なんとも恐れ多いことに、初代『ファイナルファンタジー』(以下、FF1)のレビューをすることになってしまった。この2024年の現代に、である。
『ファイナルファンタジー』(以下、FF)といえば、『ドラゴンクエスト』と並ぶ日本RPGを代表する偉大な作品シリーズである。しかもその一作目といえば、言ってみれば原典だ。繰り返しになるが、なんとも恐れ多いお仕事である。
今回取り上げるのはピクセルリマスター版であるため、本当にオリジナルな『FF1』というわけではない。とはいえ、37年前に生まれた作品を今のゲームの質を基準に評価するのもおかしな話だ。
というわけで、今回は『FF1』のストーリーやシステム、音楽を眺めつつ、「FF史」における『FF1』がどのような歴史的重要性を持っているのかについて、改めて発見していくという記事にしてみようと思う。
また、そのなかで今回のピクセルリマスター版がどのような仕上がりになっているのかについても言及していきたい。過去を振り返るとすでに10回以上にわたり、移植やリメイクが繰り返されてきた『FF1』だが、ピクセルリマスター版だからこそ見えてきた、本作の個性についても振り返っていこうと考えている。
それではさっそく始めよう。今から40年近く前に生まれた”RPGの古典”は、現代にどう蘇ったのか?
文/植田亮平
たくさんのリメイク・リマスターを経た『FF1』。しかし“ピクセルリマスター”ならではの“先祖返り”も
ドット絵時代の『FF』シリーズ(1~6まで)はこれまで、各作品単位でリメイク・リマスター・移植が行われてきたという歴史を持っている。
が、ナンバリングタイトルによって移植先の機種や回数はバラバラ。最も長い歴史を持つ初代『FF1』の場合であれば、まずグラフィックが一新された「ワンダースワンカラー(WSC)版」があり、その後「WSC版」をさらに美麗にした「プレイステーション(PS)版」がある。
そこから「PS版」を踏襲し移植した「ゲームボーイアドバンス(GBA)版」が1・2セットで発売され、それを高解像度にしてデザインを新たに書き直し移植したのが「PSP版」となっている。iOS、Android向けの「スマホアプリ版」ではこのバージョンが収録されることとなった。
ややこしい話になってしまい恐縮だが、つまるところ『FF1』の移植・リメイクには「WSC版」→「PS版」→「GBA版」→「PSP版」→「スマホアプリ版」という大まかな流れがあるというわけだ。厳密に言えば移植回数はもっと多くなるわけだが、いったんはこのあたりに留めておきたい。
では、今回のピクセルリマスターシリーズ版『FF1』はどうだろうか。ピクセルリマスター版は全体的に、おそらくGBA版を基準にして作られたものと思われる。この点だけを見ると従来の移植作とそう変わらないように見えるが、本作がそうした過去の移植と大きく異なるのは、あえていくつかの点で“原作準拠のものに先祖帰り”しているということだ。
グラフィック面だけで言ってもいくつかある。まず、これは『FF1』のみならずピクセルリマスター版の他のナンバリングにも共通する点だが、キャラクターデザイン等のグラフィック(ドット絵)がオリジナル版スタッフの渋谷員子氏が直接手がけたものに変更された。
特に『FF1』の場合はそれが顕著で、従来の移植(特にPSP版以降)で表現されていた美麗な書き込み系ドットから、ファミコン・スーファミ特有のやや荒っぽいドットに巻き戻っている。
中でも特徴的なのは、『FF1』のみに採用された「クラスチェンジ後の4頭身ドット絵」の存在だ。『FF1』では物語の最初に選んだクラスが物語中盤で上級職に変化する、いわゆるクラスチェンジイベントがあるが、原作はこのときにキャラクターのグラフィックが大きく変化する仕様になっていた。
しかしこの4頭身のデザインは以降のシリーズでは採用されず、今までの『FF1』のリメイクにおいても差し替えなどが行われてしまっていた。中でも顕著なのは「白魔導士」「黒魔導士」といった上級魔法職だろう。
その他にも、いくつかのジョブではリメイク版(GBA版以降)のデザインではなくあえてファミコン版を踏襲するものに”戻っている”。これはまさに知る人ぞ知る原作要素であるが、それが今回のピクセルリマスター版で復活したのである。これの意味するところは大きい。
後ほど紹介する魔法システムもそうだが、今回のピクセルリマスター版『FF1』の最大の特徴としては、これまでの移植と比較すれば徹底的な「原作準拠作」と言えるところにある。
