『天穂のサクナヒメ』を神話から読み解いていったら「人間の尊さ」にいきついた!神と人のあらたな貴種流離譚(きしゅりゅうりたん)

 2020年11月にマーベラスから発売された『天穂(てんすい)のサクナヒメ』(企画・開発:えーでるわいす、以下、『サクナヒメ』)は、稲作シミュレーションとアクションRPGを組み合わせた独特なシステムと、その異常なまでの作り込みで話題を呼んだ。それに加えて、うまくデフォルメされた和風なグラフィックや、主人公サクナのキャッチーなかわいさなどもあいまって遊びやすさとディープさをもった人気作になった。

 なかでも、神話や民俗学好きな筆者の視点からすると、「神の強さ」と「人の弱さ」を同時に体験できることが、このゲームの面白さの肝であるように思う。

 日本神話やギリシャ神話といった神々の神話では、神は自然現象をつかさどる手の届かない強さをもつと同時に、親近感のわく人間臭い人格を持っている。そうした神話と同じように、サクナもめちゃくちゃ強い神であると同時に、人間臭くもあるという魅力的なキャラクターだ。

 しかも、『サクナヒメ』では「神」と「人」の二面性の面白さがストーリーだけでなく、ゲームプレイでも描かれている。
 サクナは敵を蹴散らすアクションパートでは超常の「神」として戦い、地道な農作業をする稲作パートでは人間的な営みをする「峠の民」として働く。プレイヤーはアクションと稲作を交互に繰り返していくことで、「神の強さ」と「人の弱さ」というサクナの二つの属性を、どちらも身をもって知ることができる。

 そしてさらに面白いのは、「神でありながら民」であるサクナによって、古来から伝わる貴種流離譚の神話が、現代にアップデートされていること。『サクナヒメ』では「神の強さ」と並び立つものとして「人の強さ」も等価なものとして讃えているのだ!

文/檜山バターン
編集/実存

連載企画「プレイステーション インディーズ」

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※この記事は、インディーゲームをもっと応援したいソニー・インタラクティブエンタテインメントさんと電ファミ編集部のタイアップ企画です。

「強いキャラの物語が見たい!「感情移入したい!」を同時に叶えてくれる貴種流離譚

 『サクナヒメ』の物語は民俗学用語で言う「貴種流離譚」、つまり「尊い血を引く主人公がある理由で旅に出され、試練を乗り越えながら成長していく物語」をベースにしている。あらすじは次の通りだ。 

 主人公サクナは、武神の父と豊穣神の母の間に生まれたヤナトという国の神。サクナは両親である二神の血と財を受け継いでいることから、神の世界(頂の世)で怠惰で自堕落な生活を送っているが、ある日、頂の世に入るはずのない生きた人間たちが闖入してしまうという事件が起きる。そのなかで驕りを原因とする大失態を犯してしまう。
 その結果、都を追放されて、ヒノエ島(通称:鬼島)という悪しき鬼に支配された島の探索を、人間とともに命令される。

 貴種流離譚とは、古来から神話や民話に多く見られる物語類型だ。日本神話のスサノオ、ギリシャ神話のヘラクレス、聖書のモーセなどもこの類型にあたる。
 現代のコンテンツで言えば、マンガだと『ジョジョの奇妙な冒険第三部 スターダストクルセイダース』が典型例で、『ONE PIECE』『NARUTO』『どろろ』『風の谷のナウシカ』なども貴種流離譚だと言える。ゲームでは『ドラゴンクエスト』シリーズ、映画では『スターウォーズ』を筆頭に『ハリー・ポッター』など多くのハリウッド映画でみられる。

 この種の物語は古今東西に大量のバリエーションをもって広まっている。その直接の理由としては、神話や民話が口伝で伝えられていくうちに、みんなが面白いと思うかたちになっていったという考え方が主流だ。ではなぜ、人間はこの手の話が好きなのだろうか?

 「尊い血を引く、高い素質を持つ主人公」が選ばれるのはわかりやすいと思う。物語のなかで「親譲りの強さ」が表現される熱い展開は、だれしも見たことがあるはずだ。現実では血が個人の素質を決めるわけではないが、少なくとも物語の上では”その血の運命”的な強さの表現にはとても説得力がある。そして同時に、血統を通じて親との関係性が見えることで、成長の物語として「親離れ」というテーマも発生する。

 次になぜストーリーに「放浪の旅」が選ばれるのだろうか。大きな理由として「放浪のなかで悩んだり苦しんだりする」ということが考えられる。
 たとえば『ドラクエ5』の主人公は王である父の血と特殊な魔力を持つ母の血を受け継いだ、シリーズ屈指のサラブレッドだが、幼い頃から波乱万丈の壮絶な人生を歩むこととなる。その物語のなかでプレイヤーは感情移入していく。

