素材を自分から要求し演出を作るプログラマー。その熱意は「企画にはゲームバランスへ注力して欲しい」一心から生まれた
西村氏:
たしかに、ゲームバランスは『2』になって凄く洗練されたような印象がありますね。
呉田氏:
そうだね。『2』。あの時僕が覚えてるのは、とにかく企画にはゲームバランスへ注力して欲しいっていう想いがあって。
いろんなゲームの仕様、演出とかなんとかっていうのを企画の人にやらせるんじゃなく、そんな時間があったらゲームバランスをとにかく考えてくれって言う風に話をして。ゲーム内の演出とか、画面内のものの動きみたいなものも、全部自分の方でやったんですよ。田口君に「こういう素材だけちょうだい」ってお願いして。
田口氏:
そうですね。素材だけ。
呉田氏:
デザイナーから「こういう演出にしよう」と言うんではなく、プログラマーのほうから「こういう演出にしたいから、こういう素材をください」と。
熊谷氏:
爆発シーンとかね。
──そういうディレクターみたいなことをできるプログラマーって、よくいるものなんでしょうか?
小早川氏:
あまりいないですね。
田口氏:
デザイナーに素材を求めるプログラマー(笑)。
一同:
(笑)。
熊谷氏:
プランナーが3~4人でなんとかなったのって、本当にゲームの中身に集中してて、演出を任せきれたからかもしれないですよね。全部を今のコンシューマゲームみたいに仕様書いていたら、とても終わってなかったかも。
呉田氏:
何をしたらどうなるとか、カードタッチしたら上にあがって、みたいなの全部どこにも承認取ってないんですよね。全部独断で組んで、演出を見てもらって、「OK」って言われて終わり。そういう時代でしたね。
熊谷氏:
今は考えられないね。
田口氏:
「仕様ください」になるでしょうね。それはしょうがない。
熊谷氏:
うん。時代が違うもんね。
小早川氏:
そうですね。ただ企画の人数も少なかったので、仕様以外の部分で企画の方もいろいろやらなくてはならないことも多かったです。カードイラストの発注とか、フレーバーテキストを書くとか。
呉田氏:
そうなんですよ。その辺まで企画がやってたから、ゲーム内の演出とかまでやってもらうことになると、本当に仕事が回らないんですよ。
小早川氏:
ゲーム調整だけじゃなくデバッグも自前でやるのが当たり前の時代でしたし。
西村氏:
そして土日は地方へ連れていかれる(笑)。
一同:
(爆笑)。
熊谷氏:
そうだねぇ。過酷だった。
小早川氏:
ただ、それぐらいやってても、やっぱりプログラマーさんには頭が上がらないぐらい、いろいろやっていただいたな、というチームでした。チームとメンバーに対する充実感は凄く高かったですね。
また、カードイラスト発注のような『アヴァロンの鍵』で色々試していたノウハウが、後にアーケードカードゲームとして大成功する『三国志大戦』へと引き継がれていったというのもありましたね。ゲームバランスがとにかく大事なんだっていう意識も『三国志大戦』へとフィードバックされていきました。
別会社からのヒアリング。『三国志大戦』や『クエスト・オブ・ディー』へと受け継がれたノウハウ
──『三国志大戦』に引き継がれた、というのはどういう意味なんでしょうか。『アヴァロンの鍵』とは別のチームですよね?
