黄金寺のモデルと思わしき「万松院」や、ご神木
『ゴースト・オブ・ツシマ』は、主人公である境井 仁が小茂田浜での戦闘で躯となった武士の中から立ち上がり、冥府から蘇りし伝説の「冥人(くろうど)」として蒙古軍と戦う……というメインストーリーが描かれる。仁は弟思いの野盗「ゆな」に助けてもらい、生きながらえる。
そんな彼が一時身を寄せるのが対馬の南側に位置する黄金寺。迫力のある仁王像に長い石造りの階段。これは地元民であればすぐにピンとくる構図だ。おそらく黄金寺のモデルは対馬の港町である厳原(いづはら)にある「万松院(ばんしょういん)だ」と。
長い石段の上には対馬をおさめてきた歴代宗家のお墓があるのだが、筆者が幼少期のころには「この階段を目視で正しく数えられたら願いがかなう」という迷信が子どもたちの間で信じられていた。
ここは、宗家の先祖やその奥さんの冥福を祈って作られたお寺だ。火災に見舞われて本堂は再建されているが、100段を超える石造りの階段や、その先にある歴代宗家の墓石は荘厳かつ霊験あらたかな雰囲気をまとっている。『ゴースト・オブ・ツシマ』でも墓所がいくつか出てくるが、中にはこの万松院の墓によく似ている場所もある。
宗助国公のモデルとなった志村家の墓所に行ってみると、石造りのお墓や立ち並ぶ灯ろうなど、近しい雰囲気が感じられた。
この万松院の中でも特徴的なのは、なんといってもこれだ。樹齢約1200年とも言われているスギの木が、3本もそびえている。このようなご神木は、『ゴースト・オブ・ツシマ』の黄金寺や拠点となる場所でいくつか描かれている。
歴代宗家の墓所ということもあって、大陸と日本を紡ぐ場所に位置する対馬の歴史的なエピソードは万松院にて多く語られる。しかし、ここでそれを語り始めると『ゴースト・オブ・ツシマ』の話と離れてしまうので、残念だがここでは割愛する。
ツシマの地形と対馬の地形を比較
さて、記事冒頭で実在する地名が出てきたと説明したが、次はどれだけ現代の対馬と一致しているか、マップを見ながら主要な場所をピックアップして見ていこう。
まず『ゴースト・オブ・ツシマ』は、対馬全土を冒険できるというとんでもないスケールの作品だ。筆者は発売当時マップを開いた時に本気でたまげた。全部、いいんですか?……と。
こうして対馬全体の画像と比較してみると、中央に位置する浅茅湾以外はとてもそれっぽくなっている。しかしながら浅茅湾は先述したように複雑怪奇に入り組んだリアス式の海岸で、これをオープンワールドRPGとして冒険させるのは至難の業というか、移動するのが普通にめんどくさいと思う。
『ゴースト・オブ・ツシマ』ではツルツルになってしまった浅茅湾だが、ゲームとしてはこれで正解な気がしている。
対馬は日本の離島の中だと、沖縄を除く佐渡島、奄美大島に次いで3番目に面積の広い島だ。一番下から上まで全長約82㎞とかなり縦長の島で、遠出するのであれば車はほぼ必須というTHE・田舎の島。『ゴースト・オブ・ツシマ』ではススキの平原などが目立つ土地だったが、実際は8割が自然林の山と海で構成されている(一応、部分的にススキ原がある場所も、存在はしている)。
前述したように、大陸と日本の本土のちょうど中間地点に位置していることから、遣唐使や遣隋使が出発する港としても使われ、朝鮮通信使など古くから外国との交流窓口となっていた。一方で、蒙古襲来、慶長の役、朝鮮戦争、日露戦争など……戦場や、戦場へ向かうための経路や軍港にもなりがちな、軍事基地のような側面もある。
次に位置関係だが……『ゴースト・オブ・ツシマ』の対馬(對馬国)マップは下半分が厳原(いづはら)、中央部が豊玉(とよたま)、上部が上県(かみあがた)となっている。うん、まぁ、大体合ってる!
