運営型スマートフォンアプリという、変更が加え続けられるライブサービスを、ひとつの作品として評価することは非常に難しい。実際に僕はレビューをこれまで書こうとしたことがない。『ウマ娘 プリティーダービー』(以下、ウマ娘)に関しても、3年前からアニメをきっちりと追いかけ、アプリ版の配信も楽しみにしてきたが、もちろんこのような原稿を書くつもりは最初からなかった。
だが、そんな僕がスマートフォンの画面に食い入り、ウイニングラン中の騎手のように夜中に雄叫びを挙げながら右手を突き上げた。そして今、この原稿の執筆を進めている。
『ウマ娘』が配信されて1週間が経ち、インターネット上は有馬記念が開催中のごとく熱狂に包まれ続けている。たしかにこのゲームは、非常に出来がいいだけでなく、思わず何かを書きたくなるプレイヤーの心を強烈に動かす“何か”を秘めているのだ。
ここ数年にわたってスマホゲームのひな形には革新的な変化が起きず停滞している。興味の持続どころか興味すら持てないアプリが矢継早に登場する地獄のような現状だが、『ウマ娘』は一瞬にしてそのハードルを乗り越えた。
その理由はごく個人的な記憶に根ざすものではあったが、おそらく多くの競馬ファンが、あるいはより多くの競馬ファンではない人たちもまた、同じように感じてしまうであろうものだ。それは何か。じつに面映ゆいのだが、つまりそれはいわゆる「愛」と言ってもよい。
競馬ファンが持つ「馬」の物語。僕の場合は「父とオグリキャップ」
※オグリキャップ:
1985年に生まれた競走馬。父:ダンシングキャップ、母ホワイトナルビー。岐阜県の地方競馬である笹松競馬場で活躍したのち、1988年に中央競馬へ進出。ペガサスSから重賞でまたたくまに6連勝を飾り、地方から突如現れた芦毛の怪物として数多の競馬ファンの心を奪った。生涯成績では有馬記念で2度の優勝をはたしたほか、安田記念やマイルチャンピオンシップでも勝利、最終的に重賞で12勝を収めている。
僕は自分に博才がないのを自覚しているので賭け事はやらないが、世の中には博才が無いくせに賭け事に目がない人間がいて、僕の父がそうだった。彼は特に競馬が好きで、もちろん競馬になんの興味もなかった幼少の僕に競馬を語り、サラブレッドの歴史を語り、そしてたまに競馬場に連れて行った。
競馬には微塵も興味は無かったが、競馬場の雰囲気は大きな公園のようで居心地がよく、レースも迫力があった。パドックを回る競馬馬は、レースの時より近く大きく見えて、僕にはうれしかった。父親の趣味。僕にとっての競馬はそれくらいの存在だった。
当時、多くの人がそうであったように、僕が初めて興味を持ち、魅せられたのが、芦毛の怪物の異名を持つ名馬「オグリキャップ」だった。岐阜の笠松から中央に上がってきた彼は中央でも臆することなく快進撃を続けた。おそらく今でもめずらしい芦毛の強豪馬の人気は、その強さもあるが、同じく遅咲きの強豪タマモクロスとの「芦毛対決」というわかりやすいライバル関係もあって沸騰した。
※「天皇賞(秋)」(1988):
オグリキャップとライバルであるタマモクロスが戦ったGIレース。当時、重賞で6連勝を記録していたオグリキャップが次に望んだレースで、その勢いもあり1番人気、一方で宝塚記念などで7連勝していたタマモクロスも2番人気にとなった。オグリキャップは1馬身1/4差で破れ、タマモクロスは1着となり史上初となる天皇賞の春秋連覇を達成した。
競馬とは極めて血統主義の強いスポーツだ。全てのサラブレッドは元をたどればバイアリーターク、ゴドルフィン、ダーレーアラビアンに遡られ、そこから派生した血統の選別によって発展してきたブラッドスポーツ。数千万円の馬が当たり前の世界で、血筋のよくないオグリキャップの売値はたかだか数百万円だったと言われている。血筋が良いともいえない地方馬が、ブラッドエリートの精鋭が鎬を削る中央に乗り込こみ重賞を制覇していく。その事実の持つ引力の強さたるやもうそれは尋常では無かった。
