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『龍が如く』主人公をキャラ崩壊させた男に訊く“やって良いこと”と“悪いこと”──「ミニゲーム」と「サブストーリー」にエンタメ性を加え、IPの可能性を広げた【新世代に訊く:セガ・堀井亮佑】

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幼少期からの生粋のセガ信者

──ここからは、堀井さんの人となりに迫っていきたいんですが、かなりのセガ好きだと伺いました。ストレートにお聞きしますが、どうしてセガだったんですか?

堀井氏:
 学校の、あまり好きじゃないクラスメイト連中がプレイステーションを買っていたんです。それで、「こいつらと一緒のものは買いたくねえな」と思って(笑)。あとはゲームセンターでハマりまくっていた『バーチャファイター』(以下、『バーチャ』)があったことが大きいですね。

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 ゲームセンターには昔からちょくちょく行っていました。ちょうど『ストリートファイターⅡ』の全盛期で、活気がすごかった。僕はバルログというキャラを使っていて、近所の小さなおもちゃ屋の大会に出場したりもしていました。それが小学校4、5年生のときかな。

──僕は地方の出身だったので、あまりアーケードのことがわからないんですけど、そのくらいの年齢の子でも普通にゲームの大会に出ていたんですか?

堀井氏:
 その頃ってゲームセンターごとに、大きい大会とか小さい大会とかいろいろやっていたんですよ。僕が出ていたのは小さな大会でしたけど、そういう場だともっと小さい子もいましたね。バルログ使いはほとんどいなくて……みんなガイル使いばかりでしたが(笑)。

 そんな感じでゲーセンに通っていたんですけど、そこにあるとき『バーチャ』が入ってきたんですよ。大画面で、ドーン! と見たことのないような映像が現れて、すごく未来を感じました。その後、『バーチャ』がセガサターンでプレイできるという話を聞き、発売日に並んで買いました。44800円で、「俺は未来を買ったんだ!」という気持ちになっていました。

──セガサターンルートに行った子どもって、当時は何を買っていたんですか?

堀井氏:
 初期はソフトの数が少なくて、そもそも選択肢がないんですよ。最初は『バーチャ』か、『ワンチャイコネクション』の究極の2択を迫られる(笑)。ですから『クロックワーク ナイト』とか、出たソフトの中から一番自分に合いそうなというソフトを買っていくような感じです。

 ちなみにハードもちょいちょい買っていて、うちには今セガサターンが合計8台あります。

──8台!? なんで8台もあるんですか?

堀井氏:
 一時期、ハードコレクターみたいになっていた時期があったんですよ。型番違いとか、「THIS IS COOL」のセガサターンとか、限定モデルのセガサターンとかを次々集めていて。たくさん買うことで、自分がいかにサターンが好きかを数値的に証明したかったんでしょうね。

──プレステは買わなかったんですか?

堀井氏:
 高校を卒業するまで買いませんでした。周囲からは「プレステも買えば?」と言われ続けましたけど「俺はセガサターン派だから」って貫いて。途中『ファイナルファンタジーVII』とかがプレステで出たときはやりたくて仕方なかったですけど、サターンを裏切っちゃいけないと思って我慢しました

──本当にセガ信者ですね(笑)。

堀井氏:
 ただの頑固者ですね。一度言いだしてしまったので、引くに引けなかったんです(笑)。

無意識下にきざまれたセガ体験

──この時期のセガのソフトを今振り返ると、どんな印象を持ちますか?

堀井氏:
 パッと見たときに、コアというか渋めなコンテンツが多いかなという印象ではあります。キャッチーさはあまりないけれど、実際にやってみると面白い。良くも悪くも大人向けなゲームが多かったなぁと思いますね。アーケードを扱っている会社だからというのもあったんでしょうね。

──今のセガとは、かなりテイストが違いますよね。

堀井氏:
 そうですね。アーケードで売れたタイトルを家庭用で売り出すという展開も多くしていた時期でした。『デイトナUSA』とか。

──『デイトナUSA』が出ると言われても、中高生が喜べるのかという感じですね(笑)。

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アーケード版『デイトナUSA』ゲーム画面
(画像はデイトナUSA | セガ・アーケードゲームヒストリーより)

