富野監督にとってのリアリティ
──1980年代は富野監督の時代でもあったわけですよね。福井さんと小倉さんは『ガンダムUC』を手掛けられたわけですが、イシイさんは富野監督とお会いになったことは?
イシイ:
二度あります。一度目は飛行機でたまたま富野さんに似ている人がいるなと思って、よく見たらガンダムのバッジをつけてて「間違いない!」って(笑)、それでご挨拶して。
二度目は宇野常寛さんの本『母性のディストピア』の対談相手として来られていて、そのあとの飲み会に同席させてもらって。そのくらいですね。だからお仕事ではなくて。
小倉:
イシイさんは『イデオン』のキャラクターデザイナーの湖川友謙さん【※】と親交がありますよね。
※湖川友謙
『イデオン』、『ダンバイン』、『ザブングル』といった富野作品に関わりの深いアニメーター。
イシイ:
湖川さんとは仲良くさせてもらっています。僕は『イデオン』が大好きで、年に一度「『発動篇』を観る会」というのを前からやっていて。ゲーム業界にも『イデオン』好きが多いんですよ。スクエニ(スクウェア・エニックス)の面々とかゲームフリークの杉森(建)さんとか。
で、『発動篇』を年に一回は見ずにいられない。それを毎年やっていたら、知り合い経由で湖川友謙さんに来ていただけるってことで「湖川友謙さんの解説を聞きながら『発動篇』を見る会」になりまして。
──豪華すぎるコメンタリーですね。
イシイ:
それから年に数回は飲んでますね。湖川さんとは。
小倉:
僕も一回だけお邪魔しました。
イシイ:
ほとんど湖川さんの独演会ですけどね。ここでは言えないようなオフレコ話を(笑)。湖川さんは、『ヤマト』、『イデオン』、『銀河鉄道999』もやっているわけですからね。松本宇宙と富野宇宙、両方をやられた方ですから。
小倉:
サンライズで『プラネテス』の仕事をしているときに、気配を感じたらすぐ傍に富野さんの顔があって。「君、そんなことやってていいと思ってるの?」って言われたりとかね(笑)。
『プラネテス』は『キングゲイナー』の制作現場を引き継いでいたから。わたしの席の右隣には大河内一楼さん【※】が脚本を書かれていて、振り向けば真後ろで吉田健一さん【※】が原画を描いているという状況があったり。
※大河内一楼
脚本家。ゲームライターから小説家に。その後、『∀ガンダム』、『プラネテス』、『コードギアス 反逆のルルーシュ』の脚本、シリーズ構成を手がける。
※吉田健一
アニメーター。スタジオジブリで『おもひでぽろぽろ』や『紅の豚』の制作に参加した。
イシイ:
『プラネテス』は富野さんが好きそうな気がしますけど。
小倉:
『プラネテス』はね、富野さんの成分からロボットを抜いたような感じだから、余計に複雑なんじゃないかな。
福井:
富野さんって「宇宙に行ったらどうなるんだろう?」っていう、もちろんそういう思考で作っているんだけれど、そこからSFにはこだわらずに、宇宙っていう足場からさらに思考の翼を羽ばたかせて「未来の人類ってどうなるんだろう?」とか、そういうふうに自分の考えを広げていきたい人だから、宇宙開発をリアルに描く『プラネテス』みたいな作品ってじつは一番興味がないかもしれない。
小倉:
なるほどね。
福井:
リアリティは大事だけど「緻密に精密に積み上げるのに何の意味があるの?」って感覚もあの人にはある。
小倉:
ああ、それはわかりやすく言ってくれていると思う。
福井:
SFって基本、哲学だと思うんですね。人間とは何だということを逆照射するために、人間じゃないものを登場させるとか、すごい遠くから地球を見るとか、そういう地上にいるだけではわからない感覚に読者を置く。
その点で言うと『ガンダム』では「宇宙に出たら人類の進化はこの先どうなるだろう?」ということをやって、その次に「宇宙に出た人類を神様はどう見るだろう?」ということを『イデオン』でやって、じつは宇宙でやるテーマってもう何もないんですよ。少なくとも富野由悠季という人間のなかではやりきったと思うんですね。
だとしたらインナースペース、精神の世界に入っていこうって部分でそのあとの『聖戦士ダンバイン』【※】が異世界ファンタジーなんだろうけど、そのファンタジーってのは剣や魔法には何の興味もなくて、あくまでも人間のあり方を追求していく上で天国、地獄、煉獄みたいな、そういう構図での話。
