VRはコンピューターの転換期だと確信した瞬間は?
西田氏:
まぁ、そうですね(笑)。実際GOROmanさんが言っていることの一部は、25年前に話を聞いているんですよ。25年前にVRの第1ブームが来たときに、VRを研究している人たちが、こうなるだろうと話していたことの一部なんですよね。
そのときはまだ今ほどグラフィックが良くなかったので、グラフィックのクオリティを上げて、ある程度の身体との同一性を高めれば、ある領域に到達できると思っていたんですけど、それでは足りないよと指摘をしている人もいたりして。その「それでは足りないよ」と指摘している人が言っていることが、今ちょうど起きているんですね。
で、それを実際に動かしているので、本当はこうするべきだったんだな。とかっていう、たとえば“手を動かしたときのプレゼンスを剥がれないようにするにはどうすればいいか”とか、“快適にするためには、ここまでしか動かさないほうが良い”とか、そういう知見が本当に貯まってきている状況なんですよ。研究者の人ってスゴイですよね、30年先を本当に見ているので。
ドリキン氏:
今日もやりながら思ったんですけど、GOROmanさんが言う「“キモズム”のこっちと向こう側の違いってなんなんだろう」って思ったときに、キモズムがマスに行くときには、想像力で補わないぐらいの完成度にならないといけないな、と思っていて。キモズムの時代で、我々が感動するためには、けっこう自分たちの想像力が、その環境を補わなきゃいけないんですよね。
西田氏:
そうですね。
ドリキン氏:
それが、もう想像力がなくても、誰が感じても理解できるという状況にまで完成度が高まった瞬間に、キモズムを超えるんだなと思って。
コンピューターとかインターネットとかチャットとか、全部同じで。初期の頃は色々不便もあったけど、それを想像力とか、スキルでなんとか上回って、便利だと思っていたんだけど、それが真にそういう余分なことを考えずに便利になった瞬間に、誰もが使って、当たり前になる世界になるので。
だからVRは本当に、今日Oculus Touchに触れて見てなにか見えた気がした。これはヤバイっていうのが。きっとGOROmanさんが2002年ぐらいに「これはヤバイ!」と思った世界の感覚を、ボクは10何年遅れて“今”感じたんだろうなと思ったら、エンジニアとしてはちょっと反省すべき点が多いなと思いましたけどね。
西田氏:
いやいや、ボクも本当の意味で、ヤバイ。たとえば「これから技術的に来るよな」って意味ではなくて、ありとあらゆるものを変えるかもしれないという、本当の意味でヤバイと思ったのは2016年の6月ですよ。
ドリキン氏:
あ、そうなんだ。いや、ボクも以前──そもそもOculusが出る前──VRはゲーム業界を盛り上げるためでも、盛り上がって欲しいよねって話を言ってたじゃないですか。あのときのレベルと、今のボクの期待値は何十倍も変わったというか。
「VRが人を変えてしまう」と感じたE3での体験
西田氏:
ボクが、VRはやっぱり圧倒的に人を変えちゃうかなと思ったのが、2016年の6月にE3【※】に行ったとき。PSVRにも出ている『バットマン:アーカム VR』っていうタイトルを体験する列で待っていたんですね。
※E3
Electronic Entertainment Expo.の略称。毎年5月中旬から6月初めの間の数日間、ロサンゼルスで開催される世界最大のコンピューターゲーム関連の見本市。
で、ボクの前の1人──まぁ、ボクと同じようなIT業界のしょぼくれたおっさん──が、プレイし始めたわけですよ。で、HMDを被るわけですよね。このゲームは、自分がバットマンになって、町の中に出て行って謎を解く。っていうものなんですけど、HMDを被って、バットギアを付ける操作をし始めると、前に立っているおじさんが、どんどん立ち方がバットマンになっていくんですよ。背筋が伸びて。それを見た瞬間に面白くてしょーがなくて。