堀井氏:
 当時の僕は全然わからなかったです(笑)。「『デイトナUSA』ってなんだろう?まあ『週刊ファミ通』でレビューが高かったし買っとくか」という感じで買っていましたね。初期は特に選択肢が少なかったので、名作と呼ばれるものや、期待の新作と言われるものは大体買っていました。僕が大好きな作品である『リグロードサーガ』もそう。「セガサターンでRPG!? 俺もRPGをやっていいんだ!」って飛びつきましたよ。ずっとRPGをやりたかったんですけど、そもそもソフトがなかったので。そうやってセガサターンという枠組みの中でいろいろプレイしていく中で、サターンやセガへの愛着が湧いていった感じですね。

──セガは、RPGっぽくないデザインのゲームがすごく多かったですもんね。その体験が、多様なミニゲームデザインにも影響しているかもしれないと……。たしかに『龍が如く』は、プレイしながら「こんなゲームありなんだ!」と新鮮に感じるところが多かったです。

堀井氏:
 僕、高校卒業までRPGは『リグロードサーガ』くらいしかやっていなくて、大半は雑食的にいろいろなジャンルの作品をプレイしていたので、たしかにその影響はあるかもしれないですね(笑)。『ファイナルファンタジー』ですとか『ドラゴンクエスト』といったビッグタイトルすらそんなにやってないんですよ。
 『ファイナルファンタジー』の初体験なんて、ワンダースワンを買ってからだったので。あのときは、「これで俺は、プレステに寝返らなくても『ファイナルファンタジー』をやれるんだ!」と思いました。

──筋金入りですね(笑)。 

セガの魅力は「未来に繋がる感じ」

──そこまでセガに入れ込む理由って何かあるんですか? セガサターンを買ったこと以外で。

堀井氏:
 「こんなのゲームにしちゃうんだ!」という驚きは、ユーザーとしてすごく感じていたと思います。作りこみとかも、やっぱり振り切れている感じがしたし。あとは、インターネットに繋げるモデムがどうとか、ビデオCDが見れますとか、そういった機能も面白かった。未来の匂いを感じたんですね。別にビデオCDなんて見ないんですけど、「これは未来に繋がってるんだ!」と思って買っていた(笑)。だから僕のセガサターンは、ネットにもつながっているし、ビデオCDも見られる強機体だったんです。

 プレステに、売り上げ的には負けていたじゃないですか。でも、僕としてはセガサターンをとにかく堪能していたから、「こんなたくさん面白いソフトがある。みんながその面白さに気づいていないだけで、プレステよりサターンのほうが上なんだ!」という意識がずっとありました。
 いいものが評価される世界が好きで、かつだいたい2番目とか、強くないほうに肩入れしちゃうタイプでもあるんですよね(笑)。それで、プレステのことは勝手にライバル視して、いつの間にかセガに肩入れをしていった感じです。

──ちなみに、ドリームキャストも買われましたか?

堀井氏:
 出てすぐに買いました。高校生のときですね。ドリキャスはソフトが全部素晴らしかったです。ただハードの発売直後は全然ソフトが出なくて、『July』という「登場人物100人超え!」という謳い文句のアドベンチャーゲームばかりやってました。

 あとは『ソニックアドベンチャー』とかそのあたりですね。僕、3D酔いするほうなので、酔い止めを人生で初めて飲んで、酔いに苦しみながらプレイしましたけど(笑)。

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『ソニックアドベンチャー』ゲーム画面
(画像はSonicAdv1stScreenShotより)

──『シェンムー』はどうでしょうか。

堀井氏:
 もちろんやりましたよ! 発売を待ち焦がれて、買ってからはずーっとやっていました。 

※2018年11月22日にPS4で発売予定の『シェンムー I&II』ティザートレイラー

──新作ゲームの情報は常にチェックしていた感じですか。

堀井氏:
 そうですね。当時は、「セガジョイジョイテレフォン」と「セガFAXクラブ」という、セガがオフィシャルで、電話とFAXでゲームの情報を教えてくれるサービスがありまして。月イチくらいで更新されるんですけど、そういうもので情報集めはしていたかな。

 あとは雑誌媒体ですね。今日も実は持ってきたんですけど、僕は今でも記憶に残るようなゲーム雑誌のバックナンバーは保管しているんです。この「ドリームキャストマガジン」は、セガサターンの特集号で、ジャンルごとにサターンのソフトが紹介されていて、今見ても面白いんですよね。昔プレイしたゲームのことって忘れちゃうことが多いですけど、たまにこれを読み返すと「ああ、こういうゲームもあったんだよな」と思い出すことができるので、制作の役に立ってます。昔のゲーム雑誌は今読んでも楽しいですよ。「新作期待! 『ソウルキャリバー』がついにドリームキャストに来た! 特典でシールも付いてます!」なんて宣伝文もぐっときますよね。

──サターンからドリキャスに移ったときに、ユーザーとして感じた変化はありましたか?