「それなら原作をベタ移植すればいいだけじゃないか」と思われる方もいるだろうが、本作はそのようにはなっていない。これは原作が「現代の水準から見ると遊びにくい」ということもあるだろうが、それ以上に“ピクセルリマスター”という線で他作品と繋がっていることが大きいのだと思う。
ピクセルリマスター版はすべての作品でいくつかのシステムやUI、ゲームエンジンを統一している。それは『FF1』においても例外ではなく、原作を再現しつつも他のピクセルリマスター版と一貫したクオリティのゲームに仕上げるため、魔法や背景のビジュアルは他作品と同様にGBA版以降の水準になっている。
なぜこのようになっているのか。これはピクセルリマスター版の意義とも関係するところだが、早い話が「従来のリメイク・移植は作品単位で行われてきたため、シリーズを一本の線として遊ぼうとすると途端にややこしくなる」問題を解決するためである。ピクセルリマスター版の『FF1』が登場するのと入れ替わりで、それまでの「スマホアプリ版」が配信を終了したのにはしっかり理由があるというわけだ。
つまり、今回の『FF1』はまさにこれまでの移植・リメイク・リマスターの決定版として開発されていると言える。その中でいくつかの要素が原作準拠に戻された。これによって何が実現されるのか、それは「各ナンバリングの個性」を浮き彫りにすることである。
これまでグラフィックもシステムも最新の水準にアップデートされ続けてきた『FF1』において特にその影響は大きい。ピクセルリマスター版が出るまでは3D作品と化していた『FF3』なども、まさに待望のリマスターということになるだろう。
話を本題に戻そう。先ほど説明した通り、ピクセルリマスター版特有のいくつかの変更点によって、『FF1』は再びその個性を浮かび上がらせることとなった。では、その個性とは?
見えてきたのは『FF1』がレガシーたるさまざまな要素、多くの斬新なアイデア、そして当時にいたる歴史の流れであった。ここからは、『FF1』の魅力を改めて探っていきたいと思う。
MPシステム不在!?『FF1』に感じた古典TRPGの香り
私がピクセルリマスター版『FF1』を遊んでまず驚いたのは、魔法を使うために専用のポイント……MPを消費する、いわゆる「MPシステム」が存在しないということだった。
はて、私の記憶では『FF1』には確かにMPシステムが存在していたはず……。そこで調べたところ、どうやら『FF1』のMPシステムはGBA版以降に導入されたもので、本来のFF1では魔法は「魔法レベルごとに定められた回数制」というシステムをとっていたことが分かった。そして、これが復活したのがピクセルリマスター版というわけだ。
ただし、厳密に言うとこの「魔法レベルごとの回数」をMPと表記していたため、MPという概念自体はオリジナルから存在する。
この「魔法レベル回数制」システムは、「Lv1魔法は最大8回」「Lv8魔法は最大5回」というように、それぞれの魔法がレベル制で分けられ、それぞれに使用回数が設定されているというもの。なお、使用回数は同じレベル内の魔法すべてで共有されている。
この魔法の回数制システムに、どこかで見覚えがある方もいるかもしれない。RPG史に詳しいゲームマニアや往年のゲームファンの方なら既にお気づきだろうが、これは『Wizardry』や『Ultima』などの海外RPG、またその元祖となったTRPG『アドバンスト・ダンジョンズ&ドラゴンズ (AD&D)』と非常に似通ったシステムとなっている。
特に1987年発売の『FF1』にとっては、1981年発売の『Wizardry』の影響が大きいだろう。実際のところ、当時のRPGにおいてはこちらのシステムが主流で、現代で普及しているMPシステムの方が後発のものであった。
また、モンスターの名前や能力、アイテムなどの設定、システムもまた多分に海外RPG、もっと言えばその源流となるTRPG『D&D』を意識したものになっている。
実際、「意識しすぎた」ためにオリジナル版発売以降いくつかのモンスターの名前は変更されており、これに関してはピクセルリマスター版でも戻ることはなかった。ただ、それでもやはり多くのモンスターが『D&D』の影響をもろに受けているので、気になったマニアはモンスター各種をそちらと見比べてみると面白いかもしれない。