結局、映像の中で起きていて、自分が体を動かして何かになるという体験をすることで、自分の体が変わっちゃってるわけですよね。ということはそれって、すなわち今までボクたちが、画面の中でいくら見ても、その中に没入する感覚って、ある程度限定されていたわけですよ。もちろん今までもあったんですよ? たとえば、それこそブルース・リーの映画を見た後には、必ず強くなった気分がしたじゃないですか。それと本質的には変わってないんだけど、それが、後ろから見ていてみるみる変わるぐらいに影響を与えるメディアってなかなかないですよね。
じゃあそれが、仕事の中でどうなるとか、エンターテイメントでどうなるかとか、やってみると圧倒的に自分たちの中に与えてくるものが違いますよね。それがはっきりわかったのが、本当の意味で自分が「あ、そうだったんだ」と、今ドリキンさんが感じているレベルで体の中に染み込んだんです。
それまでは“産業的に確実に成功する”とか“色々な価値がある”という、ある種、表層的とは言わないけど“何となくの”理解だったのが、“これは明らかに世界を変える”という確信が取れたのがそこですね。
ドリキン氏:
ボクは1カ月前ですね、じゃあ。我々の記録に残しとこう(笑)。いや、前に話していたときは、「しょせんVRは3DテレビとかHDRテレビとか4Kテレビみたいな感じで、4Kテレビは世の中に普及するのかとか3Dテレビは世の中に普及しなかったよね」というレベルでの考えだった。「ただ、かなり可能性はあるよね」っていうぐらいの感覚でのボクのさじ加減で話していたんだけれど、もうこれは違う。完全にコンピューターの……。
mazzo氏:
転換期に立ち会ってしまったという。
ドリキン氏:
そうそう。もうコンピューティングはこっちに行くしかない。さっきの話でいえば──冒頭の話に戻りますけれど──Windowsアプリが、言ってもデスクトップとモバイルで同じアプリで動く環境にしても、もうアプリが進化しないというのは、実はもうMacとかWindowsとかiOSとかいうレベルではなくて。2画面の液晶で動かすソフトウェアという意味ではボクとしては「もう行きついちゃった」感があって、そこに劇的な……。
西田氏:
ディスプレイの上にものを出すって、机の上の紙で作業をしていたっていうパラダイムを置き換えたものにすぎないんですよね。VRは、そのパラダイムを大きく変える可能性があるので……。
ドリキン氏:
その意味ではもう、ある意味VRと比較しちゃえばiOSとMacOSの議論とか、もう五十歩百歩みたいな。
mazzo氏:
どうでもよくなっちゃう。
ドリキン氏:
そうそうそう。本当にそう思う。だって、あの『Quill』とか『Medium』とかやってみても、絵心とかはないけど、「なにこの空間でモデリングしている感覚!?」っていう。あれはせきぐちあいみさん【※】みたいに「3Dの中で6時間やってます」とかも、気持ちわかるもんなと思って。ちょっとね、スマホ対PCは五十歩百歩の世界に見えてきた。
※せきぐちあいみ
1987年生まれ。日本のアイドル、タレント、女優、歌手、youtuber、VRアーティスト。「ロンリーデジタルパフォーマー」としてデジタルコンテンツを中心に活動。YouTubeのチャンネル登録者数は59,000人を突破。
VRがキモズムを超えるために必要なこと
西田氏:
この辺が、結局やっぱりキモズムのこっち側だと、2時間のこの話の中でピンとくる人にしかわからないわけですよ。
ドリキン氏:
これね、ボクもさっきもツイートしたんですけどね、絶対伝わらないですよね(笑)。
mazzo氏:
HMDを人に被せるのも相当大変じゃないですか。
西田氏:
そうなんですよ。
ドリキン氏:
しかもこれは、被せて1回や2回じゃ無理な気がするんだよな。
mazzo氏:
そう、わかんないと思うなこれ。
西田氏:
要は「被せました、15分間海の中に入った体験をしました」じゃダメなんですよ。それで変わるものもあるかもしれないけど、もっとスゴイことがたくさんあって、その中で2時間とか3時間暮らすっていうのを何回も繰り返すと、「なんで私は、こんな世界にいるんだ」という、仮想の世界と実際の世界の違いっていうものの面白さというのが、本当に体の中に染みついてくるので。
ドリキン氏:
本当に仰る通りで、1回目被ったときに“ピピッと来るか来ないか”という感覚とは全然違くて、それをある程度自分の体に染み込ませたときに出てくる感想って、やっぱり1回や2回のときではないんですよね。ただ、これは伝えようがないんですよね(笑)。
西田氏:
それが伝わるときっていうのが、キモズム越え。要は『ポケモンGO』と『Ingress』の差ですよね。『ポケモンGO』は何も説明しなくて良かったわけじゃないですか。おそらくVR、ARも何も説明しなくても、「この中にこんなに素晴らしい世界があるんだ」というのが伝わる“何か”ができあがった瞬間に、バチンとスイッチが切り替わるんだろうなと思っているんですよね。
mazzo氏:
『ポケモンGO』に相当するものがキモズムのこっち側にあるVRで必要なわけですね。
西田氏:
それはもしかすると、ボク自身の中でも『Mikukus』の先にあるのかもしれないなとは思っています。
ドリキン氏:
まぁ、全然先かもしれないですけどね。でも、GOROmanさんと比較したら10年遅れているのかと思ったけれど、ここはまだキモズムのかなり初期段階であることも確かなので、かなり早い段階でこのキモズムを見つけられたことはうれしかったですけどね。
西田氏:
言ってしまえば、GOROmanさんが先から見ていたのって、Alto【※】を見てきて帰ってきた人レベルなわけですよ。それで、2015年とか2016年とかに、こういうことがあって気づいた我々っていうのは1984年に Macを触って「そういうことか!」って言った人に近いんだと思うんです。
ドリキン氏:
それです! 本当にそう思います。そこから20年、我々はパソコンオタクとして虐げられてきたわけじゃないですか(笑)。
西田氏:
で、20年経ったら、みんなが普通にiMacとか買い始めたわけじゃないですか。
ドリキン氏:
本当にそう。初めてMacとかパソコンを触ったときの感覚を今日は思い出した気がして、次の20年どころか30年コミットすべき世界が見えた気がした。
西田氏:
そのために我々はうん十万を払っているっていうのがね(笑)。ある意味それは大切なことなんだけど。
ドリキン氏:
この間ツイートされていた話にもつながるやつですね。自腹切っている説を唱えていただきました(笑)。
若干極端な話。2007年6月末から7月、アメリカで発売したばかりのiPhoneを見て、「分析のために自腹になってもいいから買って帰る」と言ったエンジニアは今でもバリバリ活躍していて、「会社で決済出そうにないからいい」と言った人は見かけなくなった。世の中そういうところはある。
— Munechika Nishida (@mnishi41) December 3, 2016
mazzo氏:
2007年のiPhone問題ですね。
西田氏:
2007年のiPhone問題ですよ。そこで、金払って、経費で切ってくれるかな? って思ってやめちゃダメなんですよ。むしろ自腹切って買って、無理やり会社に金を出させるぐらいじゃないと。
ドリキン氏:
ボクも常々、会社の経費でガジェットを買って批評している奴は意味ないっていう持論を言って、色々な人から反感を買ってますけど(笑)。それをあたかも正当化してくれるようなツイートがあったので、思わずボクも乗っといたんですけどね。
西田氏:
それで苦しければ、それを正当化したうえで、満足感なり金銭的なりなんとか取り返す手段を見つければいいわけじゃないですか。
ドリキン氏:
散財をすることで、どれだけ必死になるかって話ですよね(笑)。
mazzo氏:
だんだん正当化の話になってきてる(笑)。ただ、それは正しいと思うね。そこにコミットしないとわからない部分はあると思うんですよね。