堀井氏:
 やっぱり、格段に品質が向上したというのは感じました。ポリゴンなどの映像表現もそうですし、サウンド面に関してもパワーが違いました。また、ハードだけではなくソフトの質も上がったと感じました。サターンの頃って、有象無象じゃないですけど、「なんだこれ……」みたいなのも正直いっぱいありました(笑)。

 でもドリキャスになってからは、本数は少ないながら粒ぞろいだったのかなと。「こんなすごいハードが出たんだから、ついにセガが勝つ時がきた!俺らは報われるんだ! 勝ち戦だ!」って思っていました。

──そこまでセガのゲームが好きなら、今でも当時のゲームをプレイすることがありそうですね。

堀井氏:
 セガサターンもドリキャスも、今でもさわりますね。僕はあまりハードに対するこだわりというか、最新のハードで遊ばなきゃという気持ちがなくて、今でも通勤中にワンダースワンをやったりもするんです。『マジカルドロップ』が僕は大好きなので、今でもそれを。時々電車で遊んでいると、隣りにいる子どもに「新しいDS!?」って聞かれて面白かったりします(笑)。ワンダースワンって、起動時のこのチュイーンって音がいいですよね。

 サターンやドリキャスでもやりたいゲームがまだ残っているので、「プレステ4で『ニーア』が終わったから次はこれをやるか」とか、柔軟に遊んでいます。

 あと『実況パワフルプロ野球』も大好きなんですが、最新のPS4版ではなく、ずっとPS2の『実況パワフルプロ野球9』をやっています。松坂が新人として入ってちょっとしたくらいの頃のものなんですが、10年しかできないペナントモードで、10年やってデータを引き継ぎ、さらにもう10年やって──というのを繰り返していたら、当時30代だった桑田が還暦になってしまったり。

一同:
 (笑)

堀井氏:
 もうそこまでくると、すごいですよ。みんな衰えて能力が最低ランクになりますし、ヘッドスライディングするたびにみんな怪我して離脱とかしますし(笑)。ただ、『9』は野球部分のバランスが本当に良くできている作品なので、それでもずっとやってしまいますね。あと未だに『野球つく!!』もドリキャス版を引っ張り出してやっていますし……っと話が脱線してしまいましたね(笑)。

──いえいえ。それで堀井さんが大学に入られた頃には、セガはハードから撤退していたと思うんですけど、セガ好きとしてはどんな心境だったんでしょうか。

堀井氏:
 「俺たちはもう負けたんだ」という敗戦国のような気持ちでしたね(笑)。ドリキャス発売の頃の勢いを知っている人間としてはもちろんさみしかったですけど、これで大手を振ってプレステができる、という想いもあり(笑)プレステをやりはじめたらめちゃくちゃ面白くて。「おいおい『ゼノギアス』超面白いぞ」と(笑)。プレステでやりたいソフトは死ぬほどあったので、過去を取り戻すかのようにやりまくりましたね。大学時代に、プレステ、プレステ2のやりたかったソフトは大体あそびました。

──当時面白かったのは、たとえばなんですか?

堀井氏:
 『やるドラ』とかは特に好きでしたね。『ダブルキャスト』はもちろん『BLOOD THE LAST VAMPIRE』まで一通り全作、全ルートプレイしました。他には『正義の味方』『ぼくのなつやすみ』とかも好きでしたね。プレステはプレステで、サターンと違った毛色の個性的なソフトがいっぱい出ていましたし、CMも楽しいものが多かったですね。

 あと『リンダキューブ アゲイン』『俺の屍を越えてゆけ』は本当にハマりましたよ。桝田省治さんは、作り手としては一番リスペクトしている方ですね。桝田さんの著書の『ゲームデザイン脳』は、今でも僕のゲーム制作のバイブルです。

