「バグ」と「グリッチ」ってどう違うの? それぞれの言葉の広まり方から探ってみた

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それでも子どもたちに広まっていく「バグ」

 とはいえ、ファミコンブームが1985年9月登場の『スーパーマリオ』によりまさに大爆発する中、子どもたちの間にも「バグ」という言葉が少しずつ浸透していく。このころ継続的に「バグ」を掲げ、子どもたちに影響を及ぼした媒体としては、主にJICC出版局(現・宝島社)の『ファミリーコンピュータ必勝本』と、角川書店の『コンプティーク』が挙げられる。
 『ファミリーコンピュータ必勝本』は1985年6月に第1巻が発行され、その後半年ほどで3巻まで続刊されるという好評を博した、ファミコン攻略本のはしりのひとつだ。特に1巻と3巻では、表紙にも「バグ・隠れキャラ全集」と銘打って子どもたちの目を引いた。さらに1986年春に『ファミコン必勝本』として雑誌化した際には、裏技の類の紹介コーナーを「バグボーイ情報局」と名付けて、「バグ」という言葉を知っていることが最先端の証だという主張を鮮明にしている。
 一方『コンプティーク』は、1985年7・8月号でファミコン用『ゼビウス』の“無敵コマンド”をいち早く紹介して脚光を浴びると、翌9・10月号で「バグ&隠れキャラ大集合!!」と銘打った特集を組んでいる。同誌は先の引用にもみられるように、アーケードからパソコンまで各分野のマニアックなライターを擁していたこともあり、『必勝本』に対抗する意図があったのだろう。1986年2月号では「バグ&隠れキャラ大辞典」を別冊付録にし、その勢いをかって『マル勝ファミコン』が創刊されることになる。

 これらをはじめ、1986年前半にはファミコン雑誌の創刊が相次いだのだが、一方でこの時期のファミコンソフトは、ディスクシステムの登場のみならず、カセットでも大容量ROMの価格低下の恩恵を受け、プログラムやデータの規模が急速に拡大しつつあった。加えて、本連載の「クソゲー」の回でも触れたようにサードパーティーが続々と参入していたのだから、ソフトの規模に対してデバッグが不十分なケースが発生するのは、もはや必然だったといえる。
 それに対する子どもたちも、ファミコン雑誌にあおられて、鵜の目鷹の目で裏技の類を探し回る。結果として、画面が異常になる、ゲームが停止するなどといった事象が続々と明らかにされた。

 そんな中、『ファミマガ』1986年8月15日・9月5日合併号の「超ウルトラ技100+1」で、カプコンの『魔界村』の“技”が「スクープ! 魔界村バグ面大行進の巻だ」として紹介された。一方同じ『ファミマガ』でも、同年4月から5月にかけて『スーパーマリオ』のいわゆる「マイナス面」が紹介されたときの誌面には、「バグ面」という言葉は見当たらない。

『ファミマガ』1986年8月15日・9月5日合併号 (「ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータMagazine」付録DVDより抜粋)

 つまりおそらく、“技”を投稿するくらい熱心な読者からのハガキに、「バグ面」などの表現が当たり前に出てきていたのだろう。そしてそれが『ファミマガ』編集部にも許容されはじめたのが、この1986年の中ごろのことだったと考えられる。
 この後のファミマガでは、たとえば同年11月7日号に「画面上部だけバグってしまったゴエモンであった」という一文が登場するなど、「超ウルトラ技」コーナーで「バグ面」「バグる」などの表現が普通にみられるようになっていった。

内部の「バグ」と表層的な「バグ」

 こうして、ファミコンブームの渦中の子どもたちも「バグ」という言葉をカジュアルに使うようになった。結果として、ひと口に「裏技」などといっても、おおまかには次のように分類できるという共通認識はできあがったといえる。

1) 「隠れキャラクター」「隠しコマンド」など、開発側が意図的に仕込んだ要素
2) 画面やキャラクターの異常な表示をはじめとする、開発側の意図や想定を外れているとおぼしき挙動
3) 「キンタマリオ」に代表される、プレイヤー側のこじつけに近いもの

 ここでいう2)が、「グリッチ」に相当することはおわかりいただけるはずだ。ただ日本では、2)の中でもプログラムのバグとは言いがたい、プレイヤーの故意による異常な挙動まで、「バグった(バグってる)」と称されることが少なくなかった。
 具体例としては、電源スイッチを素早く入切したり、パソコンであればフロッピーディスクを勝手に入れ替えたりというようなものが挙げられる。パソコンの知識のあるマニアの中には、そんなものまで「バグ」呼ばわりするのはどうなのかという疑問を抱く向きもあっただろう。

