作品を他の媒体で広げていくための「これだけは守るべきルール」とは?
──三木さんは自分の担当作がゲームになるとき、原作の作家さん以外の方、複数の作家さんにお願いするケースを原作者サイドとして監修からディレクションまでされていらっしゃいます。預かった作品を改めて別の方に預ける場合、作家さんとはどう話し合われていますか?
三木氏:
作家さんによって、自分の作品から派生する商品への関わり方は違っています。
ライトノベル業界の歴史を紐解くと、たいていその辺りで問題が起きて揉めている印象です。作品の二次展開のときに、編集者と作家の仲が悪くなるんですよね。
外部からの影響で、作家と編集の関係性が変わってしまうというか。編集がこうしてほしいということと、作家が自分の作品はこういう考え方で展開していきたいというギャップが出やすくなるんです。
──なかなか表には見えない話ですね。
三木氏:
1冊の本の場合は、ふたりが「いい」と思ったら出せるのでいいのですが、二次商品やメディアミックスのときに方向性が異なることが多くなってきます。
そこで一番大事なのは「ボクたちはこう決めたよね」という金科玉条みたいなものを最初に話しておくべきなんですよ。それでも、担当が変わるとかで揉めるときはありますが……。
──生々しい……。
三木氏:
「あなたは(二次展開に)どれくらい関わりますか? 全部責任をもってやるんだな? それだったらこっちも全部ケツを持って付き合うぞ! でも最新刊の原稿の締め切りは変わらないぞ」とか、「全部監修は任せてくれ、何かミスがあったら本当に謝ります。でも、そのほうが執筆環境や精神衛生上いいときがあります」とか……。
作家さんによって、その関わり合い方を最初に確認する行為が大切です。ボク自身、そうすればよかったんだ……と知るまでに、けっこう時間がかかりました。
──仮に、下倉さんみたいなタイプの作家さんがいたとしたら、相当心強いんじゃないですか?
三木氏:
ボク、下倉さんとお話をしていて思ったんですが、物腰が柔らかくてすごく話しやすいんですけど、こだわりタイプですよ。
監督的な働きができるというのは「俺がやったほうが早い病」に半歩足を突っ込んでいます。星海社新書から『自分でやったほうが早い病』【※】という本がでているんですが、みんな読んでください(笑)。
そういうところをお持ちな印象なので、内容に介入しないとハラハラしちゃうと思います。「この人に託せてよかったな」と思えるケースが多ければいいのですが、そうじゃなかったときに精神衛生上具合が悪くなっちゃいます。
派生作品に関わる負担はムチャクチャあるので、執筆への影響とかと折り合いをつけるのは、かなり大変かもしれません。
下倉氏:
本当におっしゃる通りで、つい「俺がやったら早い」となりがちなのですが、けっこう周りにそういう人間ばかりいるので、これは反面教師だなと思っています。気を付けて“手を出すか、見守るか”を切り分けないと、とはすごく意識していますね。
単体の作品ならまだいいのですが、最近ソーシャルゲームなどにも関わるようになって、全部のキャラクターをひとりずつ受け持つというのは基本的に無理なので、どこまで預けてどこから先は大事な部分なので引き取って……というのは、すごく意識してやっているつもりなんですれけど、上手くいっているかどうか……。
──原作者として、ゲーム監修をするというのは、ちょうど現在もやられている?