 基本的に受け手である我々は、尊い血統に由来する特殊な強さなどまずもっていない。「俺TUEEE」的な展開にあこがれたりしても、みんな浮き沈みを経験しながら地道に生きる存在だ。だから尊い生まれの強キャラが順当に強いだけのお話よりも、「強さをもった存在が我々と同じように悩み苦しみながら打破していく物語」の方が自分の境遇に近い物語として広く受け入れられる、ということなのだろう。

 ということでざっくりまとめると、

①「強いキャラの物語が見たい!それもちゃんと説得力ある描写で!」
②「ちゃんと感情移入できる血の通ったキャラが見たい!」

 という二つの思いを同時に叶えてくれるのが貴種流離譚、ということになる。

 さて、『サクナヒメ』はそんな貴種流離譚のなかでも日本最古級のものであるスサノオ神話とよく似ていて、王道中の王道を行ったと言える。なお、『日本書紀』に伝わるスサノオ神話をざっくり要約すると次のとおりだ。

 スサノオは日本列島の産みの親であるイザナギが、死んだ妻イザナミに会ったときのけがれを払ったときに太陽神アマテラスとともに生まれた高位の神である。しかしその母(的な存在)は生まれたときには冥界にいる。幼いスサノオは冥界に行こうとするが父に聞き入られず、いろいろあって神の世界(高天原)で暴れてしまい、その結果スサノオは高天原から追放されてしまう。
 行きついた先は出雲(いまの島根県)だが、怪物ヤマタノオロチが暴れていてクシナダヒメという女神が生贄にされそうになっている。ヤマタノオロチとの戦いという試練を突破してクシナダヒメと結婚し、立派な神になった。

 もちろん、ただ最古の物語をやり直したにあらず。古来から人間が好んできた物語を、「神でありがなら民」というあらたな形で体感できるようにしたのが、『サクナヒメ』という作品のすごさなのだ。

神でありながら民──峠でのサクナの絶妙な立ち位置

 物語構造としては神話級にオーソドックスな『サクナヒメ』だが、峠と呼ばれる稲作パートの舞台でのサクナの姿は神話とは大きく異なる。
 
 追放先である鬼島(のちにヒノエ島と改名)の、数少ない安全地帯である峠(我が家)で、サクナは人間と共同生活を行うようになる。
 しかし人間たちは神であるサクナに守られる人間でありながら、サクナに手を合わせて崇敬したりすることはない。最初は身の安全も食事もサクナに頼りっぱなしなのに、サクナに対しては村の要として敬意をもっている程度である。(そもそもサクナの追放の元凶が彼ら人間たちなのだが…。)しかしそんな彼らもサクナにとってなくてはならない協力者として成長していく。

 そんな環境で最初は人間に対して横柄にのじゃのじゃ言っていたサクナも、共同生活でともに辛苦を乗り越えるなかで角が取れていって、親しくのじゃのじゃ言うようになっていく。
 そこで描かれる交流はわれわれ人間同士とまったくおなじである。いくら(神との距離が近い)多神教の神話でも、ここまで神と人が同じレべルで交流することはまずないだろう。それどころか、人間を描いた作品でもまれだ。

 貴種流離譚には自分が貴種であることを知らない、あるいは隠さざるをえないという、どん底の状況からスタートするパターンも多くあるが、貴種の力を受け継ぐイベントを通して“覚醒”してしまうと、それまでの「ふつうの人」には戻れなくなることが多い。(例:『NARUTO』のナルト、『機動戦士ガンダム』シリーズのシャア、『スター・ウォーズ』のルーク・スカイウォーカー、『ドラクエ5』の主人公など……)

 もちろん、そうした覚醒イベントは物語にメリハリがつき、面白さにつながるものだ。だが、初めから貴種であることを自覚しているサクナの場合、どこまで戦士として強くなろうとも、むしろ「峠の民としてのアイデンティティ(稲作)が強くなるほど戦闘も強くなる」という一貫性が稀有な魅力として輝いている。

 その一方で、サクナの神性は明確に表現されている。
 アクションゲームとしての本作の根幹をなすサクナの戦闘能力はサクナの武神の力によるもので、特徴的な「ひっつきアクション」は、親から譲られたふしぎな力を持つ特殊な羽衣によるものとされる。

 こうした点で、他の人間と一線を画す強さはプレイヤーに明確に示されるし、神をめぐる物語の中でもそれはしっかり描写される。

 つまり「尊い神による貴種流離譚」という形を守りながら、サクナは「コミュニティの中のいち市民」という特殊な形をとっている。
 この「神でありながら民」という描き方は、先ほど述べたように、「強いキャラの物語が見たい!それもちゃんと説得力ある描写で!」「ちゃんと感情移入できる血の通ったキャラが見たい!」という、人間が貴種流離譚に求める思いをさらに強く満たすものなのだ。