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やりたいことが全部詰まっていたゲーム業界

──と、そういうものを経由しつつ、セガに入社されるわけですけれども。堀井さんが就職活動をした時期って、就職しやすい時期だったのでしょうか。

堀井氏:
 氷河期ギリギリ手前かな? というくらいですね。僕は就職活動自体が好きだったので、すごくたくさんの企業を受けました。企業の人と話したりできるのが単純に楽しかったんです。

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 でも、サターン一筋で育ってきたというのもあって、第一希望はやっぱりセガ。その頃は特に、作家性の感じられるゲームがいっぱい出ていた時期だったんですよ。『龍が如く』もそのひとつですね。「ゲームってこんなこともできるんだ。映画にも負けないような、こんな文化的な表現が可能なんだ」と感銘を受けました。

──作家性を感じるゲームとして、他にはどんなものがありましたか?

堀井氏:
 須田剛一さん飯野賢治さん桝田省治さんの作品はすごく好きでしたね。やっぱり自分の世界観というものがあって、そこで毎回違ったチャレンジをされている姿勢を尊敬しています。

──だからこそ、自分もゲーム業界で作品作りに挑戦したかったと。

堀井氏:
 そうですね。やりたいことをやっている人達への憧れもありつつ、ゲームという表現の進化への期待もあって。ゲームって、僕のやりたいことが全部詰まっている世界だったんですよ。大好きだった音楽も入っているし、ストーリーも作れるし、プレイの面白さも追求できるし。ゲーム業界に入れば全部できるわけです。

──総合芸術としてのゲームに惹かれたわけですね。

堀井氏:
 まさに、総合芸術ですよね。これからは、文化、芸術の一角としてゲームこそが伸びていくだろう、という強い予感もあって、ゲーム業界で就活しました。

 セガを志望した理由のひとつとして、新卒でクリエイターの募集をしていたというのもあります。新卒で、クリエイター、しかもプランナーを募集している企業って当時はそんなになかったんですよ。そういう意味でも理想的でしたし、何よりセガサターンを8台持っているし(笑)、ここに入るしかないと。これで落とされたらショックだわ、と思ってそこはアピールしまくりました。

──入社した当時のセガって、どんな様子でしたか?

堀井氏:
 僕が入った直後は、セガが少し苦しくなり始める時期でしたね。その厳しい時期に、名越が立ち上げて成功したプロジェクトが『龍が如く』だったんです。そのチームに入社直後から参加できたのは、幸運なことだったかもしれませんね。

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──名越さんのお話だと、『龍が如く』もいろいろと大変ではあったみたいですけど。

堀井氏:
 僕自身は売れてから入った人間なので、初期の苦労という点はあまり感じていません。ただ、『1』が売れて、その熱が冷めやらぬうちにすぐ次を投下しよう、という時期だったので、スケジュール的には厳しかったです。『1』の発売日が2005年12月8日、『2』の発売は2006年の12月7日発売だったんですけど。

──プレイステーション2のゲームを1年以内に制作するというのは……。

堀井氏:
 凄まじいスピードで制作が進んでいく中にいきなり放り込まれた形でした。最初はもうびっくりしましたし、1年目から馬車馬のように働きまくりました。

──『龍が如く』のチームに入ったのは、希望したからですか?

堀井氏:
 いえ。一応コンシューマーでという要望は出していたんですけど、当時のセガは部署ごとに面接官がいて、各部署の部長が協議して新卒の配属先を決めていたそうなんです。僕はそこで、『龍が如く』の部署に拾っていただいたんです。

──ちなみに、何を見込んで拾われたのか、というのはご存知ですか。

堀井氏:
 カラオケじゃないですかね(笑)。面接では、とりあえず「セガターンを8台持っています」、「セガのおかげで今の僕があります」ってセガ愛と感謝を述べたんですよ。そしてそのあとは「趣味はカラオケです」とPRして。名越に面談されたのが最終面接だったんですけど、当然「カラオケが趣味なやつなんていっぱいいるんだよ」、「他のやつと違う、と言えるところはあるのか」といったことを伝えられるわけですね。

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 そこで、さきほどのカラオケの持ち歌リストを見せたら「(他のやつと違うところが)あった」と苦笑いされて、採用通知をいただきました。なんでも作っておくものだな、と思いました(笑)。

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