下倉氏:
そうですね。『凍京NECRO<トウキョウ・ネクロ> SUICIDE MISSION』【※】というソーシャルゲームを開発中です。原作のフレーバーを大事にしながらも、やっぱり広げるところはちゃんと広げないといけないわけで、ある程度緩く世界観を広げていくためのコントロールは、あまり厳しくなりすぎないようには意識しているのですが。
※「凍京NECRO<トウキョウ・ネクロ>SUICIDE MISSION」
DMM GAMESより2018年にリリース予定。アドベンチャーゲーム『凍京NECRO<トウキョウ・ネクロ>』を原作とした新作SRPGゲーム。本作のメインシナリオ制作と他シナリオの監修を下倉バイオが担当。
──その辺りまで見えるようになる作家さんは、あまりいないのではないでしょうか。いつもと違うスキルを駆使するというか、違う役割をするわけですよね。
下倉氏:
自分がシナリオを書くときには「これは100%正しい」と思って、確信をもってシナリオを書くので、それを他人に渡したときに、自分の価値観とは違っていて必ず齟齬が出るんです。
そのギャップをどう埋めるかということで、編集さんみたいに自分の性格をわかってくれる人とマンツーマンだったら、相手との距離を測ってうまくできると思うのですが、人数が増えれば増えるほど自分が合わせる必要が出てきて大変ですよね。
──物語をいろいろな形で広げていくためには不可避の問題、ということなのでしょうか。
三木氏:
そうですね。わかりやすい例として、アニメだったら、究極的には「アニメにしなきゃいいじゃん」という話じゃないですか (笑)。
下倉氏:
そうですね(笑)。
三木氏:
でも、作家さんのことを考えると、メディアミックスはやるべきだと個人的には思います。なぜかというと、絶対にそのほうが多くの人に知ってもらえるから。
創作者の根源はやはり、自分が書いたものを多くの人に読んでもらいたい──それだけなんですよ。それ以外のものはないんです。
で、そのためには分母を増やすための行為を死に物狂いでもやるべきじゃないですか。作品のサポーターとしての編集者も、そうあるべきです。
残念ながら、いまはその伝播効果はテレビアニメ以外にはほとんどない。だから、アニメ化をやらざるを得ない……というのは失礼な表現ではありますが、そのときは作家さんに「別の人がお前の腹の中をこねくり回すぞ、いいな」と、覚悟を問うんです。作家さんにメディアミックスのコツを伝授できるかどうかが、編集者としての腕の見せ所です。
ボクがよく使う手は、仮にアニメのデキが悪かった場合、「よかったですね。原作のほうがいいって言われますね。流石です!」と言います。仮にアニメがすごくよかった場合は、「これで原作が死ぬほど売れますよ。やりましたね! わっはっは」ですよ(笑)。
一同:
(笑)。
下倉氏:
ポジティブシンキングですね。
三木氏:
そうです。いずれにせよ作家さんが「よし、頑張るか」と思ってくれるかどうか、でしかないです。なぜなら、現実は変わらないんですから。
下倉氏:
まあ、でも実際問題、アニメによって作品を知る人が増えるのは絶対に間違いないですね。そこをどうやって受け止めるかですよね。
──いまの話はアニメを念頭に置いた感じですが、下倉さんの最新作『みにくいモジカの子』は、ゲームとして組み立てた以上、他媒体で展開することは念頭にあるということでしょうか?
下倉氏:
うーーーん……。
──やれるならやってほしい、とかでしょうか。
下倉氏:
そうですね。「やれるものならやってみろ」っていう感じはなくはないというか。『STEINS;GATE』のアニメは、まずゲームがあって「ループものというところが肝です」と。「じゃあ、それをエンタメらしい構成のお話に落とし込んでいきましょう」という感じで、メディア展開もしやすくできたと思うのですが、今回の『モジカ』とか、前回の『ととの(君と彼女と彼女の恋。)』は、ゲームにできる表現でマックスを求めていったらこうなったよね、みたいなものです。
──ということは、他のジャンルでの表現は難しい?
下倉氏:
もちろん、アニメにはアニメの快楽があって。アニメの動きの気持ちよさを文章で再現することは、正直なかなか難しいと思うんです。だから、アニメの動きを最高に追求したものもあっていいと思います。
でも、ゲームのゲームらしい──たとえば『Minecraft』【※】で得られるような感動や体験みたいなものを、他のジャンルに移すことは、とてもすごく難しいと思うんですよね。
それと同じで、エロゲーだから18禁のフィールドでできる表現のマックスを求めたら、こういうものになっちゃったけれど、どうしよう……という感じですね。
※Minecraft
スウェーデンの「Mojang AB」開発によるサンドボックスゲーム。ゲーム内で得られる素材を使用して自由なアイテム製作などが行える。複数人でのプレイや、他人のプレイした動画を鑑賞する楽しみ方も人気が高い。
──メディアミックス展開ありきで考えるのではなく、完全にゲームで最大の面白さを目指した、と。
下倉氏:
そうですね。別にメディアミックスをするためにゲームを作っているのではなくて、面白いゲームを作りたくて、いまこうやってシナリオライターをやっているので。
当面、ゲームのトータルとしての完成度を上げることだけを考えています。後は、まあ人気が出たりして、もし「やりたいよ」っていう意見をもらったら、そこは「明日の自分がなんとかしてくれるかな」という気持ちで作っていますね。
三木氏:
それはとても正しいですね。たくさん売れたら、向こうから言ってきますよ。「やりにくい」とかそういうのも関係なくです。まず結果ですから。
「いやー、ちょっとアニメにしづらいんだよね」とアニメプロデューサーが言ったら、それは本当は「君の作品はまだそれほど売れていないから、もっと売ってから持ってきて」という意味です。
下倉氏:
あー、なるほど(笑)。
──三木さんは、作家さんともよくそういう話をされているのですか?