 たとえば、序盤で描かれる次のエピソードが印象的だ。一年目の稲作では米の収量が食べる量に対して全然足りず、サクナは有毒のマンジュシャゲを毒抜きして団子にして食べることになる。これは実際の不作時に行われていただいぶシビアな話で、生粋の上流階級であるサクナは、せっかく自分が努力したのに報われなかったことに憤慨して家を出てしまう。

 しかし、ひとしきり憤りを表現したあと、海辺でサクナは冷静になる。そして単なる武神ではなく峠の一員としてのアイデンティティと責任を自覚するようになっていく。つまり、「神でありながら民」というサクナの二面性のギャップは克服し、両立させるものとして描かれているのだ。

 多くの貴種流離譚では最終的には神や英雄、勇者など「貴種に由来する強さを獲得すること」が試練の先の最終地点として設定されることが多い。だが『サクナヒメ』の場合、「神としても、民としても成長すること」が試練の先の目的地として描かれているのだ。

貴種流離譚と完璧に噛み合うゲームプレイ

 サクナの「神でありながら民」という立ち位置は、ゲームプレイにおいても一貫して描写されている。
 アクションパートのフィールドでは「常人とはかけ離れた特殊能力者」となり、稲作パートの峠では「ひとりの村人」となるサクナは、「強キャラでありながら感情移入できる」という貴種流離譚に求められる役割を完璧に担っているのだ。

 そしてここで、「農林水産省のHPが攻略wikiになる」とまで言われるほどのガチすぎる稲作システムが強い役割をはたす。

農具ライクRPG『サクナヒメ』がTwitterでトレンド入り。本格的な米作りが話題に、「農林水産省公式HPが攻略wiki」と注目集める

 本作のアクションパートは爽快感を感じられるシステムで、大量のザコ敵と巨大なボスを相手に、羽衣と農具でボコボコ倒していけるタイプの2Dアクションだ。武技と呼ばれる特殊技と羽衣アクションを駆使すれば、まさに一騎当千の超人的活躍ができる。

 それに対して稲作パートは異様なほど丁寧な作業を求めるタイプのシミュレーションになっている。

 もちろん、ストレスを感じない程度の簡略化や、「農技」と呼ばれる豊穣神としての特殊な力が使えるようになったりと、ゲームらしい面白さはある。たとえば、農技でコンバインなみの速度で刈り取りができるようになったりもするが、あくまでも性能の強化にとどまる。

 だからどれだけ技が増えても、いい米を作るためには、クワで田起こししたり、厠(トイレ)から糞便をくみ取って肥料を作るという、泥臭いアクションをいちいちしなくてはならないのは変わらない。(作業をスキップする機能もあるが、そうすると品質が大きく落ちる。)

 つまり、稲作パートでは人間的な農業の域を逸脱することはない。稲作をするときは、神の力でラクすることはできず、人間らしく土にまみれて働かなければならない。
 このパートがあるからこそ、ストーリー的にもキャラクター的にも、サクナの「人間味」に説得力があるのだ。

神と人の二面性が、等価にあるということ

 『サクナヒメ』の良さとして、超人的な面と人間的な面という、神話や貴種流離譚で重要な二つの属性が、両立したまま成長物語に組み込まれていることをここまで語ってきた。
 『サクナヒメ』のさらに素晴らしい点として、ここからはもう一歩踏み込んで、その「二面性が等価に描かれていること」について考えてみたい。

 物語のなかで、サクナたち神々の住む頂の世と、人間たちの住む麓の世は、じつは表裏一体の関係にあることが語られる。麓の世で人間同士の戦乱が起これば頂の世も乱れ、頂の世で神が乱心すれば麓の世も乱れるという。

 なかなか不思議な設定だが、ここで視点を逆転してみることにしよう。これまで主人公サクナの貴種流離を語ってきたが、貴種流離はサクナだけのものではないのではないか?
 はじめ、頂の世で傲慢にふるまっていたサクナが、人生を一変させたのはなんだったか。それは麓の世から迷いこんだ、その後同居人となる人間たちだった。
 
 彼らは特殊な血筋を持たないただの人間だが、頂の世という神の世界においては「ただの人間」こそ最も珍しい存在だ。
 つまり彼らの物語は、「最も珍しい存在が、放浪の果てにヒノエ島にたどりつき、そこで成長する」というものだったわけだ。そうこれは貴種流離そのものだ。貴種流離していたのはサクナだけでなく、人間たちもだったのだ!

