『ウルトラマン』、『宇宙戦艦ヤマト』、『機動戦士ガンダム』……。程度こそ異なるが、「宇宙」と「SF」をテーマに取り入れた作品は1980年代ごろから多数存在し、現在まで小説やアニメ・実写映像、ゲームなど媒体のかたちを問わず多くの人がエンターテイメントとして慣れ親しんできた。
宇宙SFは遠い世界のようで、意外と身近な作品のなかに多くあふれている。
2007年から連載された福井晴敏氏による『機動戦士ガンダムUC』も、そんな作品のひとつだろう。福井氏自身は1998年に出版された小説『Twelve Y.O.』を皮切りに、『亡国のイージス』、『終戦のローレライ』を執筆。ハードボイルドなテイストであり、なおかつリアリティを上手く作品内で味わわせる福井氏は、SFの設定考証で活躍してきた小倉信也氏と組み、この『機動戦士ガンダムUC』を生み出した。
同作のように、SFや宇宙をリアリティをもって取り扱いつつ、かつそれらをエンターテイメント作品として成り立たせるには、勘どころの求められる設定考証や変換作業が必要になる。重厚な設定を積み上げて語ればいいわけではない。第一線でその仕事に取り組んできたクリエイターたちは、いったいどのような作品に触れ、SFや宇宙をどう解釈してきたのだろうか。
今回は恒星の擬人化に挑む『恒星少女』のDMM GAMESの協力を得て、同作を監修する小倉氏、イシイジロウ氏の両名と、『ガンダムUC』で小倉氏とつながりのある福井氏をお迎えし、子ども時代に触れた作品から最新作まで、そして自身が関わってきた仕事について語っていただいた。いずれもエンターテイメント作品にSFと宇宙を落とし込む3名。同年代でもあるそれぞれの身体は、いったいどんな作品で構成されているのだろうか。
聞き手、文/野口智弘、福山幸司
編集/ishigenn
カメラマン/佐々木秀二
イシイジロウ氏と小倉氏、小倉氏と福井氏の出会い
イシイジロウ(以下、イシイ):
いま開発している『恒星少女』【※】は、もともとDMM GAMESさんが恒星をテーマにゲームを作りたいと企画されていて。宇宙SF好きとしては「せっかく宇宙ものをやるなら、SFファンが喜ぶ要素を入れたゲームにしたい」と。
「だったら面白い人を知ってますよ」と、小倉さんに参画していただいた形です。「恒星が女の子ってどういうこと?」ってところに理屈をつけてもらおうと。
※『恒星少女』
DMM GAMESが開発中のスペースオペラRPG。イシイジロウ氏と小倉信也氏のタッグが組む”外宇宙SF作品”。宇宙船の設計図を手に入れた主人公が、外宇宙で恒星少女たちと出会い、未知の敵と戦う。現在は事前登録を受付中。
小倉信也(以下、小倉):
擬人化が流行っているじゃないですか。SFでもたとえば『スタートレック』【※】で神様のような高次元の存在が「お前ら地球人類にもわかりやすいように神話の神の姿で出てきてやったよ」って話があるから、ああいうものの仲間だろうと。恒星のコミュニケーションアバターとして出てきたのが美少女。
福井晴敏(以下、福井):
なるほどね。恒星が人間とコミュニケーションを取るために、女の子の姿をとって現れている。恒星そのものは?
小倉:
ちゃんと恒星としてあります。美少女は、文明の代理として置いておくから、地球人類が来たら挨拶してあげてという、恒星に置かれたAI。代理知性。
イシイ:
女の子の格好をしているけど、本来はそこの恒星系にあった文明なので、もしかしたら人型じゃなくて虫型の知的生命かもしれない。でも虫のまま出てきたら、我々は感情移入しづらい。
だから地球人類がイメージできる形で、出てきてくれているのが女の子たち。たとえば天秤座がモチーフの女の子もいるんですけど、天秤座とか地球から見た位置関係じゃないですか。向こうはそれを理解したうえで、天秤座のモチーフの姿で出てくる。
福井:
じゃあ、それぞれの恒星系に別の知性体がいる?
