ファンコミュニティを作る方法論は「20年前に全部やってる」。
──リリース当初やリリース後、ゲームを取り巻く界隈が「いかに盛り上がったか」というようなエピソードなどはありますか?
呉田氏:
「魔導の世界へようこそ」のイベントはリピーターがいたよね。
西村氏:
リピーターもそうですし、一緒に全国回ってくれるお客さんもいましたね。地方へ行く機会にもなるから、といってどこにでもついてくる、そういうファンが何人かいました。
熊谷氏:
ネットワークがつながっていないゲームだったというのもあって、いつも遊んでるゲーセンだけじゃなく、プレイフィールドを変えるために遠征に行くみたいな活動にもなってたような印象ですね。
田口氏:
自分はセガが開催したステージイベントが一番印象に残ってますね。
西村氏:
「SEGA GameJam 2005 遊びな祭!」ですね。『バーチャファイター』とか『頭文字D』とかの大会と合わせて、『アヴァロンの鍵』のステージイベントをやったんです。
田口氏:
そうです。
西村氏:
数百人のお客さんが集まって、『アヴァロンの鍵』に関する書籍の先行販売とかもして。そもそも書籍の編集さんも『アヴァロン』が好きで、イベントに来てはステージに上げられていじられてた、という経緯もありましたし。
小早川氏:
僕が2015年に出した『チュウニズム』というゲームだと、1台の筐体に20~30人並ぶみたいな「人の数」の盛り上がりだったりしたのですが、『アヴァロンの鍵』の場合は、数というよりとにかく一人一人の熱量が凄かった印象ですね。
たとえば当時、九州でコミュニティを作ってくれていた方々なんか、20年近い昔のタイトルなのに、今度20周年を記念してイベントをやりたいって問い合わせをしてくれたんです。とにかくコアなプレイヤーの熱が非常に高いタイトルだったなという印象がありますね。
西村氏:
最初の方でもちょっと言ったように、イベントでゲームをできないので、他のコンテンツを提供するしかなかったんですが、それが逆にユーザー側の結びつきを強めたというか、ある意味「濃い」コミュニティを形成するきっかけになったのかなと思います。
僕は『アヴァロンの鍵』以降、『ボーダーブレイク』とか『チェインクロニクル』とか、ユーザーコミュニティを重視するようなコミュニケーション手法をとっていくんですが、その場でも『アヴァロンの鍵』でうまくいった方法をトレースするようなかたちで実施していることも多いです。
『アヴァロンの鍵』のおかげだなと思いますし、このあいだ「ファンコミュニティはこう作る!」みたいな本を読んで「あれ、これ20年前に全部やってるな……」と。
一同:
(笑)。
呉田氏:
先に本を書いておけばよかったかも(笑)。
西村氏:
いやいや、そんなおこがましいことは言えないですよ。さっきの発言も十分おこがましいんですけど(笑)。
『アヴァロンの鍵』と『ボーダーブレイク』の客層は似ている?『イニシャルD』は?『バーチャファイター』は?ゲームごとのファン層の違い
──『ボーダーブレイク』と『アヴァロンの鍵』でお客さんの雰囲気とかに違いはありますか?