厳原は現代だと対馬の主要な港町で、本来はマップでいうと南東側にある。豊玉は中部にある町で、上県というのは、対馬がまだ「対馬市」になる前に呼ばれていた名だ。地元民の間では、上対馬(かみつしま)と表現することが多い。
厳原は、徒歩圏内に役場、スーパー、病院、薬局、郵便局、食事処やコンビニが集まっており、歩いて数分で釣りや登山が楽しめる場所や、車を20分ほど走らせたら海水浴、キャンプ、シーカヤックでも遊べるという恵まれたフィールドだ。最近ではワーケーションがてら来島し、滞在する人もいる。
では、主要な場所の位置関係を見ていこう。まずは『ゴースト・オブ・ツシマ』のオープニングシーンで合戦場となった小茂田浜。
これは実際の現地と照らし合わせてみると、本来の小茂田浜は少し南側に位置していることがわかる。大陸が西側にあるので、蒙古軍が攻めてくる方向と、大体の位置としては一致している。
次に金田城だが、これは大きく東側に位置がズレている。前述したように、金田城は対馬の中央部にある浅茅湾の南側に位置する城山を囲むように築城された山城だ。
『ゴースト・オブ・ツシマ』では国境を守るための城が、大陸側ではなくなぜか日本海側にあるという不思議な状態になっている。物語の進行上、豊玉に向かう前に金田城に行く、といった状況がちょうどよかったのかもしれない。
ちなみに、『ゴースト・オブ・ツシマ』で金田城が建っている位置には、現代だと万関橋(まんぜきばし)という赤い橋がかかっている。もともと一本の島としてつながっていた対馬を人工的にくりぬいて、軍艦が浅茅湾にはいれるよう掘削された場所にかかった橋だ。
そして、城山がある場所の付近はゲームでは「小茂田の入り江」と記されており、浅茅湾に浮かぶ蒙古軍が一望できる。現実の対馬であれば、ここに城山と金田城がそびえたっている。
次に紹介したいのは対馬の霊山であり地酒の名前にもなっているほど地元民から親しまれている九州百名山の一つ、白嶽(しらたけ)だ。位置的には浅茅湾から少し南側にある。
『ゴースト・オブ・ツシマ』内の白嶽が位置する場所にはコミュニケーションを苦手とする白染屋さんがいた。彼は、服や鎧などを「城岳の雪のごとく美しい白に染め上げることができます」という。
『ゴースト・オブ・ツシマ』には、「白嶽」そのものは登場しないものの、白嶽がモチーフとなったと思われる城岳と白岳という似通った名称の山が存在する。
『ゴースト・オブ・ツシマ』の城岳は、ゲーム内でいうと北部に聳える山岳だ。刀に焔を纏う業を習得できる場所として配置されている。同じく、北部に位置している白岳には頂上に祠がたっており、装備が手に入るようになっている。
そして、こちらが現実の白嶽だ。白嶽は、対馬では昔から霊山として扱われている。現在は登山も可能で、てっぺんからみる景色は「すげー!」の一言。対馬の南側を一望できる絶景は必見だ。
山岳地帯の多い対馬、特にリアス式の海岸である浅茅湾では、灯台をいくつ設置しても足りない。そこで漁師たちは白嶽にさしかかる雲や風の流れを見て、天気を読むというエピソードがある。これが、結構な確率で当たるのでなかなかばかにできない。
筆者もシーカヤックでお客さんをガイドしている際は、よく数時間後の天気をみる際に使っている。ちなみに、白嶽の頂上付近の祠の中には小さな錨(いかり)が奉納されている。それだけ、漁師に親しまれているということだろう。
ちなみに、白嶽の標高は約520メートル。「あ、結構小さい山なんだ」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが……そこは対馬。ほぼ海抜ゼロの位置から登ることになるので、もし登頂に挑戦する場合は登山靴や手袋など、準備は万端にすることをおすすめします。
『ゴースト・オブ・ツシマ』から見る対馬の暮らしと景色
次に、『ゴースト・オブ・ツシマ』の舞台にて生きるツシマの人々の暮らしと、現実の対馬の人との共通点を挙げていく。
まずはこちら。仁がゆなと共に蒙古に侵攻されそうになっている鑓川(やりかわ)を守る戦いの直前。二人が酒盛りを始めるシーンがある。最初は夕方だったが、映像を見る限りすっかり日が落ちて何杯も酒をかっくらっている様子が見て取れる。
対馬にも、いわゆる「島飲み」の風習がある。日本の離島はそれぞれ異なる島飲みスタイルが確立されているようだが、仁とゆなの飲み方は、対馬の50代以上の方々がよくやるポピュラーな飲み方に近い。
一回、飲み始めたら深夜3時ごろの店が閉まるまで飲み続け、翌日の仕事にグロッキーな状態で出勤するという恐ろしいスタイルだ。どう考えても健康を害する飲み方なので、皆さんは真似しないでほしい。なお、若い子たちはそういう無茶な飲み方はあまり好まない傾向にあるので、今後はまた違ったスタイルへと推移していくと思う。
対馬の南側には豆酘(つつ)と浅藻(あざも)という村がある。『ゴースト・オブ・ツシマ』の南側にも同様に2つの集落が存在しており、場所によっては海藻(たぶん、昆布)が干してある様子が見てとれる。