三木氏:
はい。まず自分たちの市場で勝負して、勝っていないと意味がないですから。
下倉氏:
そうですね。変なところで妥協して納得いかないものができるよりは、とりあえず納得して「面白い」と言えるものを作ろうという。
三木氏:
そうそう。中途半端は一番いけなくて。ちょっとぼかして言いますが、これまで一番中途半端だと思ったのは、文庫で作品を考えるときに「最近腐女子が多いよね」という話になったんですよ。
下倉氏:
あー、はい、はい。
三木氏:
「じゃあ、この作品に、女性読者も取ろうとよ」という話をしはじめたんです。でも本来、自分のテリトリーの8割ぐらいが少年です。高校生とか大学生の男子に売れないといけないのですが、「腐女子とか女の子の層を意識したいです」みたいな話になって。
それで、どうしたかというと「クラスメイトの可愛い女の子たちの中に、イケメン軍団も追加しました」みたいなことになったんですよ。「もう本当にダメだ!」と思いました。その中途半端な考えのすべてがダメだ! と。
下倉氏:
はい、はい、はい(笑)。
三木氏:
それと一緒なんです。中途半端に入れるのが一番ダメなので。徹底して、まず自分が抱えている一番大事な人たちに「いい」と思われてからじわじわ広げていかないと、大きくならないんじゃないかな。
下倉氏:
ニトロプラスも、女性向けBLブランドもありますし、女性ファンの方もけっこう多いのですが、「そこに色目を使うのは絶対にやめよう」と言っています。やっぱり、「こっちを見ているな」というのは、好きな人ほど勘付きますよね。
──ファンの側でも言いますね。「自分たちに媚びているようだと興味が失せる」とか。
下倉氏:
それは絶対にあります。「とにかく自分たちがカッコイイと思う男を描く」ならOK。けれど「よくわからないけれど、カッコよさそうなキャラを入れる」というのはナシ、というのはすごく共感できます。
スマホゲーム全盛の時代に『エロゲー』と『ライトノベル』はなにができる?
──おふたりともゲーム、小説とそれぞれのフィールド、ジャンルで“最善を尽くす”ことを意識されていると思うのですが、一方で漫画やスマホゲームといった別のジャンルで最善を尽くされている作品群があります。“さまざまな媒体で面白い作品が溢れている”というこの現状について、対抗心を燃やしたり、意識したりはするのでしょうか?
三木氏:
ジャンルというか、ボクは“時間”を意識していますね。たとえばスマホでもゲームだけではなくて、「気になる女の子からLINEメッセ―ジが来た」というだけでも、ライトノベルを読むのを止めちゃうわけじゃないですか。そっちのほうを優先されてしまう。
下倉氏:
そうですね(笑)。
三木氏:
それを防ぐためにはどうするか……という戦いなんですよね、いまって。
だから、逆に言うと「気になる女の子からのLINE」に──まあ女の子相手なら無理かもしれませんが──「いま『ソードアート・オンライン』読んでいるんだ」と返せるかどうかですよ。
そうしたら、「え、なにそれ?」と相手が気になって、結果的に読者が広がるかもしれないじゃないですか。そういう作品を作れるかどうかなんですよね。
下倉氏:
うんうん。
──すぐに読みはじめられて、またパッと中断できる小説という媒体の弱みを強みにする、とか?