イシイ:
『恒星少女』のモデルは、その恒星系の過去の文明から取ってきてはいるんですよ。でもどの文明もすべて進化して、同じようなところに行ってしまっている。つまり『伝説巨神イデオン』【※】(以下、『イデオン』)のイデみたいなものになっている。
イデになる前の第六文明人【※】みたいなものが大量にいて、それが人間の形なのか、植物から進化した知性体なのか、そこがバラけているというのが僕の考え。ただイデは完全に集合体として一種の神様になっていますけど、そこまでは行っていない。個々の人格を持った情報体として現れているので。
小倉:
いやイシイさんの話のままだとビジュアルとして『恒星少女』たち代理知性が同じ外観様式の美少女スタイルとして登場する合理性がない。代理知性をそれぞれの恒星の置いた存在自体は、超越段階に到達したイシイさんの言うイデのような存在じゃないと。
福井:
わかりました。まだ工事中なんだってことが。
一同:
(笑)。
※編集部注:対談の収録は今年5月。
福井:
「恒星を擬人化する」というアイデアはどこから?
イシイ:
DMM GAMESさんからのオーダーは宇宙でしたっけ?
DMM GAMES担当者:
最初は星座の擬人化がいいんじゃないかと。アイデアだけでゲームを作るのはなかなか難しいと考えていて。
イシイ:
「恒星にしよう」って考えたのが僕と小倉さんですね。
小倉:
星座だと「ペガサス流星拳!」【※】みたいになっちゃうし。
※ペガサス流星拳
1986年から連載されてきた車田正美の漫画『聖闘士星矢』において、主人公の星矢が使う必殺技。同作では聖闘士と呼ばれる戦士ひとりひとりに星座が割り当てられている。
──そもそもイシイさんと小倉さんの縁は?
小倉:
もともとは『交響詩篇エウレカセブン』【※】で一緒に仕事をした、脚本家の佐藤大【※】さんに紹介していただいて。
※佐藤大
脚本家・小説家。『エウレカセブン』の他に『カウボーイビバップ』や『サムライチャンプルー』などの脚本も手掛ける。
イシイ:
僕が『428 ~封鎖された渋谷で~』【※】(以下、『428』)の制作中に脚本家の佐藤大さんにアドバイザーとして協力してもらっていたんです。その頃ゲームに設定考証の人に参加してもらうことは少なかったんですね。
シナリオライターが自分で調べることが多かったんですけど、佐藤さんから「アニメには設定の専門家がいるから手伝ってもらうと楽だよ」と教えてもらって。「『プラネテス』で宇宙の設定考証をしたすごい人がいるんだけど」って小倉さんを紹介していただいて。
※『428 ~封鎖された渋谷で~』
2008年に発売されたチュンソフト開発、セガ発売のサウンドノベル。前サウンドノベル『街』のザッピングシステムを受け継ぎながら、大枠の物語は大きく異なる挑戦的な内容になっている。
小倉:
でも『428』には小倉の得意な宇宙SFはあんまり関係ないよね、ってことで、そのときは軍事や諜報関係にも詳しい白土晴一さん【※】をご紹介して。
※白土晴一
軍事、歴史方面に明るい時代考証家。『ヨルムンガンド』、『ドリフターズ』などで考証を担当。
イシイ:
『428』は白土晴一さんに手伝っていただいて。白土さんはゲームでは『バイオハザード』シリーズや、アニメでは最近『プリンセス・プリンシパル』【※】など、いろいろな作品にリサーチャーとして参加されています。
※『プリンセス・プリンシパル』
2017年放送。架空のロンドンを舞台にした女子高生達のスパイアクションアニメーション。
小倉:
そういう出会いがあって、しばらくイシイさんとは仕事とは関係なく、遊び友達として付き合っていたんですよ。
イシイ:
小倉さんと仕事でご一緒したのは『翠星のガルガンディア』【※1】の続編企画ですね。その後小倉さんは『宇宙戦艦ヤマト』【※2】(以下、『ヤマト』)をやることになり、僕はもともと『ヤマト』好きなので「じゃあネタバレしちゃうよ?」、「勘弁してくださいよ」と言い合ったりしていて(笑)。そういう間柄で宇宙ものの『恒星少女』の企画にお声がけさせていただきました。
小倉:
直接会ってなくてもSNSがあるからずっとつながっている感覚だよね。
イシイ:
そうですね。小倉さんが『スター・ウォーズ』【※】のネタバレを食らったら、僕にもその画像を転送してきたりして(笑)。
福井:
僕が『機動戦士ガンダムUC』【※】を書くにあたって、小倉さんを紹介されたのはもう12年も前ですか。本当に助かったんですよ。SFどころか理科も苦手な子どもだったんで。
ビームが光の速さで飛んでくるものだとか、そういうことも知らなかったし。本当ならば光った瞬間に当たっているんだから、それが避けられるのがニュータイプだとか。宇宙では全ての物体が同じ場所に止まっている(静止している)ことはないとかね。
小倉:
宇宙なんだけど「静止している」って物語上は書きたくなるんですよね。
福井:
そういうところから教えてもらって、ようやく物語世界をとらえられるようになった。それですごく助かったので、SF作品をやるときには基本的に小倉さんにお願いしている感じです。
──『恒星少女』の話に戻りますけど、星座じゃなくて恒星のほうが新しい広がりがあるんじゃないかと考えられたのですか?