対馬には、昔から海岸に漂着した海藻などを干して食べる風習がある。昔は土地が痩せており、あまり米が食べられなかった対馬の人々にとって海藻は貴重な栄養源の一つであった。対馬の海では4月~5月ごろにアオサが生い茂る。仕掛けた縄にかかったアオサを川の淡水でジャブジャブと洗い、干してから出荷する。
このアオサが絶品で、味噌汁などにいれると対馬の海の風味を堪能できる。ちなみに、筆者はたまにカップヌードル(シーフード味)などに投下して食っている。
次は石積みで段差が作られた畑。これも対馬にある。筆者の実家の畑はこのような形状をしていた。小茂田の付近では上記の画像に近い形の畑を見ることもできる。
先述したように、昔の対馬はあまり米が育たない痩せた土地であったため、芋とかそばを主に食べていた時期がある。中でも飢餓を救ったといわれている食料が「せん」、さつまいもを発酵させて作る保存食で、千の手間がかかることからその名がついた。
乾燥させた団子状のものを「せんだんご」、それを調理した郷土料理が「ろくべぇ」と呼ばれている。対馬の飢餓を救ったさつまいもは、島民からは「孝行いも(こうこいも)」とも言われたりもする。
『ゴースト・オブ・ツシマ』の作中では、ところどころで食料の描写も見られるので、ぜひ探してみてほしい。
『ゴースト・オブ・ツシマ』の作中では、川などで釣りを楽しむ住民も見られる。実は、対馬は釣り人にとっては広く知られている場所で、観光客が少ない時期でも釣り客は常に途絶えず対馬に足を運んでいるほど。
そのほとんどが海釣りで、船を貸し切ってのフィッシングや、岩礁に立って荒波を前に釣り糸をたらし大物を狙う人もいる。また、釣り好きの芸能人などもお忍びで来島し、楽しんでいることも。
次は炭焼き窯だ。『ゴースト・オブ・ツシマ』の作中ではちょくちょく炭焼き窯らしき施設が建っている。上記の画像は、主人公のさかいを救ってくれたゆなに同行している際に、ゆなの旧知の人物いちの宿にて撮影したものだ。
対馬ではかつて炭焼きが盛んで、城山にも巨大な炭焼き窯の跡地が残っている。炭焼きが盛んな時代は山に入る人が多く、山菜をとったり、しいたけなども多く栽培されていた。現代では山に入る人は、年々減少傾向にある。
『ゴースト・オブ・ツシマ』には「河童が現れたから助けてほしい」という浮世草(サブストーリー)が展開されるが、その正体は賊であったというエピソードとなっている。実際の対馬でも、各地で河童の存在をほのめかす伝説が言い伝えられている。
実際、私自身も河童にまつわる不思議な経験をしたことがある。
学生のころ、先輩と共に学校の裏の川を毎日のように散策していると、一か所だけ深く、底が見えないようになっている場所が見つかった。そのすぐ近くには小さな石づくりの小さな祠がそっとたたずんでいる。おそらく、雨が降って水位が上がると水の底に沈んでしまうような位置に配置されている不思議な祠だ。
私は先輩とそこにきゅうりをそなえ、翌日見にいくと半分に折れていたのを確認した。更に翌日足を運ぶと、きゅうりは綺麗になくなっていた。獣の仕業か、河童が持って行ったのかは不明だ。
次は、作中に出てくる石造りの橋だ。「こんなに都合よく平たい石があるだなんて、なんて都合の良い世界なんだ」と思われるかもしれないが、対馬の海岸にある一部の堆積岩は本当にこの形状をしており、実際に建築材料として広く使われている。
上記の画像は対馬の石材を使った建物としては代表的な石屋根倉庫。前述した「ろくべぇ」の原材料である「せんだんご」を主に保管した食糧庫として、100年以上経った今もなお現役で活躍しているというとんでもなく頑丈な建物だ。
石を屋根の材料として使用した理由は複数考えられる。ひとつは、瓦を購入するお金がなかったこと、もうひとつは、超重量で石の基礎と石の屋根で倉庫をサンドし、ちょっとやそっとの暴風では吹き飛ばないようにするためだ。この石屋根が葺かれた当時は、もちろん重機などなかった。紐で縛って村人総出で持ち上げている様子が現地の写真におさめられている。
こちらの景色が、切り出される前の堆積岩だ。見てのとおり、最初から板状のものなので加工がしやすかったという。まるでマイクラの世界のようで、ちょっとかわいい。
ちなみにこういった石材は屋根のほかにもいろんな所に使われている。一例として、前述した万松院の石段も元は海の石だ。ほかにも対馬の神社仏閣の階段や基礎などには、この平たい板状の岩が広く使われている。
対馬の民にとって、この岩はなくてはならないかけがえのない存在だ。しかも、100年たってもビクともしない。環境にもよるが、コンクリート構造物より長持ちしている場合もある優れた密度を持つ建材と言える。
※余談だが、筆者は環境コンサル企業で構造物の測量や点検をしていた時期があった。
次はこちら。牢人の仲間たちに飯を食わせるため、對馬の民を裏切り蒙古側についてしまった竜三(りゅうぞう)との戦闘後に見られる灯ろうだ。
対馬では、一部の地域である時期になるととうろうを流す風習がある。ほかにも、約350基の灯篭と手にもった提灯に明かりを灯し、お墓をお参りする「万松院まつり」も毎年開催されている。
次は、対馬の中でも驚くべき美しさをほこるものを紹介したい。それは……夕陽!