西村氏:
もちろん客層自体は違うんですが、熱量は近い印象ですね。
──それは先ほどもお話のあった「オフライン」ならでは、という部分も影響しているんでしょうか。今だとDiscordやX(旧称Twitter)など、まずネット上のコミュニティが形成されますよね。
西村氏:
そうですねぇ……やっぱりゲームセンターという場所があって、そこにいけば会えるというリアルなコミュニティが基礎になっている部分は大きいと思いますね。
呉田氏:
店ごとの色もあるからね。
西村氏:
地域ごとにも、やっぱり変わりますし。
熊谷氏:
殺伐としているところもあれば、逆に柔らかいムードの場所もあるよね。一度、イベントモードで誰も勝ち負けが決まらないようにずーっとグルグル回して遊ぶやり方をしてるところを見たことがあります。
小早川氏:
地域差で言うと、ハウスルールが結構厳しいゲームでもありましたね。このカードは使うな、という暗黙の了解があったり。
熊谷氏:
狭いコミュニティで色んな文化が生まれてたから、逆にオンライン版が当時にできてたらどんな世界だったのかなとも考えちゃう。ただそうなると、あの時のコミュニティと同じものはできてないよね。
呉田氏:
うん、だいぶ違ったかなと思います。
田口氏:
『アヴァロンの鍵』のプレイヤーはみんな優しかったですよね。殺伐としてても。
西村氏:
お客さんの空気というのはやっぱりタイトルの特性によって全然違いますね。『WCCF』も違うし、『頭文字D』もまた違う。
熊谷氏:
『頭文字D』はなんか、凄かったね。
小早川氏:
リアルに『頭文字D』を体現したいファンが遊んでましたからね。当時の走り屋の雰囲気そのままに、ゲームの外でも、リアル『頭文字D』って感じの雰囲気を漂わせてた(笑)。
西村氏:
『WCCF』もチームがそれぞれあって、全国大会で抗争してましたね。
熊谷氏:
ギルド戦みたいなね。
西村氏:
そうそう(笑)。
小早川氏:
『アヴァロンの鍵』と『ボーダーブレイク』で近いなと思ったのは、どっちのゲームも対戦相手の動向を読むのが重要なんですよね。『アヴァロンの鍵』だと、相手がホルダーに突っ込んでいくなら、あえてほこら近くで待ち構えておくとか。
相手の動きを意識しないとゲームが成立しないという意味では『アヴァロンの鍵』と『ボーダーブレイク』って似ているなと思いました。
西村氏:
ゲーム性が似ていると、ユーザーの空気も似てくるのかもしれないね。
今なら問題になったかもしれない?激しい客いじりと、忘れ得ぬ事件の思い出
小早川氏:
イベントでも、『バーチャファイター』なんかは強いプレイヤーが主体になって進行するんですが、『アヴァロンの鍵』は強いとか上手いとかじゃないんですよね。
ゲームが得意じゃなくても、「ディープシーカー」のぬいぐるみを持ってきたらイベントの主役になれる。楽しめる人の種類が多いというか、切り口がいくつかある感じのイベントをやってたのが特徴でしたね。
西村氏:
そうですね。持ってるカードが多いとか、デッキを組み上げるのが上手いとか、絵が描ける、物が作れる。そういういろんな方向でユーザーが自分の個性を表現できたように思います。
小早川氏:
西村さんのファリシテーションが良かったのもありますよ。あれだけ多様な人たちを、手を変え品を変え、取り上げ続けて。
西村氏:
今やったら問題になるかもしれないですね(笑)。
田口氏:
相当、いじってましたからね。
熊谷氏:
うん。相当いじってた。
小早川氏:
お客さんの中にカードが好きで、すごくたくさんカードを集めてた子がいたんですけど、それを西村さんが引き上げて。そしたら「もっと頑張ろう」って言って、最終的にはカードショップを始めたという。
西村氏:
そうですね。その子は、凄く悲しいことなんですけど、秋葉原の連続殺傷事件で被害にあわれて。セガ関係者でお通夜に参列させていただきました。
田口氏:
行かせていただきました。『アヴァロンの鍵』で知り合った子たちも来てて、いろいろと思い出話をしました。今でもユーザーさん同士の付き合いがあると思う。
西村氏:
悲しいことでもありますが、でもあのコミュニティの人たちは、ずっと彼のことを覚えてるでしょうね。
小早川氏:
そうですね。ああいうお客さんが生まれるようなコミュニティというのは、今でも「目指したいな」と思ってものづくりをしてますよ。西村さんはやっぱり凄かったです。
西村氏:
いやまあ、振り返ったらそうですね。今はファンコミュニティが重視されてますけど、当時は何もわからないまま無我夢中でやってましたからね。
田口氏:
なんか楽しんでる人たちがいる、ぐらいの認識でやってましたもんね。後から振り返って云々、とか考えもしなかったし。でも西村さんが本当にどんな人が来てもちゃんと拾うから面白かったですよ。
熊谷氏:
ほんとほんと。ゲーム制作だけじゃなくて、プロダクト全体として「誰が欠けても」なんだよ。ケンサクみたいなプロモーションをやってくれる人がいなかったら、やっぱりここまでにはなってないもんね。
私はとても壇上に立てないから、いつも柱の陰から「今日も盛り上がってるなぁ」って見てた(笑)。
西村氏:
ユーザーが描いたうろ覚えの絵をみんなに見せて笑っていじる、とか今考えると大問題ですけどね。
熊谷氏:
そこはまあ、確かに(笑)。
『アヴァロンの鍵』は「最初で最後のヤンチャ」
──さて、そろそろ締めに入らさせていただこうと思います。最後に、皆さんにとって『アヴァロンの鍵』はなんだったのか、聞かせてください。
西村氏:
じゃあ、僕からですかね。僕は入社して初めてメインで担当したプロジェクトだったというのもあって、とにかく無我夢中でいろいろやって、経験を積んで。僕にとって『アヴァロンの鍵』は、プロモーション担当として独り立ちするきっかけになったタイトルでもあります。
プロモーションを打つ際の考え方の根本はこの時の経験がベースになっているので、僕にとってはゲームのプロモーションやマーケティングの原点かなと思っています。
呉田氏:
自分はセガに入って、たくさんのゲームを作ってきました。でもタイトルのファンがいる、に留まらず「ファンがコミュニティを作る」というゲームを一度作ってみたいと思いながら、ずーっと作れないまま開発を続けていて。
いつか作りたいなあと思っていたその体験にようやく巡り合えたのが『アヴァロンの鍵』で。市場が盛り上がってる姿を見ながら、たとえばアリが大繁殖した時なんかも、ゲームセンターで実際に見て頭を抱えたり(笑)。
そういう、ユーザーの悲喜こもごもを目の当たりにしながら、次に活かそう、バージョンアップでなんとかしようと、心から思ったタイトルです。本当に関われてよかったと思うし、いいスタッフに恵まれたなあと思います。ちょっと上手くまとめられないですけど……。
田口氏:
『アヴァロンの鍵』ってもう20年前のタイトルになるわけですが、「こんな面白いゲームは二度と作れないだろうな」と本気で思いました。これは別にセガがダメになったとか、自分のクリエイターとしての力量とかではなく、全てのバランス、タイミングが噛み合った結果、デザイナーとして自分の持てる力をまんべんなく使えたな、という実感があったんですね。
規模感もよかったし、自分の体力的な問題もあるし。あと、いまのタイトルって作家さんとのコネクションとか、そういうものをしっかりビジネスに繋げないといけないんです。でも自分はそういうタイプじゃない。『アヴァロンの鍵』は作家さんと繋がるんだけど、でも別に作家さんを囲い込んで、自分たちの財産みたいに扱うってわけでもないぐらいの時期。
色んな意味で、タイミングのいいタイトルだったなと思いますし、奇跡だったなとおもっています。
小早川氏:
私も西村さんや田口さんと同じ感想にはなってしまうんですが、入社して初めて関わったタイトルが『アヴァロンの鍵』でした。
それから20年間……『アヴァロンの鍵』が生まれてからの時間というのは、僕自身のキャリアの時間でもあって。この『アヴァロンの鍵』で得た経験や知識というものを駆使して、その後の20年間やってこれたと思いますし、ここに全てが詰まっていたようにも感じます。
そして、私がいまこのタイトルを超えているかと言われると、まだ超えてないと思っています。私にとって『アヴァロンの鍵』は原点にして未だ越えられない壁であり、いつか超えたいゲームです。
──では最後に、熊谷さんお願いします。
熊谷氏:
なんだろう。ずーっと考えてたんだけど、なかなかまとまらない。個人的に言うと、「一番最後にやったヤンチャ」という感じですね。最初で最後のヤンチャ。
それ以前は、自分がヤンチャをするというより、周りのヤンチャの後始末をさせられることが多かったんです。
でも常に自分のなかに、こんなゲームが出たらこうなるんじゃないか、みたいな仮説は持っていて。でもなかなかそれを実現するようなチャンスも来ない。そんななかで、ヒットメーカーも今潤ってるし、余裕も出てきた。プリプロから始めさせてくれる開発の体制も許されそうだし、技術的にも面白い機械が出てきて、楽しそうだし。
さっき「タイミング」って話がありましたけど、私にとっても仮説を積み上げて実現するタイミングだなと思えたので、やりました。このタイトルの後は、自分はもっとビジネスライクなプロデューサー業に転換していかざるをえなくなったので、結果的にも最後の機会でしたね。
でも当時、「世の中にないものを出すぞ」ということを許してくれたセガもそうだし、実現した技術の人や我々ソフトウェア作ってる側もそうだし、「よくやらしてくれたな」と思う。本当に、奇跡の時代だったと思います。
──今あらためて、当時のようなことをやろうという気持ちはありますか?