三木氏:
いえ、そこではなく「人に語りたくなるか」の方ですかね。他人に作品を語るときは、“キャラクターについて語る”んです。ストーリーを言ってもみんなピンと来ないんですよ。
なので、「こんなキャラがいてさー、こんな話があってさー」と言えそうなものを作る、という感じですかね。
だから、「ライバルとして漫画が台頭してきたな」とか、「ゲームが新しくなって手ごわいな」とか、そういうわけではない。
──なるほど。一方で下倉さんは基本的にはある程度のスペックのパソコンが必要な媒体ですが、いかがでしょう。
下倉氏:
そうですね。あまり他のジャンルとの競合を考えても仕方がないと思っているところはあります。ただ、ゲームって“自分がインタラクティブに働きかけるものゆえに、すごく個人的な体験になる”と思っていて、言語化もできない、ストーリーの上辺だけを説明しただけでは生まれてこない感情があるんですね。
ゲームを通して「これはあなたのものだよ」と伝えることが大事だと思っていて、『君と彼女と彼女の恋。』は、そういうところをかなり意識して作りました。ビジュアル的に魅せる勧め方もありますが、「好きな人は、とにかくプレイして!」としか言えない(笑)。
ちょっと広めるには大変だけれども、「あなただけの体験をしてください」というのが、自分の理想のゲームの作り方のひとつだという印象があります。
だから、今後も“どうやって売っていけるか”は課題ですね。まあひたすらにゲームファンひとりひとりを信じて作っていくしかないのかな、というのが実際のところです。
ニトロプラス最新作『みにくいモジカの子』は“いじめ”がテーマの意欲作
──7月27日にリリースされた、下倉さんのシナリオによるニトロプラス最新作『みにくいモジカの子』(以下、『モジカ』)は、なかなかエンターテインメントのテーマにしづらい“いじめ”だそうですね。
かなりのチャレンジングだと思いますが、下倉さんが、このシナリオを執筆されたきっかけとは何だったのでしょうか?
下倉氏:
今のエンタメでは主流とは言えないかもしれませんが……ボクがプレイしはじめた頃のアドベンチャーゲームとかエロゲーには、「日陰者の俺が、こんな可愛い女の子にいつもバカにされているけれど……」みたいな、“ルサンチマン”が原動力になっている作品が多い印象があるんです。。
そういうものを“いまの技術で作りたい”という感覚があって、『モジカ』のシナリオを手掛けました。
──そういう想いがあったんですね。
下倉氏:
年齢制限のあるゲームでないと、こういった表現は難しいと思っています。“いじめ”が題材なのに、スッキリとした終わり方にするとか、いじめの復讐を果たしてスッキリした終わり方にさせるのは難しいじゃないですか。
──確かに難しそう。
下倉氏:
かと言って、「主人公が復讐したあと、因果応報で酷い目に遭って終わり」というのも……。いやいや、いじめられていた子なんでしょう? とプレイヤーは思うはずなので。
ですから、ストーリーの作りとしては微妙なラインですが、けっこうビターというか、白黒ハッキリ付けるのではない落としドコロを模索しました。
というわけで、“R18をプレイできる人だからこそ、受け入れてもらえる結末”になっているのではないかな、と思います。
──一方、三木さんの担当作品にも『アクセル・ワールド』という主人公がいじめられっ子という作品がありますし、過去にはもっと正面からいじめを題材にした作品もありました。こういった題材について、新人賞の選考などで読まれたときは、どう評価するのでしょう?
三木氏:
下倉さんがおっしゃったように「18禁のゲームという媒体でなければ、できない作品をやる」というのは正しいと思っています。
とはいえ、ボク自身が「ハッピーエンド至上主義」なところがあって、“いじめ”などの現実問題を忘れて楽しめるものを作っているところがあります。たとえば“親”のことを忘れて作品を楽しみたいのに、作中に親が前面に出てきたら、面倒くさいじゃないですか。
下倉氏:
ああ、はいはい。
三木氏:
だから、“いじめ”について描いても、行為自体はあまり描かずに、頭を空っぽにして忘れてもらう“ある種のテーマパークにあるアトラクションに入ったよ”……みたいな演出にするように心がけていますね。
でも一方で、下倉さんがお作りになっている方向も「アリかな」と思ったのは、やっぱり18禁ということで“エッジが効いたもの”、“高校生向けではないもの”として、正面から見せられるからだと思うんです。
下倉氏:
うんうん。
三木氏:
さっきの“ルサンチマン”ではないですけれど、「自分ならこうする、こうしたかった」というのを描くのはエンタメの特権なんです。自分ではできなかった展開を、作品でやってくれることによるカタルシスはあります。
そこら辺をゲームでやるのは、確かにいいですね。ニトロさんの“良さ”みたいなところが、うまく出そうです。“ファンに喜んでもらえるものを作る”という部分が、うまく機能しているのかも。と言っても、外部の意見で恐縮ですけれども。
──「18禁であることを最大限活かす」という、そのこだわりはどの辺りにあるのでしょう?