イシイ:
星座だったら、小倉さんに頼まない気がする。それってメルヘンだし、ギリシャ神話の世界になっちゃうじゃないですか。アンタレスとかミラとか聞いたことあるけど、それって星の名前だったの? とか。ルーツを知らない星の名前っていっぱいあるんですよ、アルデバランとか。
小倉:
最初の案だと星座の神話のキャラクターのまんまになっちゃうんですよ。でも実際にその星まで行って地球外の知的生命体に会ったとしても、地球から来た人類側は「え、なんで星座なの?」ってなるじゃないですか。
福井:
地球から見た角度じゃないと星座は成立しないですもんね。確かに恒星にしたほうがメリットはある気がします。星座の擬人化は昔からあるものね。
イシイ:
恒星じゃなくて惑星になると『美少女戦士セーラームーン』【※】のイメージになっちゃうし。あとSF好きとしては宇宙船を出したいなと思ったんですよ。外宇宙船というか、恒星間宇宙船。恒星を飛び回る話で、小倉さんを呼んだらきっと面白い設定を作ってくれるんじゃないかなって。
※『美少女戦士セーラームーン』
1992年から連載された武内直子の漫画、あるいは1992年から放送された同タイトルのテレビアニメシリーズ。主人公の月野うさぎほか、セーラー戦士たちはそれぞれの惑星の名前をつけられている。
──「恒星で何か考えてください」ってときに、どんな印象を受けましたか。
小倉:
とは言っても朝のニュース番組で星座占いをやっているぐらいで、一般のユーザーやOLなどの女性層には“黄道十二星座”なんかはやはり親しみやすいだろうから、この“黄道十二星座”や一般にも有名な星なんかは地球人類の味方という設定にしといたほうがいいかな、とかね。
DMM GAMES担当者:
アルデバランぐらい有名な星だとネットにも情報はあるんですけど、マイナーな星になるにつれ情報は少なくなるんで、キャラクターをどう起こせばいいんだろうってときに、小倉さんから知恵をお借りしたりとか。
小倉:
その恒星が知名度もなく固有名称もなかったら、型番そのものをキャラクターの名前にしちゃおう、とかね。
イシイ:
やっぱり有名な星って、明るいから有名なんですよね。だからそれなりに地球と近い。主要なキャラクターはそこから取っていって、という感じですよね。
小倉:
明るい星の地球からの距離って百光年程度とか、二百光年。そんなものなんですよ。せいぜい三百光年。これが我々の知っているお星さまですよね。
イシイ:
苦労しているのが、実際に宇宙船で旅をさせると、行きたいところに順番に恒星が並んでいるとは限らないということで。
福井:
しかも設定を聞くと、何万年も経つから星の位置が現在とは違う位置にあるわけだよね。
イシイ:
そう、それもあるんですよ。
1970年代、松本宇宙から富野宇宙へ
イシイ:
日本のSFって松本零士さん【※】の“松本宇宙”から、富野由悠季さん【※】の“富野宇宙”に変わったタイミングがありますよね。
※1 松本零士
『銀河鉄道999』、『キャプテン・ハーロック』などで知られる漫画家。イマジネーション溢れる世界観の構築には絶大なファンも多い。作品に自分の他作品のキャラクターを登場させるスターシステムを採用する。