 とはいえ、新語や外来語が受け入れられてゆく過程で、言葉のもともとの意味とは異なるが、表面上の印象には近いものが、ひとつにくくられてしまうことは、しばしばある。「ジュース」が、慣用としては、果汁や野菜汁と無関係なソフトドリンクも含むことがあるのがいい例だ。
 「バグ」も同様に、プログラムの誤りという内部的な“原因”ではなく、その“結果”として視聴覚的に認識される、表層の異常性と結びついた印象が、ファミコンブームとそれを支えた雑誌等の媒体によって確立したわけだ。これにより「バグ」は、電子機器全般の表層的な異常動作をも意味するようになった。
 たとえば、液晶表示のデジタル時計がもう電池切れ寸前で、表示が薄くなるだけでなく、数字が正しく読み取れなくなっているようなときに、まず間違いなく電池切れだと分かっていても、ぱっと見で「バグってる」と呼ぶ。これは俗っぽいのは確かにしても、ファミコンブームが直撃した40代以下の世代では珍しい話ではない。このような意味合いにおいての「バグ」は、「グリッチ」に直接置き換えられるくらい、ほぼ同じ言葉ということになる。

 もちろん「バグ」が、プログラムの誤りそのもの、あるいは内部的な論理の矛盾・考慮漏れなどの不都合を指す場合は、これに当てはまらないので、今後もそのまま使われ続けるはずだ。しかし、特に21世紀生まれの若い世代に関しては、「画面がバグってる」より「グリッチ」のほうが有力な表現になったとしても、そう驚く話ではないだろう。

あえて「バグってる」ゲームたち

 ところで、前々回の記事では、「リセット」をメタフィクション的に扱ったゲーム作品にいくつか触れた。
 これに似たようなケースとして、「バグった状態」、あるいは「グリッチ」をあえて演出として取り入れたビデオゲームもある。『スペースインベーダー』のデモ画面で「INSERT CCOIN」(「C」が重複している)などのメッセージのミスをインベーダーが直しに来るという仕掛けは、ごく初歩的なもののひとつだろう。

 音響面では、たとえば日本ファルコムが1985年に発売したパソコンRPGの大ヒット作『ザナドゥ』に、主人公の持ち物の中の食糧がなくなると、BGMが音痴になって“空腹”を表現する手法がある。
 また、セガが1988年にアーケード向けに送り出した『ゲイングランド』は、管理コンピューターが暴走した戦闘疑似体験施設が舞台という設定で、タイトル画面の映像と音響にノイズが使われている。エンディングには、管理コンピューターのメッセージとして表示される文章が、部分的に意味不明のままになっているという趣向も盛り込まれていた。
 文字や文章の異常についてはほかにも、表示枠を無視する、あるいは同じ場所にいくつも重ねて表示するなどの手法があるが、特にホラー的演出としては、これらの異常を突如繰り出して心理的インパクトを与えるといった使いかたも見受けられる。

 さらに、アマチュアや同人・インディーズの作品にしばしばみられる、パロディーやメタフィクションを主題に据えたゲームの中には、マップやイベントの仕掛けがそもそもバグだらけ(のように見える)というものもある(『Strange Telephone』『PARTIAL WORLD この不完全な世界 ver0.20』など)。
 そのようなゲームでは、たとえば「演出上のバグ」を回避したり逆手に取ったりして先に進むこと、あるいはバグを見つけ出すことそのものが目的になる。凝ったものでは、プログラムやスクリプトなど、仕掛けを構成しているコードに手を入れ、いわばゲーム世界を“再構築”してバグを解消することがプレイヤーに求められたりもする。

たとえば、ホラーアドベンチャー『Strange Telephone』では、世界の歪み具合(グリッチ)が画面左上に数値として示されている

 このように、ビデオゲームを題材としつつ、パロディーや謎解きとしてバグの回避・利用や解消を取り扱うという趣向は、漫画などとしては、「ファミコン漫画」が勃興した1980年代中盤から少なからず試みられてきた。ゲームを題材とした小説や漫画がネットで日々発表されている昨今では、もはや珍しくもないネタかもしれない。
 しかし、バグとの対峙を第三者として鑑賞するのではなく、プレイヤー自身がこれに臨んで試行錯誤するという、メタフィクションらしさが存分に込められた体験となると、やはりビデオゲーム以外ではなかなか味わうことは難しい。

※なお、やや趣旨が異なるが、ゲーム向けプログラミング環境の入り口としてこの種の体験を取り入れた例として、『ハックフォープレイ』 が挙げられる。

 ただ、このようなビデオゲームは、開発する側にしてみると、規模のわりには骨が折れる代物に違いない。なにしろ、演出として“作り込んだ”バグをプレイヤーに味わってもらうわけだから、正真正銘のバグがあっては興ざめ以外の何ものでもない。開発者の心理としても、演出としてバグを作るという奇手を打つ以上、「ミイラ取りがミイラになる」のことわざを思い起こさせるような事態は、慎重に避けたいところだろう。
 であればこそ、この手のゲームの傑作には、「うまく説明できないほど優秀である」という誉め言葉として「バグってる」を贈りたい……とは思うのだが、うかつに使うと誤解を生じかねないところが、どうにも悩ましい。

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著者
コンピューター文化史研究家。2013年より約2年間、ブログにて 「やる夫と学ぶホビーパソコンの歴史」を連載。その際、1999年末まで約20年分の日経産業新聞縮刷版にヘトヘトになりながら目を通した。
Twitter: @Kenzoo6601

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