「まるで水墨画のようなモノトーンの世界の中を、少年は危険なトラップをかいくぐりながら、先へと進んでいく」
上記の一文は『LIMBO(リンボ)』というゲームの概要……ではない。これが『LIMBO』のほぼすべての内容だ。たったこれだけの内容にも関わらず、というよりだからこそ、『LIMBO』は面白い。それは本作が、ゲーム中の各要素を最小限度にまで削ぎ落として磨き上げる「ミニマリズム」と呼ばれる手法を用いることで、その表現の効果を最大限に高めているからだ。
『LIMBO』は決して新しい作品ではない。最初にリリースされたのは2010年と、今から10年以上も前のことだ。
『LIMBO』がリリースされたのは、ちょうどインディーゲームの存在が多くの人々の注目を集め始めた時期だ。デンマークのPlaydeadという当時は無名のゲーム会社が送り出した本作は、「インディーゲームとは何か」を体現するタイトルのひとつとして、世界中で広く受け入れられた。その理由としては、先に挙げたようにゲームの各要素を最小限度にまで絞り込んでいくミニマリズムの手法が、少人数で開発を行うインディーゲームと相性が良かった点にある。
本作のミニマリズムがどれほど徹底されているか、端的に分かる例を挙げてみよう。この文章を書くにあたって、PS4版の『LIMBO』を改めてプレイしてみたのだが、PlayStation Storeからのダウンロード容量は、わずかに185.2MBしかない。ダウンロード後にPS4本体にインストールされた容量を見ても、せいぜい190MB弱だ。今時のゲームでは、アップデートのパッチですら1GB超は当たり前だというのに、本作は200MBにも満たない容量で、一度プレイしたら二度と忘れられない、奥行きのあるゲーム体験を提供してくれている。
以下では、ミニマリズムがもたらす『LIMBO』の表現の豊かさを、より具体的に見ていこう。
文/伊藤誠之介
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モノクロームの画面と環境音がプレイヤーに不安感を醸し出す
『LIMBO』でまず目を惹くのは、まるで水墨画のように、画面のすべてがモノクロームの陰影だけで描き出されている点だ。主人公である少年もシルエットで表現されており、まん丸に光る2つの目だけが生気を感じさせる。ちなみにこの2つの目は、光を失うと少年が死亡したことを意味するという、ゲーム的な記号の役目をも担っている。
本作はいわゆる2Dプラットフォーマーと呼ばれるゲームジャンルだが、画面をよく観察すると、主人公が歩いたり登ったりできる場所はやや濃い黒色で表現されている一方、ゲームに関与しない背景の景色はやや薄くなっており、微妙に区別されている。これはおそらく視覚的な記号というよりも、プレイヤーが無意識のうちに感じ取れるレベルの直感的な差異を意図しているのだろう。
こうした微妙な濃淡や、遠くが霧でかすんでいるような“ぼかし”の表現によって、色彩を削ぎ落としたモノクロームの画面であっても単調なビジュアルにはならず、まさに水墨画のように幽玄な雰囲気を醸し出している。
そしてもうひとつの特徴は、ゲーム空間から聞こえてくる「音」だ。冒頭の場面で聞き取れるのは、森の草木が風に揺れるわずかな音だけ。先へと進んでいっても、雨音や電灯のノイズ、機械の動作音など、基本的には周囲の環境音しか聞こえてこない。ごく一部の場面でBGMらしきものも流れるが、はっきりとしたメロディーはなく、純粋なBGMなのか、それともゲーム中の世界で実際に流れている音なのかという区別は曖昧になっている。
このように環境音そのものを「音楽」として提示するのは、アートの世界で「ノイズ・ミュージック」と呼ばれる手法だ。モノクロームの画面にノイズ・ミュージックといえば、筆者が即座に連想したのは、映画『イレイザーヘッド』などに代表されるデヴィッド・リンチ監督の作品だ。
デヴィッド・リンチ監督の映画でもそうだが、モノクロームの画面と環境音のノイズは受け手に対して、その陰影の中に何かが潜んでいるかのような落ち着かない不安感を与えてくる。その不安感が、次に紹介する本作のストーリーと絶妙にマッチしているのだ。モノクロームの画面とBGMを極限まで排除した音響は、単なる簡素化ではなく、作品に最もふさわしい表現スタイルを選択しているがゆえだというのが、よく分かる。
「語りすぎない」ことで、プレイヤーの心の内に物語を描き出す
『LIMBO』のゲームプレイは、薄暗い森の中で少年が目覚める場面から始まる。
このモノクロームの画面の中で、プレイヤーは少年を操作して、ひたすら先へ、先へと進むことになる。少年が進んでいるのはいったいどういう場所なのか、そしてこの少年は何を目指しているのか、ゲームの中で具体的に語られることは一切ない。