※2 富野由悠季
『機動戦士ガンダム』シリーズ、『伝説巨人イデオン』、『聖戦士ダンバイン』などの監督。独特な感性とその歯に衣着せぬ発言は「富野語録」と呼ばれることもある。
福井:
ああ、ありますね。
小倉:
最初は1974年に『ヤマト』で松本零士宇宙ショックがあったんですよ。あれは鮮烈でしたよね。
イシイ:
その頃は松本メーター【※1】があるのがSFだったんですけど、1978年の『機動戦士ガンダム』(以下、『ガンダム』)【※2】で富野さんがもっといろんなアイデアを持ち込んで。
※松本メーター
松本零士の漫画に出てくる宇宙船によく出てくる計器類の時計のようなデザイン。
小倉:
あの人、ロケット技術が大好きだから。
──『ヤマト』の頃は宇宙が海のメタファーだったのが『ガンダム』で真空の宇宙に変わったっていう感じなんですかね。
福井:
やっぱり松本零士さんの場合は何もない野原で、ひとりの少年がずっと星空を見上げているときに感じる宇宙なんですよ。
小倉:
いいこと言う。
──『銀河鉄道999』【※】とかまさにそうですね。
福井:
富野由悠季はお父さんが戦争中に軍需工場で戦闘機の与圧服を作る仕事をしていたという仕事もあって、一時は本当に宇宙飛行士になりたいってことを人生の目標に立てていた人。あの人が思い描く宇宙は“行く場所”なんです。
小倉:
ものすごいロケット少年でしたよね。
福井:
だから宇宙が憧れで遠い場所なのと、いつか行ってみせるっていう違いですよね。そのスタンスの違いが、はっきり描写のなかにある。
小倉:
むしろ松本零士さんのお父さんがパイロット。
福井:
そうそう。そこが違うんでしょうね。
イシイ:
僕は『ヤマト』が始まったときに、SFだけどやっとロボットじゃないものが出てきたと思ったんですよ。その頃は戦闘機と戦艦のほうがSFとしてはロボットより上だと勝手に思っていて。『ヤマト』でロボットから卒業したのに、「今度サンライズがロボットアニメで宇宙ものをやるらしい」となって。そういった経緯だったので、最初は『ガンダム』を観てなかったんですよ。
そうしたら友達から電話がかかってきて「イシイ、大変だ。『ガンダム』観たほうがいい」って。「ロボットアニメだろ? もう観ないよ」と返したら、「いいから観て。敵が量産型なんだよ!」と興奮気味に言われて。僕も「え、量産型!? ちょっと観てみるわ!」となって(笑)。
一同:
(笑)
イシイ:
で、テレビをつけてみたら、ちょうど「大気圏突入」の回だったんですよ。「大気圏突入」って僕からしたらまさに『ヤマト』と『ガンダム』の違いだったんです。『ヤマト』って最近の『宇宙戦艦ヤマト2199』とかは、断熱圧縮の描写も出てるんですけど、地球と宇宙が案外続いているんですよ。『ガンダム』が初めて大気のある地球と、大気のない宇宙という違いを出していた。
「地球と宇宙を行き来するのがこれだけ大変だよ」ってちゃんとやっているのが驚きで。もうひとつは無重力。『ヤマト』も艦内の無重力は描いていなかったですから。
──皆さんのSFとの出会いを聞かせていただけますか?