もはやどっちが実写かわからない。
もう『ゴースト・オブ・ツシマ』をプレイしたことのあるユーザーであれば一度は体験していると思うが、本作の景観の中でも突出して息を飲むほどの美しさを誇る夕陽。それは実際に対馬でも拝むことができる。
対馬で見られる夕陽は、日本の中でも一番韓国に近い場所で望むものになる。水平線の向こうには大陸が広がっており、季節や条件が揃えば肉眼で韓国を見ることもできるほどだ。この美しさは、写真ではおそらく10%も魅力を伝えられていないと感じている。
見慣れている地元民ですらこの夕陽は感動するので、やはり実際に見に来てほしいところ。その他にも、多数の「対馬」と「ツシマ」の似通った部分はあったのだが、あまりにも多すぎたので、その中でも特に気になったもののみ抜粋してここに掲載している。
ツシマの生き物と対馬の生き物
まず、本作が発売されて以降、私がお客さんをガイドしている際に一番多かった質問を紹介したい。トップクラスに増えた質問が、「対馬って熊はいるんですか?」というものだ。
その質問が出た時点で、地元民で、しかもゲームをプレイしているのであれば「あ、この人は『ゴースト・オブ・ツシマ』をやってるな」と邪推してしまう。なぜなら、対馬に熊がいたという記録はないし、今までそんな質問をしてきた人はほぼ居なかったからだ。実際、対馬に熊は生息していない。
ついでにいうと、キツネも居ない。もし、『ゴースト・オブ・ツシマ』をプレイして「キツネに逢いたくてしょうがない」という方がいたら、申し訳なくなるくらい一匹も居ない。
しかし、キツネも熊もいません、というだけではあまりにも浪漫がないので、一つ神社にまつわるエピソードを紹介させてほしい。
作中で、仁はキツネさんに導かれてお稲荷さんの前でお祈りするシーンがある。対馬は100以上の神社が建っている場所で、神々が非常に身近にあった時代が最近まであったらしい。
というのも、潮位の変化で海に鳥居が沈む景色が有名な和多津美神社(わだつみじんじゃ)の参拝客であるおばあちゃん(自称83歳)が、「昔は馬飛ばせ(競馬)している時に、豊玉姫さま(女神)が応援してくれた」と、さも当然のように語って聞かせてくれたことがあるからだ。
神々からダイレクトに応援されるとはなかなか豪華な体験だが、おばあちゃんに「それは、いつ頃ですか」と聞いてみると、13歳の時と言っていたので、当時からすると約70年前ということになる。もしかしたら、住民にとって神社や神様というものは、現代よりずっと身近な存在だったのかもしれない。
筆者は霊感を感じる体質ではないが、神社に連れて行ったお客さんの中には、不思議な体験をする人もいる。お参りをしたら「何かにつつまれた感覚になった」「女の人のような、いいにおいがした」など。人によって内容はさまざまだ。
次は、対馬のマスコットキャラクターこと「ツシマヤマネコ」だ。耳の後ろが白く、マヌルネコのようにずんぐりとした体型、丸い尻尾などが特徴的。『ゴースト・オブ・ツシマ』にも、それっぽい猫が登場する。
現在は交通事故などの影響か生息数がかなり減っており、保護するための活動が行われている。私も野生のツシマヤマネコを見たのは幼少期に山の中で一度きり。道に落ちているフンなどで何を食べているのかくらいは確認できるが、野生の生体を確認するのは難しい。
一部の地域では、ツシマヤマネコは「田ネコ」とも呼ばれている。これはツシマヤマネコがほとんど田んぼの稲刈りなどで山に逃げるネズミやカエルなどを捕獲しに姿を見せるためらしい。地域によっては、「普通に見れるよ」という農家さんもいるくらいだが、やはり稀な状況だ。
次は鹿とイノシシだ。