で、それをロボットアニメでやっていいんだったら、その異世界にロボットを出せばいいじゃん。そういう発想だと思うんですよね。
イシイ:
1980年代初頭のあの時点で、あの世界観を映像化したっていうのは行き過ぎててちょっとびっくりしましたよ。
小倉:
『指輪物語』【※】のような、作品世界ごとゼロから考えるハイ・ファンタジーが日本にほとんどない時代にいきなりアニメで映像化したというね。
でも私は『ダンバイン』の後半、舞台が地上になってがっかりしたんですよね。あとで制作側になれば、作劇的にはすごく意味があるのはわかるんだけれども、当時の目線だともうちょっと異世界で頑張ってほしかった。
※『指輪物語』
1954年に初版発行のJ・R・R・トールキンによるファンタジー小説。トールキンは文献学者でもあり、小説の舞台「中つ国」で使用される言語を創造するなど、徹底した世界観の作り込みでも知られる。現行のファンタジーの世界観の礎を築いた。
福井:
やっぱり富野アニメによくあることなんですけど、あとは面白ければ最高なのに……っていう。
一同:
(笑)。
福井:
普通の感覚だったら面白さが伝わりやすい作品のほうがいいじゃないですか。さっき小倉さんが言っていた一本目の『スタートレック』とかもすばらしい特撮ですよ。あとは本当に面白ければ最高の映画だった。問題はつまらないということ(笑)。
イシイ:
第1作は価値はあるけれど、面白くないって部分は確かにあります。すばらしい作品なんだけど、デモをずっと見続けられている感じ。SFデモですよね。オチもふくめて。それと比べると『カーンの逆襲』【※】は冒険映画としてよく出来ていて。
福井:
『スタートレック』は『カーンの逆襲』以降は面白いですよね。
イシイ:
3作目がちょっと微妙で、4本目が大傑作で、微妙と傑作を繰り返していくっていう。それを最近またJ.J.エイブラムスがエンタメとしてうまく復活させて。
──イシイさんは、以前“福井さん=J.J.エイブラムス【※】説”を唱えていらっしゃいましたよね。
※J.J.エイブラムズ
ハリウッドの映画監督。『スタートレック』のリブート版や『スター・ウォーズ』シークエルトリロジー二作目となる『フォースの覚醒』などを手掛ける。ほかに『ミッション・インポッシブル』シリーズなど。
イシイ:
そうですね。『ヤマト』と『ガンダム』を手がけているということは、日本の『スタートレック』と『スター・ウォーズ』を両方やっている人ですから。
福井:
ああ、そういう意味ですか。でも『ヤマト』をやれるかどうか、まだわからないときは「『ガンダム』と『ヤマト』の両方をやったら最高の飲み屋ネタだね」って冗談で言っていましたけどね。でもやりだしたらそれを成立させるのが大変で、自分を客観的に見る余裕はまだない感じがする。
──自分の原作ではない人気シリーズものに参加する際に意識されていることはありますか?
福井:
やっぱり大事なことは「それの大ファンだったら、やめておけ」ということ。
それが後進に対する最大の忠告ですね。「僕の人生は『ガンダム』、『ヤマト』です」ってぐらいだったら、たぶん受けていないので。『イデオン』の話が来ていたら「それはできない」って言うと思います。あれ以上のものを作れる自信はないし。もう一度お金をかけて、若い人にも見てもらうように広げていきましょうとやるからには、当時のままではいけないわけだし。
そういう意味では『イデオン』と『あしたのジョー』【※】は、僕はいじれませんね。『ガンダム』も『ヤマト』も好きだったし、観てはいるけれども、それなりの距離感があったんで「じゃあいまこれを市場に投下するにはどうしたらいいだろうかな」とか、ファンの人たちの動向も見て、それをどれくらい取り入れて、逆にどれくらい裏切っていくか。そう考えてうまくはまりそうだったら行こう、っていう感じです。
※『あしたのジョー』
1968年から少年マガジンで連載されたボクシング漫画および同名のテレビアニメ。梶原一騎原作、ちばてつやが作画を手掛ける。迫力のあるキャラクターの動きと、成り上がっていきながらもどこか心に虚しさをかかえ、戦いに飢えた「ボクサー」という存在の悲哀も同時に描く。パート1の宿敵力石徹は現実に葬式も開かれるなど人気になった。
SFから見る『ガンダムUC』
──小倉さんから見た『ガンダムUC』というのは?