小倉:
僕らの世代的には『ウルトラマン』【※】シリーズの洗礼がありましたよね。
福井:
そうだよね。
小倉:
『ウルトラマン』シリーズは当時何度も再放送していたってのがやっぱり一番大きくて。そこで子どものなかに残る形になるんですよね。
福井:
子どもだからSFという考えもなくて。
小倉:
なかったんだけど、地球以外にも星があって、こんなに楽しい方々がいたりと。
イシイ:
宇宙人がいる。東宝特撮映画もそうですよね。UFOみたいなのが飛んできて、地球防衛軍が迎え撃つみたいな。
福井:
たぶん『ウルトラマン』で僕は初めて地球が宇宙に浮かんでいる図を見た気がする。
小倉:
ああ。
福井:
いま見たらチャチなもんだよね。でも「ここに俺たちが住んでいるのか」っていうのを子ども向けの特撮番組で知らされる。これって、ある種のSF体験だと思いますね。
──みなさんがお生まれになった1968年に前後して『2001年宇宙の旅』【※】もありますが、あの当時でも宇宙から地球をカラーで撮った写真はなかったそうですね。
小倉:
『2001年宇宙の旅』は当時観ていないんですよね。ずいぶん大きくなってから観て。僕は中学のときでした。
イシイ:
僕は小学校高学年のときに再上映で見ましたね。一緒に連れて行ってくれたおじさんがいたんですけど、あの作品って当時としては長いから、途中休憩が入るんですよ。
おじさんがいい加減な人だったから、観たのが後半からで、いきなりHALがボーマンたちの密談を解読しているところから始まって、ただでさえ難しい作品なのにまったく意味がわからなくて(笑)。
小倉:
SFに入ったきっかけで言うと、私は小松左京さん【※】が大きかったですね。中学になって小松さんの小説を読み始める前に、小松さん原作の『日本沈没』【※】でのショックがあって、「なんか怖い映画がある」と(笑)。
※小松左京
SF作家。1963年に『地には平和を』でデビュー。1973年の『日本沈没』が社会現象に。文明論的、哲学的な視点を貫ぬかれた骨太の作風を特徴としている。大阪万博にも携わり、日本初の本格的SF映画を構想するなど、日本SF界の中心人物としてSF作家たちを牽引した。
イシイ:
あとやっぱり子どもだと『2001年宇宙の旅』よりも『猿の惑星』【※】でしたね。
福井:
ああ、そうだね。
小倉:
『猿の惑星』が大ヒットして日本でも『猿の軍団』【※】をやったり。
※『猿の軍団』
1974年に放映されたテレビドラマ。基本的な設定は『猿の惑星』と大きくは変わらないが、より細かい世界観設定を構築しようと腐心した跡がみられる。
イシイ:
僕は『猿の軍団』の裏で『アルプスの少女ハイジ』【※】(以下、『ハイジ』)を観ていました。
※『アルプスの少女ハイジ』
1974年より放送。スイスのアルプスに住む天真爛漫な少女と、病弱で立つことができない少女クララとの交流を軸に描かれた児童向けアニメの傑作。
──家庭用ビデオがほとんどない時代に『ヤマト』と『ハイジ』と『猿の軍団』が同じ時間帯だったんですよね。
小倉:
そう、三つ巴の戦いがあったんですよ。
イシイ:
やっぱり『ハイジ』には勝てなかったですよね、子ども的には。
小倉:
ただ『ヤマト』は再放送してくれたので。日本テレビが夕方にヘビーローテーションでやっていた。
──みなさんそれぞれテレビでやっているものからSF的なものに触れて。
小倉:
映像は大きいと思う。我々の世代では。
福井:
我々の世代はすべて映像からですよね。そこから小説にも行くんだけど、いまの子どもたちと比べると、俺たちの時代はなにもなかったから。
小倉:
書かれているものが少なかったものね。
福井:
マンガがあってもすぐに読み終わっちゃって、そうすると暇をもてあます。それで本を読むんだけど、子ども時代に小説を読むって、当時せいぜい児童書しかなかったのが、小学校高学年ぐらいのときに「『ガンダム』の小説はエッチらしいよ」って聞かされたりとかね(笑)。
──『ガンダム』以外の映像作品で思い出に残っている作品はありますか?