PlayStation Storeの『LIMBO』のページには、「運命に逆らい、妹を探して少年はLIMBOの世界に足を踏み入れる。」という一文が記載されている。だがこのわずかな文章すら、ゲーム内ではまったく言及されていない。
というのも、音声によるセリフはもとより文字による表示すら、通常のゲームプレイからは完全に排除されているためだ(さすがにゲームプレイを中断したメニュー画面などには、文字による説明が存在する。しかしここでも、ストーリーなどについての解説はない)。その意味では、ゲーム外のストアに記載されたこの文章が、本当にゲームの内容を表しているのかという確証すら、何もない。
タイトルになっている「LIMBO(リンボ)」とは、カトリックの神学用語で、日本語では「辺獄(へんごく)」と訳されている。辺獄は天国と地獄の間に存在している場所であり、洗礼を受ける前に死んだ幼児の魂や、イエス・キリストの降誕以前に死んだ善人たちの魂が、この辺獄に留まるのだという。
少年がたったひとりで危険に満ちた場所を進んでいくこのゲームの内容は、この辺獄の定義とどことなく相通じる気がしないでもない。とはいえ、このゲームの舞台がキリスト教世界で言うところの辺獄なのかどうかは、まったく分からない。
それよりも興味深いのは、この謎に満ちた旅路で少年が出くわすものたちだ。森を進んでいく少年の眼前には、巨大なクモのような怪物が出現して、その長い足で襲いかかってくる。このような生物は他にもいくつか登場してくるが、こうなると少年の旅する世界は現実のものなのか、それとも夢や幻想の中での体験なのかということすら、曖昧になってくる。
またゲームを進めていくと、この世界には主人公の少年以外にも、子どもたちの集団が存在していることが明らかになる。ところが、主人公よりもやや年上に見えるこの子どもたちは、少年に対してさまざまな形で攻撃を加えて、その生命を奪おうとするのだ。
ひょっとしたらこの世界は、核戦争か何かで大人たちが全滅し、生き残った子どもたち同士で弱肉強食の生存競争を繰り広げているのかもしれない。まるでウィリアム・ゴールディングが執筆した小説『蝿の王』の物語のように……。
正直なところ、このゲームの世界にあれこれ想像を巡らせても、ゲームの中で明言されていない以上、決して答えが出ることはない。だが一方で、ゲームの中で語りすぎていないからこそ、登場するキャラクターや風景は、プレイヤーの想像力をいっそう強く刺激する。そしてその背後にあるものに想像を膨らませていくうちに、自分の内側にある種のイメージが生み出される。そのイメージは、ゲームから直接語られるものよりもずっと不気味で、不安な感情を与えてくれる。なにしろそれは、自分自身の心の奥から生み出されたものなのだから。
ここで明言しておくと、少年が先へと進んでいく旅路の果てには、明確な終わりが存在する。そこでプレイヤーはある場面を目にすることになるのだが、その場面をどう受け取るかということも、プレイヤー自身に委ねられている。それがどのようなものなのかは、ぜひ自分自身で到達して確かめてみてほしい。
「初見殺し」のユーモアと行動の幅をあえて絞り込むことで得られる、パズルの絶妙な難易度
ここまではビジュアルやストーリーといった要素を見てきたが、『LIMBO』の実際のゲームプレイはどうなのか。
先に説明したように、本作は一般的に2Dプラットフォーマーと呼ばれるジャンルだが、テンポ良く反射神経で切り抜けていくというよりは、ひとつひとつのトラップを頭脳をフル回転させて解き明かしていく、パズル要素の強いゲームとなっている。
トラップを解き明かす過程は、いろいろな行動を試しては失敗することで正解を探し出す「トライ&エラー」が基本になる。……というと挑戦する気持ちも萎えるような高難易度を想像するかもしれないが、そうではない。『LIMBO』のパズルは画面をじっくりと観察して、頭を働かせることで正解にたどり着くことのできる絶妙な難易度だ。
しかもクリアした瞬間に「そんなのアリ!?」と叫ぶのではなく、むしろ思わず「なるほど!」と唸ってしまうフェアなものとなっている。
『LIMBO』のパズルが絶妙な難易度になっているのは、もちろん徹底したプレイテストによる調整のおかげだろうが、そうした調整とは別に、ゲームそのものから読み取れる理由が2つある。
まず1つ目は「トライ&エラーがあまり苦にならない」という点だ。
『LIMBO』のトラップは文字通りの「初見殺し」で、主人公の少年を操作して先へと進んでいくと、初見ではまず気づかないタイミングで即死するギミックが発動する。そのあっけなさに思わず、呆然としてしまう。
しかも少年のやられ方がまた、クモの足に突き刺されたり、巨大な岩に押しつぶされたり、電動ノコギリでバラバラにされたりと、手を変え品を変え、じつにバリエーションに富んでいる。これがもし血の色も生々しいカラーの画面で描かれていれば、刺激が強すぎるかもしれない。