皆どこかで持っていた血統主義、中央主義への潜在的な反感が裏返しになった愛情を注ぐのに、彼以上の容れ物はなかった。覚えている人は覚えているだろうが、その頃の彼の人気は国民的だったし、僕はその中のひとりだった。強いというのは別にして、いつも驚くほど落ち着いていて、泰然自若の風を帯びたその風格は、今でも別次元の佇まいだったと思う。
※ジャパンカップ(1990):
天皇賞(秋)以降も有馬記念(1988)やマイルチャンピオンシップなどの重賞で勝利してきたオグリキャップは、1989年も過密なレーススケジュールの中で活躍し、1990年5月の安田記念で1着、6月の宝塚記念で2着を記録。しかしその直後からさまざまな故障を抱えることになり、続く秋の天皇賞では6着、さらにこのジャパンカップでは11着となってしまう。世論はオグリキャップ引退へと傾き、有馬記念を最後に引退することが決定された。
そんな彼の快進撃も、終わりを告げる時が来た。秋の天皇賞で6着。続くジャパンカップでは今までの成績を考えれば信じがたい惨敗といえる11着。年齢的なものもあり、誰もがひとつの時代の終焉の風を肌で感じた。オグリキャップはもう終わったと思った。夢を見させてくれてありがとう。おつかれさま。
一瞬にしてその存在の形容を残酷にも過去形に変えて、引退は一年の最後を飾るグレードI、「有馬記念」。奇しくも彼が中央に来て最初に獲ったGIであり、並び立つ芦毛の巨頭タマモクロスと最後に同時出走したレース。その日の中山競馬場、現地でそのレースを見ていたのは17万人と言われる。
※有馬記念(1990):
オグリキャップがラストランとして出走。特定の条件に当てはまった上で人気投票で上位にランクインした馬のみが参加できるレースで、当時オグリキャップは人気1位を記録していた。
何回か競馬場に連れていかれていた僕が、テレビで見ていても伝わるなにか異常で異質な喧噪。前走11着の彼についた単勝オッズ4位は競馬ファン達のご祝儀と言ってもいいだろう。「怪物オグリキャップ」の引退の花道としてはこれ以上ない舞台装置は整った。
しかしほとんど誰もこの舞台で彼が勝つなどと思っていなかったはずだ。集まった人たちも、テレビの前で競馬中継を見ている人たちも。競走馬として満足の行くラストランであって欲しい。無事に終わってほしい。そんな願いの中でレースが始まったのだ。
その2分34秒後、中山競馬場は地鳴りのような「オグリ」コールに包まれていた。多くの人が馬券に負けたであろうその瞬間、それは国民のアイドルホースが伝説になった瞬間だった。
ふと一緒に観戦していた父を見ると、声も出さずに目を真っ赤にしながら呆然と画面を見つめていた。記憶はないが、きっと僕も泣いていたのだろう。ふたりで顔をみあわせ、僕らは笑った。画面の中のオグリキャップはさも当然のように普段通り落ち着いていた。神に愛された馬。まだ子供だった僕にその印象を鮮明に焼き付け、彼は去っていった。
一代のヒーロー、オグリキャップは2010年にこの世を去った。競馬だけが生きがいだった父はもうかなり前に、ずっとやめなかったタバコが原因の肺気腫でこの世に「さらば」とばかり、さっさと逝ってしまった。全面的に尊敬できる人だったかと言われれば首をかしげるが、憎めない愛すべき人だったなと今でもごくたまに彼を偲ぶ。
「ウマ娘」となった名馬がふたたび「すべての人の夢」を背に乗せる
なんの気もなしに始めた『ウマ娘』のストーリーの冒頭、そのシーンがそのオグリキャップのラストランだった。第四コーナーを回って末脚が伸びたその瞬間、記憶が怒涛のように駆け巡り、「こんなの卑怯だろ」と思いながら、僕の身体に鳥肌が走るのはもう仕方がないことだった。僕はもう夢中になってウマ娘の育成を始めた。それはもう、夢中で。