小倉:
「『スター・ウォーズ』が来る前に稼いじゃえ」と作られた『スターウルフ』【※】とか『宇宙からのメッセージ』【※】とか。
※『スターウルフ』
1978年に円谷プロダクションが制作したスペースオペラ。原作はアメリカ人作家エドモント・ハミルトン。
※『宇宙からのメッセージ』
1978年上映。日本製スター・ウォーズを目指して制作された深作欣二監督作品。モチーフは曲亭馬琴『南総里見八犬伝』。
福井:
僕はいまでも『宇宙からのメッセージ』は『スター・ウォーズ』より面白いと思ってますよ。そういう意味では1970年代末にSFブームが来ますよね。それ以前のSFは小松左京さんの『日本沈没』は大ヒットしたけれど、SFじゃなくて社会派の作品だった。
それが『未知との遭遇』【※】と『スター・ウォーズ』が揃ってやってきて、日本では期せずして『宇宙戦艦ヤマト』と『機動戦士ガンダム』もあった。1970年代末が大転換だったと思いますね。それまでは本来なら大人向けにやるSFでも、ほかでやれないから仕方なく子ども向けの怪獣モノでやっていた、という感じも見受けられましたよね。
小倉:
アメリカも東西冷戦が激しい時期の政治情勢上、政策に対する社会批判のドラマが作れないので『トワイライトゾーン』(邦題『ミステリーゾーン』)【※】でSFという形で社会風刺をやっていて。この頃のSFドラマは、一種の“寓話”として機能していたんですよね。
福井:
あくまでも、そういう批評やカリカチュアの手段として使われていたもの、あるいは子ども向けの駄菓子みたいなものでも、きちんとした食材で作ったらディナーもいけるよ、って出してきたのがスティーブン・スピルバーグ【※】ですよね。
彼はサメに襲われるだけの話でもこんなに人を夢中にできるという『ジョーズ』【※】の方法論を使って、円盤に乗って宇宙人がやってきたって話を『未知との遭遇』で映像にした。あれでみんな「こうすりゃできるんだ。だったら俺もこうする」と入ってきて、映像作品におけるSFの定義が一気に広がった感がありますよね。
※スティーブン・スピルバーグ
テレビ映画『激突』で頭角を現した名監督。代表作に『E・T』、『インディ・ジョーンズ』シリーズなどがある。『シンドラーのリスト』でアカデミー賞監督賞、作品賞を受賞。
※『ジョーズ』
1975年上映。巨大なサメが人間を襲うという、中々思わないが実は身近な題材を扱ったパニック映画。そもそも「ジョー」は「顎」という意味の英語だが、映画の爆発的ヒットにより「サメ」という意味を持つようになったとされる。
イシイ:
わかります。さっきの松本宇宙か富野宇宙で言うと、スピルバーグも『スター・ウォーズ』も松本宇宙だと思うんです。だからこそ逆に、僕らは富野宇宙に夢中になったのかなって。
富野宇宙って『スター・ウォーズ』や『未知との遭遇』というよりは『2001年宇宙の旅』なんですよね。そこは日本の特殊な進化だったんだなと。富野宇宙は世界的にはあんまりウケないじゃないですか。むしろ松本宇宙的なものはわかりやすいからウケる。
福井:
ヨーロッパで『キャプテン・ハーロック』【※】が人気とかね。いま話を聞いていて、それを感じました。日本は『2001年宇宙の旅』好きもすごく多いし。
小倉:
昔、私がいたオガワモデリング【※1】の社長が、1メートル以上ある『2001年宇宙の旅』のディスカバリー号の模型を作ったんですよ。そこから「こういう大学生がいるんだよ、こいつに模型を作らせたら、日本一のSF映画が作られる」って高千穂遙【※2】が小松左京さんに働きかけて、SF映画を作っちゃったりとか。
※1 オガワモデリング
埼玉に居を置くデジタル映像の製作会社。前身は造形製作を専業としていた。
※2 高千穂遥
SF作家。スタジオぬえの設立メンバーのひとりで、SF啓蒙や、SF小説のヴィジュアル化に貢献。小説『クラッシャージョウ』は日本初の本格的スペースオペラ小説としても知られる。辛口のSF論客としても名をはせた。
──『さよならジュピター』【※】ですよね。お三方のなかでは小倉さんがSFの濃い人たちに囲まれてキャリアをつまれたのかなと。
小倉:
結果的にね。
福井:
小倉さん、小松左京さんのところに行ったんだよね。
小倉:
まだ高校生で卒業後の進路を考えていたときに小松左京さんが『さよならジュピター』のサイン会をやられていたんですよね。意を決して「事務所に見学に行きたいんです!」って言ったら、小松左京さんが名刺を出して「遊びに来なさい」と言ってくれて。
いまみたいなストーカー対策とかなかったから。いま福井さんに、いきなり高校生が「弟子入りしたい」って言ってきたら「帰りなさい」って言いますよね?
福井:
うーん、まあ、そうだねえ……。
一同:
(笑)。
小倉:
中学生の頃に『さらば宇宙戦艦ヤマト』と劇場版『スタートレック』で、ああいう映像を作ることを仕事にしたいと思ったんだけど、どこに行けばいいかわからない。それで高校三年生の頃に、小松左京さんの事務所に行くわけですよ。
でも事務所に行っても小松さんはいなくて、秘書の乙部順子さんというスーパーレディがいらっしゃって、海外に行っている小松さんに国際電話で「何時までに空港に行かないと飛行機乗れないでしょ!」って叱りながら、事務所のスタッフに指示しつつ、遊びに来ている私に「出前これだから、食べたいもの選んで。それで何?」って人生相談みたいなものをやってくれるという、すごい方でしたね。
──それが『さよならジュピター』の後の話?