小倉:
「『ガンダム』というより、福井さんを使ってハードな宇宙SFを作っている」と言われたことはあって、言い得て妙かな。たぶん『ガンダム』のための『ガンダム』を私たちが作っていたら、富野さんも嫌だったでしょうし。
福井:
それまでの『ガンダム』シリーズで、宇宙がどれくらいリアルに描かれていたのかというと、まるっきり本当の宇宙に合わせちゃうと、そもそも絵面が成立しなかったりとか、そういう部分ではごまかしてる部分もあって。
たとえば「コロニーってどう作っているの?」という部分をひとつ取っても、それまでのシリーズでは描かれてない。小説では描写されているんですけど、アニメで映像化するにはデザインを作り込まないと成立しないじゃないですか。それを『UC』でやったところはありましたね。
小倉:
コロニービルダーっていうね。システマチックに宇宙建造物を作るならああだろうし、庵野(秀明)さん【※】も「コロニーの建造方法として、あれは合理的だよね」って褒めてくれましたね。
※庵野秀明
映画監督。代表作に『トップをねらえ!』、『ふしぎの海のナディア』、『新世紀エヴァンゲリオン』、『シン・ゴジラ』。
イシイ:
島1号【※】みたいな初期のコロニーもよかったですね。
※島1号
スペースコロニーの概念を考えた研究者のひとりジェラルド・オニールより著書ハイフロンティアで提案された、コロニーデザイン案のひとつ。島1号(Island One)と島2号(Island Two)が存在する。
小倉:
あれは私の趣味です。ラプラスって首相官邸衛星の設定をもらったときに、長岡秀星さんが描くようなドーナツ型の宇宙ステーションにしようと思って。
──小倉さんの作業の進め方としては「こういうストーリーを考えているから、ここの部分の科学的な裏づけを考えてほしい」という感じですか?
小倉:
そもそも最初に福井さんからプロットをもらった段階で「福井さん、わかってないよ」と言った覚えがあって。
福井:
そうそうそう。「宇宙のことがわかってないよ」と。僕は地球と月の距離感すらわかってないから「これぐらいの速度だと、これだけの日数をかけないと行けないんだよ」とかそういうことから教えてもらって。
だから細かい部分で「これは成立しないよ」ってなったときに、どういう描写ならごまかせるかというアイデアをもらったり。それ以外だと、たとえば物語冒頭の首相暗殺で「首相を宇宙で暗殺するにあたって、派手にやりたいんだけど爆弾じゃ面白くないから何かない?」というのを出してもらったりとか。
小倉:
で、「集光ミラーの角度を変えて、水を爆発させれば逃げようがないでしょう」と。
福井:
そういうアイデアは、小説だと水蒸気爆発っていう表現描写でSFとしての厚みが出せるし、アニメでも派手に爆発させられるんで、どちらでも成立する。その勘どころを小倉さんはわかっているので、理屈としても映像としても成立することを考えてくれる。
やっぱりビジュアルから入っている方なので、逆に文芸としてのSFにこだわるスタンスのSF設定や設定考証の方だと、ここまでフレシキブルにはやってもらえない気はしますね。
小倉:
そういう見せ方としてのSF描写の表現は、アニメではないですけど、私のキャリアでは特撮の平成『ゴジラ』シリーズ、平成『ガメラ』シリーズをやった部分も大きいんですよね。
──その頃はオガワモデリングの時代なんですか。
小倉:
そうですね。オガワモデリングで初めてやったのは『ガンヘッド』【※】の1/8の模型。撮影用の1/8の模型をもとに1/1も作って。その『ガンヘッド』でオガワモデリングが東宝美術に認められて『ゴジラvsビオランテ』【※】以降のシリーズを任されることになるんだけど。撮影用の模型の設計というのは、設計をすることで造形物の工程管理もしていく。
模型自体がいくつかのパーツに分かれていて、最後に合体させるのが一般的なので「1パーツあたり何人で何週間かかるから×何ブロックで何ヵ月かな」とか、そういう形。