魔法のシステムやモンスターの設定などTRPGからの引用が目立つ『FF1』だが、これらは当時のほとんどのRPGについても同じように言えることだった。当時黎明期にあった日本RPGにとっては、「TRPGをデジタル化する」「コンピュータでD&Dを再現する」ことに主眼が置かれていた時代である。そして『FF1』とて例外ではなく、今回の調整は過去の名残りをそのまま残した調整ともいえるわけだ。
実際ピクセルリマスター版を遊んでみると、MPシステムやモンスターデザインなどの随所に、以前のリメイクでは分かりづらかった「時代の流れ」の痕跡が見える。その後のRPGの流れを作ったともいえる本作だが、その本作もまたRPGという大きな流れの中にあったということだろう。
こうした旧システムの復活の中に日本RPG黎明期の文脈が見えてくるのが、ピクセルリマスター版『FF1』の面白さだ。
サイドビューの発明、当時最高レベルの技術で生まれた「飛空船」……後世に与えた影響の数々
『FF1』が当時のTRPGたちから多く影響を受けていることは先ほど述べたが、一方で『FF1』が後のRPG、またはFFシリーズに与えた影響も計り知れない。海外から受け取った様々な要素をどのように発展させていったのか? というわけで、ここからは当時としては画期的だったいくつかの要素をピックアップして紹介したい。
まず最初に、ビジュアル的な面から紹介するとしよう。画面右側に味方、左側に敵という構図、いわゆるサイドビューは以降のFFに限らず様々なJRPG作品で登場することとなる画面だが、実はあの画面は本作『FF1』からはじまったものである。当時パーティキャラクターがアニメーションと共に攻撃するというのは非常に画期的な表現であり、画面に敵しか表示しないというのが主流だった時代において革新的なものだった。
ちなみにキャラを画面に出せるようになったことで、キャラの行動や状態などを見た目で表現できるようになり、そうした理由から以降の『FF』シリーズでも状況説明の文字ウィンドウはどんどん減っていった。
戦闘以外でも革新的な表現が生まれている。代表的な例で言えば、当時最高レベルの技術で生み出された「飛空船」【※】の存在だろう。
※『FF1』では「飛空船」で、後のシリーズで「飛空艇」に統一される
このシステムを作ったプログラマであるナーシャ・ジベリ氏の逸話は、シリーズファンの間ではかなり有名なもの。「プロデューサーの坂口氏ですら無理だろうと思っていた飛空艇の影の仕様をわずか1日で実装した」、「当時のファミコンではバグに近い挙動を呼び出し実現させた」などなど様々な伝説を残している。
ピクセルリマスター版では流石にハードスペック云々……という部分を実感するのは難しいだろうが、それでもやはり平面のマップを高速で移動する「あの感覚」はなんとも爽快なものである。ご存じの通り、この飛空艇のアイデアとシステムは後の『FF』にも受け継がれていった。
ファンタジーというより「SF」だった(?)初代『FF』
続いて、本作の音楽とストーリー面について語っていきたい。まず『FF』を代表する音楽「メインテーマ」「プレリュード」「ファンファーレ」などは、『FF1』の時点で既に確立されている。このころから『FF』の音楽は完成されており、特に最初のオープニングで流れる「メインテーマ」は象徴的な一曲だ。
一方で『FF1』に特徴的なのは戦闘BGMの種類が極端に少ないこと。本作のサウンドプレイヤーモードからオリジナル版のBGMを選択すると何とオリジナル版では戦闘BGMが一種類(!)しかなかったということが判明する。ラスボス専用BGMもなしという、凄まじい仕様である。当時としてもこれは異質だったのではないだろうか。
ただ、その分ただひとつの「戦闘シーン」と名づけられた音楽が非常に染み入る。思い返せば、『FF』シリーズの通常戦闘BGMはいつもキャッチーで癖になる楽曲ばかりだった。その裏側には、戦闘曲1曲でなんとかやってきた本作の記憶が眠っているのかもしれない。中毒性の裏には、この時の経験が活きているのかしら……。
ストーリーテリングの手法についても語ろう。これはファンの中でもかなり意見が分かれやすい議題なのだが、『FF』のストーリーは1作目からかなり独自路線を往っている。少なくとも、ありがちなファンタジー世界で繰り広げられる勇者とお姫様の冒険とはかなりほど遠い。
まずプロローグとなる部分が当時のゲームとしてはかなり長い。なんせ「カオス城で国を裏切り姫をさらったガーランドを倒し、姫を無事コーネリアへ救出する」ところまでが全部物語のプロローグという構成を取っている。現代で言うなら「お決まりの展開でハッピーエンド、と思ったら実は始まりでした」といった感じだろうか。何にせよ、そこにはある種の意外性を押し出した雰囲気が感じられる。