対馬の鹿は主にツシマジカという種で、かつては天然記念物として扱われていたが、昨今は数があまりにも増えすぎて、農作物への被害や土砂災害への影響などさまざまな弊害がうまれ、駆除対象となってしまった。イノシシも狩猟の対象で、対馬の数少ないハンターたちが主に罠猟で捕獲している。
長崎県の推定個体数で計上されている推定の中央値では、ツシマジカは約4万8000頭ほどに増えていると報告されている。2024年4月時点での対馬の人口は2万6094人。鹿に数で圧倒的に負けてしまっている状態だ。
イノシシについては、江戸時代中期の農政家である陶山訥庵(すやまとつあん)が約30万人の領民を動員して一度殲滅している。……のだが、対馬の住民がつがいのイノシシを放ってしまい、それがまた増えまくってしまった。という逸話は地元でよく語られている。
現在は、イノシシも鹿も捕獲されたものは加工されて食べられるようになっているので、あなたがもし対馬に来ることがあったら、ぜひ食べつくしていってほしい。対馬の椎の実やどんぐりを好んで食べているせいか、旨味があっておいしい。
次は、『ゴースト・オブ・ツシマ』で切り離せない存在。仁の相棒であるお馬さんだろうか。移動手段だけでなく、一緒にお昼寝をしたり、道中、仁が馬に声をかけたりと、重要なシーンでもしっかり活躍する馬のヒロインっぷりは必見だ。
さて、現実の対馬にはどんな馬がいるかというと、対州馬(たいしゅうば)という固有種がわずかに生き残っている。体躯は小さくポニーのような風貌をしているが、昔は荷運び馬として重宝されていた。傾斜の多い対馬では、足が短く坂に強い対州馬は貴重な存在であった。
ところが、島外に出荷されたり、鉱山での酷使労働によって大幅に数が減少。現在はだいじに育てられ、少しずつ頭数が回復する傾向にある。気性はおとなしい子が多く、飼育員さんの努力の結果か、近づいてなでたら喜ぶ。
次は蜂だ。『ゴースト・オブ・ツシマ』では、ハチの巣を攻撃して敵を襲撃させるというえげつない戦法がとれる。
現実の対馬では、蜂洞(はちどう)と呼ばれる独特な養蜂が行われている。丸太中身をくりぬいたり、木で組んだ枠を山の斜面などに設置すると、不思議なことに「ニホンミツバチ」しか定着しないというものだ。
対馬の住民は、蜂洞に根付いたミツバチから年に一回だけ3分の1のみハチミツを採取し、のこりはミツバチの赤ちゃんや越冬用に残しておき、また翌年に採取する、という共生スタイルをとっている。
対馬の花々から作られた純度の高いハチミツは百花蜜(ひゃっかみつ)とも呼ばれ、筆者が計測したところ糖度が脅威の80以上を記録。まさしく純粋な蜂蜜と言える。その味わいはできる年や場所によって異なるが、フルーティーな酸味や深みのあるコクが特徴となっている。
『ゴースト・オブ・ツシマ』は水辺や沼地にホタルも出現する。フォトモードでもエフェクトとしてホタルを出現させられるので、撮影にぴったりだ。
現実の対馬には、主に3種類のホタルが出現する。春頃に出現する清流に生息するゲンジボタル、山の中で激しく点滅するツシマヒメボタル、そして、秋頃には対馬にのみ生息しているアキマドボタルが対馬の最南端に位置する豆酘(つつ)などに出現する。
ほかに、生き物として気になったのはやはりクジラだろうか。『ゴースト・オブ・ツシマ』の北部ではクジラの肉が干されている様子が見て取れた。対馬でも1986年に法律で禁止されるまでは捕鯨が行われていた。現代でも、網にかかってしまったものは食用として加工されており、ごくたまにスーパーなどに並ぶこともある。
ほかにもカエルや鳥類など紹介したい生き物は山ほどいるが、あまりにも細かいネタなので割愛させていただく。次は植物を紹介しよう。