もともとオガワモデリングは、映画『さよならジュピター』で宇宙船模型を作るために組まれたチームがスタートなんですよ。代表の小川正晴さん【※】が、河森正治さん【※】の同級生。当時の慶応グループの人たちの行動力はすごくて。
※小川正晴
オガワモデリング代表取締役社長。
※河森正治
日本のメカデザインの第一人者の一人。『マクロス』シリーズ、『ガンヘッド』、『エウレカセブン』シリーズのデザインを始め、ゲームでは『アーマードコア』シリーズや、来春発売予定の『デビルメイクライ5』にも関わる。
──当時の慶応グループからアニメや映像業界を牽引するクリエイターが続々出たとは聞いています。
小倉:
小川正晴さんと河森正治さんがいるでしょ。それからマンガ家の細野不二彦さん、イラストレーターの美樹本晴彦さん、脚本家の大野木寛さん。そういう人たちが集まっていて、なかでも一番機動力があるのがホントなら呉服問屋の若旦那になるはずの小川正晴さんだったんです。
「電話帳を活用できない奴はダメだ」と『ヤマト』のクレジットからスタジオぬえの連絡先を探して、宮武一貴さんに会いに行ったりとか。もちろん慶応の人たちなんで礼儀はわきまえているし、ちゃんと筋道を立てて見学しに行って。
そんな感じの先輩が立ち上げたのがオガワモデリング。小川さんは模型作りが得意で、フルスクラッチで宮武さんの図面から『2001年宇宙の旅』のディスカバリー号の模型を自力で作っちゃった。情熱だけじゃなくて、場所も時間もお金もないとできないですよ。それを見た作家の高千穂遙さんが小松左京さんに「こいつに模型を作らせたら絶対いいSF映画ができますよ」って紹介したところから『さよならジュピター』につながっていって。
それまでの東宝特撮映画の模型って木製のシンプルな流線型で、あれはあれで素敵なんだけれど、そこで進化が止まっちゃっている。だから新しいセンスを小松さんも求めていたし、『日本沈没』の大ヒットもあって、東宝特撮映画のアドバイザー的な位置に小松左京さんがいたんですよ。
その頃、田中友幸社長から「『スター・ウォーズ』っていう宇宙の映画が来るみたいだから、小松さんも『スター・ウォーズ』に当て込んだ映画企画を書いてよ」となるんだけれど、小松さんとしても単に二番煎じをやってもしょうがないし、これから日本の若い連中が胸を張って海外に出て行けるような映画を作らなきゃあいけないと。だからと言って実際にできた映画『さよならジュピター』でそれができたかどうかは別の話なんだけどね。
福井:
でも志がすごいよね。
──小倉さんはもともとアニメの動画をやられてからオガワモデリングってことですよね。
小倉:
高校時代にイオに見学に行って、私はてっきり『さよならジュピター』みたいなSF映画のお手伝いができるだろうと勝手に思っていたんだけど、映像部門としてイオは店じまいだったわけですよ。
福井:
『さよならジュピター』で興行的に大やけどしたんですよね。
小倉:
そう。で、その時にイオの乙部さんから「でもあなたは絵を描けるんでしょ。だったらアニメは?」と言われて、当時ナウシカの表紙の雑誌『アニメージュ』に竜の子アニメ技術研究所の研修生募集があったので、それに応募したんです。だから高校出て、すぐタツノコの研修生。研修生終えてフリーの動画が1984年から1986年ごろまでですね。
福井氏の語る「先鋭化の果て」
──この頃のSFでイシイさんが『時をかける少女』【※】を印象的な作品として挙げられていますが、福井さんと小倉さんはいかがでしたか?
小倉:
もちろん好きだけど、もっと好きなのは私たちの先輩だよね。とり・みきさん、出渕裕さん、河森正治さんとか。
イシイ:
松田聖子や中森明菜には乗れてなくて、ちょっとヤンキーかも?って空気がもれてくるわけですよ。でも『時をかける少女』で原田知世が出てきて「俺たちの女神だ!」ってうわーっとなって、そしたらオタクの先輩たちはそれ以上で映画『天国にいちばん近い島』の海外ロケに行くぐらい夢中になっちゃって。
福井:
海外ロケに着いて行っちゃったの?
小倉:
出演しています。
福井:
映画に映っているの?