そしてさらに驚くべきことに、『FF1』のストーリーはファンタジーというよりもむしろSFなのだ。
※ここから先はネタバレを含みます
(まさか2024年に自分が『FF1』のネタバレに配慮することになるとは思わなかった)
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さて、実は『FF1』のラスボスは、物語のプロローグで葬った「ガーランド」その人である。
プレイヤーがガーランドを倒した際、ガーランドは「土」「火」「水」「風」の属性を持つ4体のカオスの力に飲み込まれなんとタイムスリップしてしまう! そして物語作中の現代から2000年前の世界に辿り着き、そこで闇の存在「カオス」となり復活。もう一度このループを繰り返すため、4つの属性のカオスを未来に送りつづけていたのである。
つまり、作中での出来事はすべて永遠にループするガーランドの憎しみの果てにあったのだ。プレイヤーはこの運命の輪を打ち砕くべく、過去のカオス神殿へと戻り、かつて自分たちが葬ったガーランド(カオス)と再び相まみえる……というのが『FF1』の基本的なストーリー軸だ。
どう考えてもこれは、ファンタジーというよりSFだろう。「『FF』はSFじゃなくて、昔みたいなファンタジーじゃないとダメだよな〜」という声も聴いたことがあるが、ある意味では彼らは間違っていたと言わざるを得ない。なぜなら『FF』はその一作目からして、「ループもの」のような王道のSF設定を使っているからである。
こうして改めて『FF1』を見ると、「後のSF路線は『FF』にとってある種必然だったのかもしれない」と感じる部分もある。もちろん「『FF』はSF作品だ」と主張するのは少し乱暴だが、そのストーリーテリングの源流にはほぼ間違いなくSFの存在があったはずだ。
余談だが、『FF1』のガーランド・カオスのループに関しては、2022年に発売されたFFシリーズのスピンオフ作品『ストレンジャー オブ パラダイス ファイナルファンタジー オリジン』でも語られているらしい。
私自身、ピクセルリマスター版『FF1』を遊び、同作がめちゃくちゃ気になってしまったのでこれから遊んでみようかと思っている。
ここまで「FF1が受け継いだもの」と「FF1が遺したもの」のふたつの面から本作を語ってきたわけだが、私はこのような見方ができることこそが『FF』の魅力であり、そして今回の「ピクセルリマスターシリーズ」が持つ最大の長所だと思う。
『FF』はとてつもなく長い歴史を持つシリーズで、かつゲーム史の中でも圧倒的な存在感を持っているタイトルである。
作品ごとにその時代の世相や価値観、最先端のコンピュータ技術などを取り入れながら、ナンバリングを追うごとにまったく別のゲームへと変化していく。それが『FF』が持つ面白い部分だ。それぞれの作品がその時代の作品を色々なかたちで取り入れる。まさにこのシリーズは「時代を象徴するRPG」と言えるだろう。
そうした中で、今回のピクセルリマスター版はどのような価値を持っているだろうか。
私の考えでは、「何が変わって、何が変わらないのか」を俯瞰し、そのエッセンスを見つけるにあたって、“ピクセルリマスター”は非常に良い歴史の証人となってくれる存在だ。
数々の調整で現代のプレイヤーでも遊びやすいものに仕上げつつ、その作品のオリジナルの魅力、要素をできるだけそのままの状態で届ける。本作はこのミッションをうまく果たしているように思えた。特に『FF1』の場合は難易度面も巧みに調整されており、昔のゲームにありがちな難しすぎるゲームでもなく、かといってヌルすぎるバランスにもなっていない。ボスや敵の軍団はそれぞれ今の時代に最適化され、遊びやすくなっている。
最後に、このピクセルリマスターシリーズのレビューは、ナンバリングごとに異なるライターが担当している。きっと、その全員が私とは違った見方でそれぞれの『FF』を紹介してくださるはずだ。
この構図は、ある意味では『FF』シリーズを語るにはぴったりな最適なフォーマットなのかもしれない。時代によってゲームは変わるし、遊ぶ人によってもまた変わるもの。今後掲載される、さまざまな『FF』の語り方を楽しみにしながら、『FF1』のレビューを終えようと思う。
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