

ただ、ひとつ言えるのは、そのとき自分が重視していたのは、絶対的な売上の数字ではなくて「前と比べてどれだけ伸びたか」というところでした。それがすごくモチベーションになっていて、「これを続けたら2年後には……!」みたいな。

現在ほとんどゲームの売上がなくてもそういったKPIから、夢が見られた。そういう夢が、当時の自分にとってはめちゃくちゃ大事だったんです。

塩川氏:
なるほど……。その夢があったからこそ、ということですか。

Daigo氏:
だから、もし5年とか6年かけて一本のゲームを作ろうとしていたら、途中で心が折れていたと思います。自分は小さなゲームを作り続けて、その売上やフィードバックをもとに夢を見れたから、生きていられた。そういう部分はあると思います。

みんな「小さなゲームを作れ」って言っても聞かないですけど、やっぱり小さなゲームは作った方がいいんじゃないかなって思いますね〜。

塩川氏:
ゲームはリリースまでどれぐらいのスパンで作っていたんですか?

Daigo氏:
だいたいどれも半年ぐらいのスパンでしたね。プライベートを犠牲にすると、人間は本当に速いんですよ(笑)。当時は、今の自分の5倍から10倍の速度があった気がします。

たとえば『くまのレストラン』は6ヶ月ぐらいで作ったんですよ。ストーリーをバーッって書き出して、みたいな異常な集中力があったんですが、最近は社長業みたいなものもやっているせいなのか、そういうのが鈍ってしまっていて、ちょっと悔しいです。

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編集長
電ファミニコゲーマー編集長、およびニコニコニュース編集長。 元々は、ゲーム情報サイト「4Gamer.net」の副編集長として、ゲーム業界を中心にした記事の執筆や、同サイトの設計、企画立案などサイトの運営全般に携わる。4Gamer時代は、対談企画「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」などの人気コーナーを担当。本サイトの方でも、主に「ゲームの企画書」など、いわゆる読み物系やインタビューものを担当している。
Twitter:@TAITAI999
デスク
電ファミニコゲーマーのデスク。主に企画記事を担当。 ローグライクやシミュレーションなど中毒性のあるゲーム、世界観の濃いゲームが好き。特に『風来のシレン2』と『Civlization IV』には1000時間超を費やしました。最も影響を受けたゲームは『夜明けの口笛吹き』。
Twitter:@ex1stent1a

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