下倉氏:
作品に対して“最大の効果を発揮するにはどういう表現がいいか”、という部分に尽きると思います。
今作の媒体は「美少女ゲーム」ですが、「主人公の顔が、絵にも描けないほど醜い」としても全然OKなんですよね。もともと主人公の顔が出てこない、一人称視点だから。
──醜い顔の主人公がいじめられている、という設定ですね。
下倉氏:
そう。“他人の心が読めるけれども、自分の顔がすごく醜い”という主人公は、顔を上げると「うわー、きっもー」みたいなヒロインの顔と心がわかってしまう。だから、ずっとうつむいて過ごしている。
「心が読める」ことを武器として使えば、本当はいろいろなことができるはずなのに、「気持ち悪い」と思われるのがイヤで、ずっとうつむいているという……そういう導入です。
──この導入部分だけ見ても“ゲームならでは”のできること、という感じがしますね。小説では難しそうですか?
三木氏:
いまの話なら全然アリですよ。どのぐらい直接的に描写するかが重要だとは思うのですが、学校生活で女の子に「きもい」と思われていると感じる経験は絶対あるはずだし。
一同:
(笑)。
──普遍的に「そういう経験あるよね」というシチュエーションは、共感を得られそうです。
三木氏:
エンタメは基本的に、冒頭でそういう嫌な描写があれば、クライマックスではそれが逆になるというか、ひっくり返るんですよ。
だから、「この嫌な状況を逆転、好転させてくれる未来があるだろうな」と思って読める。そういう面で見ると、ボクはこの題材はキャッチーだし、あらすじにも引っかかるから、よさそうだなと思いました。
『みにくいモジカの子』がストレートエッジでノベライズ化される?
──仮にですが、「ストレートエッジでノベライズさせてください!」という話が来たら、検討の余地はあるのでしょうか?
下倉氏:
そうですね……。同じ話をそのまま小説に起こして、それなりの効果は出ると思いますが──ただのファンアイテムになるのはイヤですね。
そのまま読んでも「面白かった」となる読書体験を提供するには、作品の根っこの部分をいじらないといけない感じはします。
──それは、よくノベライズを担当される作家さんも工夫されるところですね。下倉さんご自身が一度ゲームでやったことを、小説でももう一回やることはありえないのですか?
下倉氏:
それで面白いものになりそうなら、できると思います。ほとんど「一本道のゲームで」ということなら、小説ならではの強みを活かしたものをやりたいとは思いますね。
──この質問をした理由のひとつとして、いま「何か作りたい」と思っている人たちが、その“作りたいもの”をどこに持って行けばよいのか、すごく迷っているのではないか──と思っているからなんです。
小説の新人賞に応募するのがいいのか、ニトロプラスのシナリオライターになるのがいいのか。面白い物語を作りたいと考えていて、これから活躍したいと思っている人はどんなフィールドで、どんなことをやっていくのがよさそうでしょうか。
下倉氏:
ボクがいま、小説の投稿をしている立場だったら、きっと「小説家になろう」とかそういう場所にバンバン投稿して世の中の反応を見ながら、ものづくりをしていたと思いますね。
──それは、リターンの早さを重視して?
下倉氏:
いいことなのか、悪いことなのかはわかりませんが……ボクがwebで小説をやっていた頃は反応を全然もらえなかったし、「2ちゃんねる」とかでもらえる反応は厳しいものばかりだったので「お前らはわかってないと思うけど、俺はこれが面白いと思うんだ」と、逆境で自分の信念を育てたところはあると思います。ただ、それは危うさと紙一重ですね。
──厳しい批判で潰れていった人もいるはずですね……。
下倉氏:
でも、すぐに反応が返ってくると、ものづくりのやりかたが大きく違うと思います。ボクは、自分の信念をちゃんと認めくれた“ニトロプラス”に入ることができて、すごく幸せです。
三木氏:
シナリオライターと作家で、方向性はだいぶ違うのではないでしょうか。下倉さんの場合は、ある意味偶然“適合するスキル”をお持ちだったから、上手くゲームディレクションもできたと思うんです。
けれども、作家として書いたほうがいいのか「小説家になろう」で掲載したほうがいいのか、ゲームで出したほうがいいのか、ということを考えると、これは悩ましい……。
自分が創作する原動力というのは何かきっかけがあったと思うんです、それを信じるべきかな。たとえば、それが小説なのであれば小説を目指すべきだし、ゲームだったならゲームで、アニメだったらアニメで。
作品に影響を受けて、その人の“いま”があるなら、その人がいつか同じように作品を出して後続の子どもたちに影響を与えるというカタチができたほうが、失敗するしないにかかわらず、納得できるのではないかという気がしますね。
──あれ。下倉さんはそういう意味ですと、本来は……?