小倉:
もちろん。アニメ雑誌のコラムでゆうきまさみさんとか、とり・みきさんが「この世の中は3つのモノでできている! 原田知世に関係あるものと、原田知世に関係ないものと、原田知世その人だ!」と書かれていて。
イシイ:
『時をかける少女』は文系映画だったんですよね。映画・演劇の世界というよりはサブカルで、オタクが撮った映画って空気が大林映画にはすごく出ていたんですよね。
小倉:
映画人というよりは仲間の先輩が作っているような感覚。
イシイ:
言葉を選ばずに言うと、ロリコン映画だった(笑)。大林さんは才能が飛び抜けていて、特殊な感じでしたよね。同時期に森田芳光さんも出てきてたんですけど、映画の文法としてはどちらかと言うと演劇的だったし。
小倉:
オタク映画と言ったら失礼なんだけど、何が違うんだろうね?
イシイ:
何でしょうね。女優を撮るというよりも、少女を二次元的に撮っている感じがする。
福井:
直前に『転校生』があったじゃないですか。『転校生』はそうではない?
イシイ:
大林作品でも『転校生』は肉体を描いていましたよね。逆に『時をかける少女』とか『さびしんぼう』とか『HOUSE ハウス』とかはビデオ的というか、アニメに近い感性で映画を撮っている感じがしましたね。
大林さんの後継的に今関あきよしさんも出てきて『アイコ十六歳』とか『タイム・リープ』とかはすごく良かった。そのあと岩井俊二さんが来るのかな。やっぱり少女を撮るのが天才的にうまい。『花とアリス』とか。
僕は『マクロス』や『ビューティフル・ドリーマー』、『ナウシカ』もふくめてなんですけど、ちょっと引いた世代なんですよ。オタクっていうものがちょっと尖り過ぎたなって感じて。
それまでは『ガンダム』にしても『イデオン』にしても、海外のSFに対抗したりとか、一般の人も観に来てくれっていう外への目線があった気がするんですよね。それが『マクロス』の劇場版とか出来はすごいんだけど、観に行ったって言いづらいというか、オタクじゃない彼女とは行けないよなっていう。
小倉:
でもそういう方向性だからこそ、当時の若いクリエイターがエネルギーを叩き込んでいて。
福井:
そうだね。『ヤマト』や『ガンダム』のアニメブームの頃って、映画ファンでもちょっと目端が利く若い奴も見ていたような気がするんですよ。その人たちがもっとオタク向けのアニメも追いかけ続けたかと言うと、どこかで見なくなった。そこで大きな分岐が起こった気がしますよね。
SFがオタクという新しいウイルスと混ざって、本来の伸びる方向じゃない方向に幹が行ったような、そんな印象もあって。僕が『ガンダム』や『ヤマト』をやるときに一番心がけたのは、変種として生まれたものの先にはもっと変種の続きが来るだろうと視聴者は無意識に思っているわけですよ。
でもそれは変種として生まれたから先が細い。もともとこんなに太い幹から枝分かれしていった結果なのに、どんどん細い方向へ行こうとしてしまう。だとしたら枝分かれする直前のところをぶち当てようっていうのは、いつも気をつけているところですね。
たとえばメカや美少女がどんどん先鋭化するんだとしたら、それをなるだけ鈍らせたい。鈍らせて、古くさいぐらいでも成立するときに初めて一般化っていうのが見えてくるんじゃないか。ガンプラを買うのに並んでいた子どもたちにしても、アニメファンだけじゃなくていじめっ子もいじめられっ子もいた。野球少年もいれば、文化系の少年もいた。そういうジャンル化する前に戻って、ここからもう一度入れるものもあるんじゃないのかなと。
1980年代にファミコンが出てきて、それまで子どもはテレビでアニメや特撮を見ていたのが、ゲームをするためにテレビをモニターとして使うようになって、アニメを見てくれなくなった。どこで糊口をしのごうかと考えたのがOVAですよね。OVAっていうのは単価が高いから、マスに向けなくても成立する。
それで味をしめちゃって、そうすると結構なお金を出してアニメを観る層は、さっきの先鋭化したメカと美少女がいいわけだから、だったらメカと美少女を出せば売れるだろうという論法でやっていったらだんだん歪んでいって。それがひとつ行き着いてしまったのが宮崎勤事件【※】だと思うんですよね。
※宮崎勤事件
1988年~1989年に発生した連続幼女誘拐殺人事件。犯人の宮崎勤が6000本弱のビデオテープを所有するなど当時の「オタク」のイメージそのままの人物像であったため、世論がオタクパッシングに大きく振れるきっかけになった。