ウマ娘たちの3Dモデルやアニメーション、UIや細かなシステムにいたるまで、本作の良質な点を挙げると枚挙にいとまがない。だが本作のストロングポイントは、実在する競走馬をベースに作られたウマ娘たちだからこそ実現できる「夢」を、“作品全体”で体現している点だろう。高品質なキャラクターのストーリーや会話と、ウマ娘たちが3年間で競走馬として戦う競馬ゲームのシステムが混然一体となることで、かつての因縁でもたらされた熱量とゲーム攻略の熱量を重ね合わせている。
たとえば最強のスプリンターと呼ばれるサクラバクシンオーは、育成ボーナスが付いているほか目標が短距離レースが中心なのでスピードだけ上げればよく、彼女の快速の脚を再現している。連敗記録ですさまじい人気となったハルウララは、最後の目標を適正の厳しい有馬記念を勝利するのではなく「出走だけ」すればよいと設定されており、レースで負けることで彼女のストーリーを完結させる役割を担っている。
ここ数年の運営型スマートフォンゲームの典型的なひな形をそのまま採用したならば、おそらくウマ娘の育成システムとそれぞれのストーリーはここまで強固に紐付けられていなかっただろう。ガチャでウマ娘を引き、経験値や必要素材を集めて育成していき、イベントなどで開催されるレースに参加する。そちらの方が、よっぽど手間もかからず楽だったはずだ。このおそらく多大な調整の苦労が考えられる作り込みからは、開発者の『ウマ娘』、ひいては元となった競走馬たちへの、愛を感じるのである。
僕はオグリキャップを育て、そして別のウマを育てて一巡してオグリキャップに戻ってくるサイクルを続けた。上手くいったり行かなかったりだったが、地味にでも少しづつ結果がでる喜びは確かにあった。そして当然のようにオグリキャップの個人最終目標だった有馬記念を制覇したとき、不覚にも深夜に快哉を上げてしまい妻に怒られた。
僕はかつて多くの競馬ファンがそうであったように当時オグリキャップに自分をのせて、そして今あらためてオグリキャップに自分をのせた。父との、オグリキャップとの、競馬との経験と記憶がなだれ込み、ゲームの結果と混然一体となる経験。ここにしかない古く、新しい経験。僕は『ウマ娘』をプレイしていたが、そこにいるウマ娘が重賞に、それも勝ち目の薄い重賞にチャレンジする度に、「もう一度、僕の夢をのせて走って欲しい」と願った。
それはたしかにゲームで得られる手軽な経験と思われるかもしれない。ただ、目の前のオグリキャップの強さや風格、おとなしめの性格から感じ取れるたしかな「勝利への息吹」は、並走する僕へと確かに伝播したし、その気持ちはかつてみたあの記憶を鮮やかに喚起する触媒として異常なほど正しく機能した。それを「本物」と呼ばずになんと呼ぶのか、僕はほかに言葉を知らない。
大切なことは、その僕の経験は僕だから起こり得た特殊な経験ではないだろうということだ。誰かはきっとサイレンススズカに特別な思い出を持っているだろうし、ハルウララに救われた人も、ライスシャワーを愛した人もいるだろう。競走馬の数だけそのファンがいて、そのファンの数だけ宝石のような思い出や憧憬がそこにはあるはずなのだ。
それだけではなく、今まで競馬を知らなかったプレイヤーもその熱量に感化される瞬間はきっと訪れ、『ウマ娘』から現実の競走馬へと回帰していくことになるだろう。競馬はギャンブルではなく文化として、物語として、成立している。
『ウマ娘』というアプリが今後どう展開されていくのか、それは分からない。公営とは言えギャンブルというイメージも強いこの題材がどう捉えらえれていくかはわからないし、あるいは単なる美少女ゲームの系譜として捉えられて大きなマスをとれないのかもしれない。
ただ、僕は、この一瞬を切り取った今の感触や気持ちはもうそれだけで完全に成立していると思った。確信をもってこの稿を起こそうと思った。
このアプリと、競馬業界の間がウィンウィンの関係値を築いていけることを、衷心から願ってやまない。僕はしばらく僕の愛馬が“ばきゅんぶきゅん”かけていくのを見ながら胸を鳴らそうと思う。
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