下倉氏:
ボクはライトノベルを読んで育ったので、ライトノベルに恩返しがしたいですね(笑)。
──現状と違う気がしますが(笑)。
下倉氏:
ボクは元々、作品の文体を好きになってライトノベルを読んでいたところがあるんです。秋山瑞人先生【※1】だったり田中哲弥先生【※2】であったり。ああいう方の文体の面白さがたまらなく好きなんですが、ゲーム業界に入って、そこの追求をやめちゃったところがあるんです。
文章ってゲームだと演出の中のひとつの要素でしかないので、そういったところでは小説の強みを活かして何かできることがあれば、チャレンジしたいなという想いはすごくあります。
※1秋山瑞人
小説家。1998年に電撃文庫より刊行された『E.G.コンバット』にてデビュー。代表作に『イリヤの空、UFOの夏』など。個々の作品と共にそこで使われる文体も魅力として挙げられることが多い。
※2 田中哲弥
小説家。1993年に電撃文庫より刊行された『大久保町の決闘』にてデビュー。独特なギャグ描写と文体にファンが多い。デビュー作を含めた『大久保町』三部作は後にハヤカワ文庫JAから復刊されている。
三木氏:
いまのお話ですと、やってもいいんじゃないかなと思いますね。ゲームをやることによって文章の追求ができなくなったから「諦めます」じゃなくて、「チャレンジしてみたいです」と言っているから。向いていると思いますよ。
下倉氏:
過去に小説を書いていた頃は、書くことに夢中で、何をやっているのかわからなかったと思うんです。けれど、距離が離れてみて、「ああ、ここがやりたかったんだな」という欲求として具体的になりました。
三木氏:
もしやるんだったら、やっぱりゲームでできないことをやっていただきたいですね。ゲームではたとえば「このシーンにイベントCGがない」といった“コストの問題”があると思うんです。
小説は、そういうことを振り払って自由に書けるというところがあるので、それにチャレンジにするのだったら、やりがいというか、やる意味があると思います。
──もちろん、ニトロプラスさんでたくさんご活躍されていく、というのがまずあるとは思いますが、もし小説でしかできないネタを思いついたときには、ぜひ「ストレートエッジの三木」という方に持っていくといいですね(笑)。
三木氏:
今日はそういう話だったの!?(笑)(了)
同じ“テキスト”を扱った生業にもかかわらず、「ゲームシナリオ」と「小説」には、アウトプット先だけでなく、その制作体制や過程、さらには作品に対する立ち位置など、テキストが仕上がるまでにはさまざまな違いがあった。
下倉氏は「18禁のゲームでなければ、できない作品をやる」と語るとおり、自身の作品を「ゲーム」という媒体に、全力を傾けて特化させている性質上、映像やアニメにメディアミックス展開させることは難しいのかもしれない。
では、小説化については、どうだろうか。
「作品の根っこの部分をいじって、それで面白いものになりそうなら……小説ならではの強みを活かしたものをやりたいとは思いますね」(下倉氏)と、今回の対談で、下倉氏自身が意欲を見せてくれたのは嬉しい限り。
いつの日か「執筆:下倉バイオ氏、編集担当:三木一馬氏」による小説が、我々の前に現れることを祈りつつ、それまでは、先日発売となったPCゲーム『みにくいモジカの子』などの作品で、“下倉バイオ”というクリエイターがゲームという媒体で表現した「物語」を味わってみてはいかがだろうか。
【あわせて読みたい】
【新連載】「とある魔術の禁書目録」は”格ゲー”世代? 鎌池和馬が語るゲーム史がラノベ作家に与えた影響【ゲーム世代の作家たち】実際に第一線で活躍するクリエイターに取材して、一体ゲームがどういう形で創作に影響を与えてきたのかを考えてみよう──というのが、この企画である。今回はその第一回として『とある魔術の禁書目録』などの作品で人気の作家・鎌池和馬氏に話を聞いてみることにした。
鎌池氏の過去の取材の話を読んでみると、基本的には映画から受けた影響の話をすることが多く、ゲームの話は見かけない。だが、取材を始めてみると、中古屋でプレステのゲームを買いあさっていた過去や『ディスガイア』のやりこみ話などが飛び出してくる。さらに、氏からは、格ゲーやソシャゲが各世代の作家に与えた影響についての独自の論も語られた。
ゲームはいかに他メディアの作家に影響を与えてきたか──風変わりな視点の連載の第一回目として大変に充実した内容となった取材の内容を、ここにお届けしたい。