熊谷氏:
ヤンチャを、ですか?
──そうですね。
西村氏:
やってくださいよ。
熊谷氏:
いや、でもそんな自分語りをするべきじゃないような。
一同:
(笑)。
小早川氏:
いいじゃないですか(笑)。せっかくですから。
熊谷氏:
まあ、そうですね……。仮説って積みあがっていくものなので、「こうなったら」とか「自分だったら」というのはずーっと思っているものがきっとあるはずですよね。
あとは「いつか叶えてやろう」という意識はね、もしかしたら情熱が湧いてくるかもしれないですよね。そもそも、アーケードでファンタジーをやりたい、というのは10年ぐらいは考えてたんですよ。最後に言うことじゃないんですけど(笑)。
1988年に『ロストワールド』をやったとき、恐竜を3Dのポリゴンで再現したんです。当時、まだポリゴンでナマモノを再現するということ自体が超レアだったんですよ。
呉田氏:
難しかったよね。
熊谷氏:
難しかった。でも、できるようになった。じゃあ、「ドラゴン、実現できるじゃん」と思って。で、『マジカルトロッコアドベンチャー』でドラゴンを出した。ファンタジーをアーケードでしっかりやりたいと思ってたんですよ。10年越しの実現。
小早川氏:
全部つながってるんですね。
熊谷氏:
だから、みんなにもたまに言うんですよ。「諦めなくていいよ」「企画なんか、10年くらいかかってパッと花開くことがあるから」って。
小早川氏:
きっと熊谷さんには、その繋がった先がまだあるんですよね。
熊谷氏:
まあ、小早川さんにもね。
小早川氏:
はい。僕もまだ、『アヴァロンの鍵』を超えることはできてないので(笑)。
呉田氏:
僕はもうこのゲームを作った事で満足した(笑)。
──今日お話を伺っていて、改めて「セガっていい会社なんだな」と感じました。
熊谷氏:
そうだねえ。
呉田氏:
僕はもう引退しちゃってますけどね(笑)。
小早川氏:
セガという会社にいて、全てが良いといえるわけではないですが、とにかくいいクリエイターが凄くたくさんいる会社だと思ってます。
熊谷氏:
間違いない。
田口氏:
物を見る目も高いし。優秀だし。
西村氏:
今思い出したんですけど、ゲームのサービスが終了した時に、ゲームは遊べなくなるのにカードは残るじゃないですか。これをどうにかしたいなと思って、カードだけで遊べるボードゲームを作りましたよね。
熊谷氏:
あー! やったやった。
西村氏:
これなんか本来の仕事とまったく関係ないのに、小早川と藤澤でルールを考えて、出したんですよ。サービスを終了した後まで考えるタイトル、なかなかないなと思って。ほんとうに、素晴らしかった。
小早川氏:
紙アヴァロン、懐かしい。
熊谷氏:
ちょっと、話尽きないから。この辺で。
小早川氏:
そうですね、すいません。ありがとうございました。
一同:
ありがとうございました。
──ありがとうございました。(了)
開発チームのみなさんが口をそろえて語る「誰が欠けてもできなかった」という言葉こそが、本作の制作にどれほど情熱を注ぎ、またお互いを信頼していたかを証明しているようで、胸が熱くなりましたね。
また、熊谷氏が最後に語っていた「企画なんか、10年くらいかかってパッと花開くことがあるから」という言葉には、まさしく熊谷氏のたどってきた歴史を感じさせる、深い含蓄があったように思われます。
本インタビューを読んでくださった皆さんも、生きているだけで毎日歴史を刻んでいます。いつか、未来でなにかを成し遂げた時。過去にあったさまざまな体験や経験が、現在の達成に寄与していることを感じることでしょう。
本稿が皆さんの未来を彩る、歴史の一ページとなれたなら幸いです。