イシイ:
僕自身も1980年代後半はそんなにアニメを見ていないんですよ。ワイドショーで宮崎事件の部屋を見て、親が心配していましたよね。僕らオタクの親はみんな「ウチの子と同じ部屋だ」と思うわけですよ。本とビデオとレコードが山ほど積んであって。でもあれはオタクの普通の部屋だったから。
小倉:
人によっては「俺よりも綺麗な部屋だ」とかね。
──福井さんとイシイさんは、1980年代後半から1990年代にかけてSFとかオタク的なものと、ちょっと距離を置いていたと。
福井:
オタク的なものと、SF的なものってイコールではないじゃないですか。
イシイ:
SFの洋画は『ブレードランナー』【※1】や『ターミネーター』【※2】、『マトリックス』【※3】、最近でも『レディ・プレイヤー1』【※4】などずっと追いかけてきたし、SF小説を読んでいた気はする。あとはコンピューターブームで、マッキントッシュにハマってたんですよね。
さっき福井さんも言ったようにアニメが一度マニアックに降って下火になった時に、ゲームがすごく元気で、1980年代後半から1990年代前半はファミコンからスーパーファミコンの時代。まさに『ドラゴンクエスト』ブームで、もうちょっと先端の人間はマッキントッシュで『シムシティ』を遊んでいたり。
※『レディ・プレイヤー1』
2018年公開。オアシスというVR世界が世に広まった未来の世界を描く。スティーブン・スピルバーグ監督作品。
小倉:
オガワモデリングでもゲームの映像のための造形を提供していましたね。3D空間にカメラが入っていくための造形物をやっていたし、会社に内緒の内職で、ゲームアーツさんの『シルフィード』【※】の三面図のポスターの原画をやってたりとか。
※『シルフィード』
ゲームアーツ開発の縦スクロールシューティングゲーム。
イシイ:
そのゲームからまたアニメという流れになったのは、やっぱり『新世紀エヴァンゲリオン』【※】でしょうね。『エヴァ』以前にもマニアックでいいものはいっぱい出ているんですけど、宮崎事件の影響もあったし、ゲームのブームが強かった。
──イシイさんは、この時期だと『スペースシップ・ワーロック』【※】に衝撃を受けたということですが。
※『スペースシップ・ワーロック』
1991年PC用として発売されたスペースオペラ物のADV。インタラクティブムービーの走りとされる。
イシイ:
『スペースシップ・ワーロック』というCD-ROMの時代になってアニメーションや音声を使えるゲームが1990年代前半に出始めて、『Dの食卓』【※】もそうですよね。CGだけだと単なる映像なんですけど、映像を積み重ねていくことでゲームにすることが可能になった時代。
それまで映像センスをゲームに持ち込むことは難しくて、ドット絵に翻訳するセンスが必要だったんですけど、映像のノウハウをゲームにも使えるようになった。
ドット絵だとドッターに指示しなきゃいけないじゃないですか。でも映像だと自分がハンドリングできるなと思ったんですよね。絵コンテを描いたものが粗くても映像としてちゃんとゲームに落とし込めるようになった。
それまでは「3秒でオーバーラップ」と書いても「オーバーラップはできません。違う仕様を考えてください」って言われていたわけですよ。当然、ドットに翻訳する人が上手いか下手かでやれることも制限される。でも映像が使えるようになれば、自分のノウハウでやりたいことができる。だから当時自分でPhotoshopも使って。
小倉:
Photoshopが出てきたのは大きいよね。
イシイ:
そうですね。Photoshopも最初は使い勝手が悪いソフトでレイヤー機能とかはなかったんです。レイヤーがあったので、当時はIllustratorのほうをみんな使っていた気がします。
──小倉さんはアナログで絵を描いていたわけですが、デジタルへの移行というのは……。
小倉:
オガワモデリングは映画の仕事がないときは建築模型をやっていたりしたんですけど、そのうちにモーションコントロールカメラやCGを扱う映像制作部を作ることになったんですね。
最初はベネッセのビデオを受注して、DirectorというソフトでPhotoshopの素材を動かして小学生の算数の問題を作るとか。そういうことをやっていましたね。いずれにしてもPhotoshopをある程度マスターしないといけないからすごく時間がかかって、つらい時代がありましたね。