小倉:
行ったのは公開前なんだけど、制作はもう終わってるから、すっかり“店じまい”の最中だった(笑)。
イシイ:
東京にいる人はいいなあ。
──イシイさんは映画やイベントは神戸から大阪に出る感じだったんですか。
イシイ:
神戸に住んでいましたから、大阪まではすぐ出れるので、常に待ち構えてましたね。『セロ弾きのゴーシュ』【※1】の上映会に高畑勲【※2】が来る! 『ザブングル』【※3】の初日に富野由悠季が来る! みたいな感じ。でも声をかけるわけじゃないんで。
※1『セロ弾きのゴーシュ』
1982年公開。高畑勲監督が五年かけて自主制作したアニメ作品。
※2 高畑勲
映画監督。代表作に『火垂るの墓』、『かぐや姫の物語』など。
※3『戦闘メカ ザブングル』
1982年に放映された富野由悠季監督によるロボットアニメ。『ガンダム』がブームになった後に富野監督がロボットアニメに復帰した最初の作品。明るい作風が特徴で『未来少年コナン』から影響を受けている。
小倉:
勇気を出して行ったもの勝ちではあったんですよね。
福井:
僕はたぶんそういう活動からは一番遠いところにいましたね。
イシイ:
でも福井さんは『イデオン』の話をよくされるじゃないですか。『イデオン』をリアルタイムで観られていたんですよね? 『イデオン』をリアルタイムで観るのは結構ディープなところにいないと観なかったと思うんですよ。
福井:
あれは運命の出会いで、テレビをつけたら第1話だった。
小倉:
アニメファンなら『ガンダム』のあとに待ち構える感じだけど。
福井:
第1話も途中からだったんですけどね。イデオンの合体がはじまっていて。そんなにコアなアニメファンじゃなかったんだけど「なんだこのアフロのやつ。え、こいつが主人公なの?」ってところからハマって。
一同:
(笑)。
福井:
だからそのときは『ガンダム』すら知らなくて『イデオン』が先なんです。だいたい『ガンダム』が本格的にブームになったのって本放送じゃなくて再放送からで『イデオン』の途中ぐらいからですかね。
小倉:
そのタイムラグは若い世代はわからないと思うんですよ。
福井:
再放送でボチボチ来たって感じですよね。さらにしばらくして『ガンダム』は『イデオン』と同じ人が作っていると知り、『ガンダム』の小説もその人が書いていると知って。
イシイ:
僕は『ガンダム』は追っかけていて、『ガンダム』のあとに『トライダーG7』【※1】が始まるわけですよ。「富野由悠季はどこに行ったんだ?」と(笑)。
でも『イデオン』はよりコア向けでしたよね。「三本足のロボットは『宇宙戦争』【※2】からだな」とかわかって観ていたんですけど、『ガンダム』よりマニアックなそっちに行く? と驚いて。
※『無敵ロボ トライダーG7』
1980年から1981年放送。大人には受けたが子供の支持を得られなかった『機動戦士ガンダム』とは対照的に、親しみのあるロボットアニメを目指して制作された。会社組織でありながらご近所との付き合いや予算を考えなければならないという設定は逆に斬新であった。
※『宇宙戦争』
1898年にH・G・ウェルズが著した小説。ラジオドラマ化した際には、あまりに真に迫った内容と語り口に、視聴者が本当に火星人が攻めてきたと勘違いして軽くパニックを起こしたという逸話が残っている。
小倉:
いま『ガンダム』を観ると、“ガンダム対怪獣”というわかりやすい構図にするためにモビルアーマーという怪獣的なものを出したりとか、ロボットアニメを成立させるのはすごく大変なんだっていうのがわかりますよね。おもちゃ会社への配慮とか。
福井:
『イデオン』も当初は幼稚園のバスが合体するって企画だったわけですからね。でも富野さんがイデオンのデザインを観た瞬間「いや、これは第六文明人の遺跡だ」って根本的なところでひっくり返しちゃう。そこのアンビバレンツなところが、あの人の作品の面白いところで。