「神でありながら民」とアウトサイドの存在

 貴種流離譚の元来の意味において、貴種とは、必ずしも高貴な存在の血統を意味するわけではない。本質的に重要なことは「別のコミュニティからやってきた、まれな存在」であることだ。その意味で、人間たちのバックボーンは大変興味深い。

 リーダー格の田右衛門(たうえもん)は食いはぐれた侍くずれの盗賊、ミルテはカトリックを思わせる異教の宣教師、「きんた」「かいまる」の2人は戦災孤児、「ゆい」は見た目とは裏腹に狡猾な面もあり秘密を抱えている。そして飢えをしのぐためには盗み食いもしてしまう。つまり全員が“まっとう”な社会からあぶれた、アウトサイドに位置する存在である。
 社会の階層で言えばサクナとは真逆の存在だが、“ふつうの”生活とは違う世界で生きてきたアウトサイドの存在という点では、サクナと田右衛門たちは非常に似ているとさえ言える。

 『天穂のサクナヒメ』はそんなアウトサイドの存在が、協力して地に足つけて成長していく物語だったのだ。
 だからこそ、神も人間も等しく貴種だと語れる。どちらも等しく成長していく存在で、住む世界に違いはあっても、高い生まれでもひどい生まれでも、そこに生きるものとしての本質的な違いは無いことを峠での生活を通じて伝えてくれる。

 そしてこれまで語ってきた、峠ではサクナがひとりの民にすぎないということはこのテーマを象徴する。強い力をもった存在も、もたざる存在も、同じように世界に存在して、等価に受容されるのだということを『サクナヒメ』の世界は強く伝えている。

 そしてそれは、二面性をもった一人の存在──、サクナについても同じである。戦う力も米を作る力も、貴賤なく尊い。神であることも、民であることも等しいアイデンティティとなる。
 本作のクライマックス、麓の世と人の世、どちらもを壊そうとする宿敵に対して、サクナはこのように名乗りを上げる。

「我が名はサクナヒメ!!」
「ヤナトの神にして…ヒノエの民である!!」

『サクナヒメ』は現代に蘇った神話かもしれない

 ここで少し話を外に広げてみよう。貴種流離譚が数千年にわたり語り継がれてきたのは最初に述べた通りだが、強さを血統によらせてしまうことから、近年では倫理的な観点からの批判も多い。

 しかし先ほど述べたように、『サクナヒメ』は最古級の貴種流離譚を真正面から見せながら、血統主義に終わらない、人々の平等な尊さの受容を描くことに成功している。中世風の物語でありながら男女差別が見当たらないような描き方が現代的な倫理を反映しているように、『サクナヒメ』は神話をうまく現代にアップデートしてみせた作品であるとも言える。

 さらに言えば、現代的である一方で、『サクナヒメ』はそもそも神話が持っていた力を蘇らせたのではないかとすら考えられるだろう。
 貴種流離譚という概念の発案者である民俗学者・折口信夫は、貴種流離的な現象を日本の祭り(特に春祭り)や神の原型として捉えていた。外部から来た存在を迎えいれて送る行為が祭りの原型で、要するに古代の人なりに「外のものを受容する行為」だったのではないかということだ。
 たとえば秋田のなまはげのように、どこからかやってきた異形の存在が怖さと同時に良い力を残して去っていくという祭のかたちは昔からある。

 また、『サクナヒメ』が参考にしたと思しきスサノオ神話について、『日本書紀』にはある異説が載っている。追放されたスサノオは一旦新羅、つまり外国である朝鮮半島の国に降りてから日本の出雲に来たという。その説話がどのような経緯で生まれたかはわからないが、それが「なんらかの海外の文化の受容を反映している可能性は高い」と言われている。

 『サクナヒメ』が描いた、あるアウトサイドな神と人間たちの貴種流離的受容の物語には、そうした古来の神話に見受けられる「受容の儀式としての神」に通じるところがあるように思う。だから、その意味では『サクナヒメ』は現代に蘇った神話なのかもしれない。

©2020 Edelweiss. Licensed to and published by XSEED Games / Marvelous USA, Inc. and Marvelous, Inc.

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ゲーム以上に昔のアニメで育った90年代生まれオタク。『伝説巨神イデオン(1980年)』で人生が狂い、アニメと神話を見るだけの無職になる。趣味は漫画を描くことで、『ローラちゃんねる』も手伝っています。
編集
ローグライクやシミュレーションなど中毒性のあるゲーム、世界観の濃いゲームが好き。特に『風来のシレン2』と『Civlization IV』には1000時間超を費やしました。最も影響を受けたゲームは『夜明けの口笛吹き』。
Twitter:@ex1stent1a
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