小早川氏:
セガのグループ会社ではあったのですが、別の開発分社で作られていたのが『三国志大戦』でした。当時、オフィスも違う場所にありました。
熊谷氏:
でもなんか、ヒアリングに来てくれてましたよね。何度か話をしてました。
小早川氏:
そうなんですよ。『三国志大戦』チームはとにかくよく話を聞いて、全て自分たちのノウハウにしようという意志が凄く強かったのが印象的でした。
呉田氏:
『クエスト・オブ・ディー』だってそうだよ。あそこもヒアリングに来てた。
熊谷氏:
それこそカードリーダーも同じ物を使ってたし。
呉田氏:
そうそう。細かいところで言うと、タッチパネルの決定画面って連打されることが多いので、押しちゃまずい選択肢は次の画面で同じ位置に出してはいけないとか、そういうノウハウを共有してました。
小早川氏:
確かに……当時のタッチパネルは精度も感度も今考えると非常に悪かったんですよね。今の人はもう静電式で快適なタッチパネルに慣れてると思いますが。
押そうと思ってもまともに押せない。逆にチャタリング、押すつもりがないのに二重に押されてしまったり。
呉田氏:
その辺の対策としてですよね。同じ場所に出しちゃいけない、っていうのは。
小早川氏:
コリジョン(当たり判定)なんかもプレイヤーの動きに即して丁寧に作ってましたよね。
呉田氏:
ああ、そう当たり判定もね。画面上に表示してるボタンと、実際ユーザーが押す場所ってどうしてもズレるんですよね。筐体の画面って基本的に真上とか真正面から見られなくて、斜めに見下ろされるから。
だから僕はちゃんと見た目と当たり判定をズラして、ユーザーが押したいと思った位置やタイミングで反応するようにしてました。
熊谷氏:
というようなノウハウを別のチームに共有してたんだよね。
小早川氏:
そうですね。あと、当時のモニターもブラウン管だったので今とは違ってちょっと画面が歪んでて、ズレちゃうんですよね。そういうのをプログラマーさんが一個一個調整してました。
田口氏:
それは初めて聞きましたね。さすが呉田さん、すごい。
小早川氏:
そういうノウハウも、当時の開発チーム間の交流とともに継承されていきました。ただでさえ別会社で、しかも当時のゲーム開発現場って全然オープンな環境ではなかった中で交流ができたというのは、必要な技術があれば、チーム間・会社間の壁を超えてでも知ろうとする土壌がセガにあったんということなんだと思います。
田口氏:
『三国志大戦』のチームから聞かれて印象的だったのは、良かったことよりも悪かったこと・失敗したことをとにかく教えてくださいって言われたことですね。
小早川氏:
たしかに。失敗談を凄く真剣に聞いていたのを覚えています。
熊谷氏:
今でも他社との技術供与みたいな文化って引き継がれてるんですか?
小早川氏:
いや、そこは今でもあまり変わらなくて(笑)。結局は「聞きに行ってなんぼ」というスタイルですね。
喫煙所でも食事時も、考え続けたゲームバランス。セガで最もMAYAを上手く使える新人。『アヴァロンの鍵』の開発は「誰ひとり欠けても成立しなかった」
田口氏:
いやでも最初に熊谷さんが言った通り「誰が欠けても」っていうのは本当にそうでしたね。
熊谷氏:
誰ひとり欠けても出来上がらなかったと本当に思う。
田口氏:
『2』でバランスよくなったという話がありましたけど、このバランスも最初金ちゃんがひとりでやってたんです。でもこのタイプのゲームってひとりで能力を考えるのは無理があるんですね。
もうひとり、藤澤さん【※】という人が喫煙席でコバ(小早川氏)とカードについて話してるのを聞いて。「『ドラゴンボール』で悟空とクリリンがお互いの頭のなかで戦うシーンを地でやってるやつがいる」と思いましたね。
数字を変えるとどうなるか、っていうのを脳内でシミュレーションしてて。「すげーな、このふたり」って。
※:藤澤智章氏。『アヴァロンの鍵』のディレクター。
呉田氏:
ご飯食べに行った時もずーっとゲームバランスの話をしてた気がする。
熊谷氏:
すごかったねー。
田口氏:
あとデザインで言うと、築島さん【※】がデカいんですよ。当時セガはソフトをMaya【※2】に移行するっていうタイミングだったんですけど、そこに19とか20歳ぐらいの、「セガで最もMayaを使える男」が新卒でポコッと入ってきたんです。あれデカかったです。
※:築島智之氏。『アヴァロンの鍵』では3Dデザイナーを務めた。
※2:オートデスク社による3次元CGアニメーションソフトウェア。
熊谷氏:
オープニングムービーをひとりで作ってましたね。
小早川氏:
「天才現る」って感じはありましたね。確かに。
熊谷氏:
エヴァンジェリスト(伝道師)みたいな感じだった。
小早川氏:
実際Maya使いとしてどんどん進化して、今ではMayaの開発元にいっちゃいましたからね。
一同:
(笑)。
呉田氏:
作ったところに行っちゃうっていう。
熊谷氏:
本当に、何度も言うけど『アヴァロンの鍵』は誰が欠けてもできなかった。