だが実際には、簡素なモノクロームのシルエットになっているおかげでマイルドになっており、むしろ「次はどんなやられ方が見られるのか?」という、暗いユーモアのようなものすら感じられる。
パズルを解く際のトライ&エラーでも同様で、その過程では何度も繰り返し倒れることになるのだが、リスタートが容易なこともあいまってあまり悲壮感はなく、逆に何度も何度もおかしなやられ方をする少年の姿を見てふと笑い出してしまうという、妙にハイな気持ちになってくる。
とはいえ、解法の糸口がなかなか見つからなければ、さすがにイライラしてしまうはずだ。そこで『LIMBO』のパズルが絶妙な難易度になっている、もうひとつの理由が生きてくる。
今回改めてプレイして気づいたのだが、『LIMBO』ではプレイヤーが実行できる行動の種類自体が、極限まで絞り込まれている。ボタン操作は「ジャンプ」と「アクション」の2種類しかなく、そのうち「アクション」は木箱などのアイテムをつかんで押したり引いたりすることと、各種のスイッチをON/OFFすることしかできない。それ以外に実行可能なのは、本当に左右に移動することだけで、他の2D横スクロールゲームにありがちな「ダッシュ」や「しゃがみ」すら存在しない。
このプレイヤーが実行可能な行動の種類が限られている点が、『LIMBO』の絶妙な難易度につながっている。先に説明したように、本作ではトライ&エラーでパズルを解き明かしていくことになるが、プレイヤーの実行可能な行動の種類が多ければ多いほど、トライ&エラーを行う際の選択肢は多くなる。「なかなかクリアできないのは、この解き方で本当に合っているのか?」という疑問が生じるわけだ。
だが『LIMBO』ではこの選択肢が極限まで絞り込まれているために、「解法は合っているが操作のタイミングが合わない」のか、それとも「攻略法そのものが間違っている」のかの見極めが、比較的容易につきやすくなっている。もう少し具体的に言うと、本当に微妙なタイミングの操作を要求されるような手段は正解ではなく、他にもっとラクな操作で切り抜けられる解法が存在する、と判断することができるのだ。
このことが明確に理解できるのはゲームの中盤から出てくる、とあるトラップだ。このトラップでは、ウジ虫のような何かが主人公の頭の上に落ちてくると、どうやら少年は運動神経を支配されてしまうのか、左右いずれかの方向に前進することしかできなくなり、方向転換や後退ができなくなってしまう。
先に説明したように、プレイヤーは左右の移動とボタン2個の操作しか実行できないにも関わらず、さらに移動の方向まで限定されてしまうわけだ。そこまで行動が限られた状態で、どうやってトラップを切り抜けるべきかを問いかけてくるこの手法は、『LIMBO』のパズルのデザインの特徴が非常によく分かる例だと言えるだろう。
ちなみにある方法を使うと、少年の移動方向を反転させたり、頭に取りついたウジ虫を取り除いたりすることが可能になっており、これもまたパズルの中に組み込まれている。
このようにプレイヤーが実行可能な行動が限定されているのに加えて、『LIMBO』のパズルにはもうひとつの特徴がある。それは「パズルの解法に不必要なものは画面上に存在しない」ということだ。
これもまた不要なものを削ぎ落として、最小限度まで絞り込んでいくミニマリズムの手法が生きている。逆に言うと、パズルの解法に必要なものはすべて、あらかじめプレイヤーの前に提示されているわけで、これが解き明かした時に「なるほど!」と感心するフェアな感情につながっているのだ。
『LIMBO』のゲームプレイは「初見殺し」ではあるのだが、リスタート後に画面をじっくり観察すると解法が見つかる絶妙な難易度となっており、決して「無理ゲー」と呼ばれるようなものではない。むしろ前述したように想像の余地が多い世界観を味わいながらじっくりとプレイしても、パズルに行き詰まって長考したりしなければ、一晩でサックリ終わる手軽さだ。それでも『LIMBO』のプレイ体験は、そのモノクロームの画面で光と影が織りなす光景のように、プレイした人間の心の中にじんわりと染みこんでくる。
『LIMBO』に続いてPlaydeadが開発したタイトルとしては、新たな表現を加えながらも『LIMBO』同様にミニマリズムの手法を用いて徹底的に磨き上げられたゲームである『INSIDE』が2016年にリリースされているので、そちらもぜひ楽しんでもらいたい。
またPlaydeadは『INSIDE』に続く次回作にもすでに着手しているが、『LIMBO』のように不要なものをすべて削ぎ落としていくゲームデザインの手法を考えると、我々プレイヤーもあまり慌てずに、そのリリースを気長に待ち続けるべきだろう。
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