※【『EVE Online』プレイヤー取材記】は、宇宙MMO『EVE Online』の歴戦プレイヤーである藤田祥平氏が、同作をプレイするさまざまなプレイヤーたちに取材する連載企画です。
半年にわたって書き継いできた連載も、今回で最終回である。これまで6名のプレイヤーにインタビューを行った。読者のみなさまには、『EVE Online』の宇宙における、さまざまな物語を楽しんでいただけたと思う。
お話を伺ったみなさんの手柄だ。あらためて諸氏に御礼を申し上げる。Ved Runさん、Kentlarquisさん、Ristさん、Dexsarさん、Night CapさんとSweet Capさん、楽しいお話をありがとうございました。
さまざまなプレイヤーに話を聞いていくうちに感じたが、図らずも、このインタビュー企画は『EVE Online』における日本人コミュニティの歴史を追う、といった性質を帯びてきた。すべてのプレイヤーのすべての過去を語るものにはもちろんならないが、少なくとも下図にまとめられたような主要な流れを、おおむね解説するものにもなっている。
実際のところ、わたしがインタビューを依頼した人々は、わたしにとって「同業他社の精鋭」のような位置にいる。おなじ日系とはいえ、運命やプレイスタイルによって『EVE Online』の物語はさまざまに分岐するし、それこそがこのゲームの妙味でもある。
そこで筆者も、かつてこの図のひとつの流れをたどった人物として証言し、それをもって連載の結尾とするのも悪くないと考えた。自分をインタビュイーに見立てて、つれづれと語ってもらうわけだ。
これで、完全とはいかないにせよ、われわれ日本人コミュニティが、世界中のクライアントが単一のシェードに接続するSF-MMOという環境のなかで、二十年の長きにわたってどんなふうに活動し、ゲームを楽しんできたかが、素描されることになるだろう。
この連載を『EVE Online』日系コミュニティの歴史の総括とするにはあまりに不十分だが(誰か書き継いでもらえないものか)、少なくとも、この作品には「プレイヤーの数だけ物語がある」という恐るべき事実をとらえることには成功したと思う。
もしもあなたがほんの少しでも本作に興味を持ったなら、この作品をプレイしてみてほしい。そうすることで、この作品の「日本史」は、より豊かなものになっていくだろうから。
※この記事は、『EVE Online』をもっと多くの方に遊んでほしいCCP Gamesさんと、電ファミニコゲーマー編集部のタイアップ連載企画です。執筆は同作の歴戦プレイヤーである藤田祥平氏が担当しています。
「ゲームに打ち込んだ日々」が役立つことを求めて
わたしの記憶が正しければ、わたしを『EVE Online』に熱中させたのは、「Retribution」アップデートである。
このアップデートは、ゲームに登場するほとんどすべての船に、戦闘時の特定のロールを割り当てるものだった。電子戦が得意な船、味方のシールドを回復する船、速度に特化した船、などなどだ。結果、それまで戦闘に使われていなかった船が現場に出てくるようになり、メタが好ましく多様化した。
こうした艦船の専門性は、「Retribution」までは、長時間のスキル・トレーニングを必要とする上位の艦船にのみ割り当てられていた。しかしこのアップデートで、駆け出しのパイロットたちも高い戦略性を持ったドクトリン──戦略思想──を構築することができるようになったわけだ。
このアップデートがあった2012年当時、わたしはONI Industryという企業に入社した。この会社を選んだ理由は、ウェブサイトのデザインが優れていたこと。そして、「軍産複合」という社としての目標が掲げられていたことだった。
当時のわたしの年齢は二十歳か、二十一。十代のころに入れあげたとあるFPSで人生をめちゃくちゃにしたものの、どうにか大学に進学して、一息ついたころである。
それまでわたしはFPSで強くなることに夢中だったが、夢が終わってみれば、何の役にも立たない技術が残っただけだった。その時点で七年もののFPSの、2012年である。
「プロゲーマー」なんて言葉は自分の世界に存在していなかったし、ゲームをうまくプレイすることで人々に感動をもたらすことができるなんて、想像もできないような時代だった。
だからといって、諦めきれるわけではない。自分は人生をコンピュータ・ゲームに捧げてしまったのだ。その技能を用いて、誰かを助けたり、一緒に楽しんだりできるコミュニティを、求めていたのである。
「軍産複合」。いい響きだと思った。自分の技能が誰かに求められることを、わたしは欲していたのだ。
名ばかりの「戦闘部」の立ち上げメンバーが焚き付けられ
しかしながら、会社もわたしも、まったく実を伴っていなかった。いまでもわたしはMolden Heathの赤い空を見るたびに思い出すのだが、あの当時、ONI Industryが新造した「戦闘部」のメンバーは、わたしと部長のKushanarだけだった。
じつに知的かつ冗談のおもしろい人間で、たぶんわたしより五つくらいは年上だった。かれ自身もPvPを楽しみはしたが、どちらかというと、そこに集まった人を動かして、何らかの目的に向かわせるのを得意とするタイプだった。「軍産複合」のスローガンを考え出したのも、彼だったという話を聞いた気がする。
実際、私はかれにうまくのせられて、人の道を踏み外したのだと思う。大層な目標を掲げてはいても、社員のほとんどにPvPの経験はなかったし、みんなが楽しそうに集まってプレイしている社の生産拠点は、戦闘部の営業所から遠く離れた商都のそばだった。
忘れもしない、Molden HeathのHeild太陽系第二惑星ステーション。あまりにも田舎すぎて誰も通りがからないロー・セキュリティ宙域を拠点に選んだのは、現在では信じられないことだが、3/10のDEDが15分おきのサイクルで発生する固定ビーコンが存在していたためだ。
とはいえ、そのDEDを攻略したところで、わたしと部長のKushanarの二人が食っていくので精一杯の上がりしかなかったし、そもそも戦闘の機会もほとんどなかった。
それで自然と、わたしたちはステーションのなかで語り合うことが多くなった。いまでも覚えているが、彼は言ったものだ。きみがここで戦闘のために船に乗り、戦い続ければ、きっといつか可能性が開ける。より大きな戦いに参加し、ほかのプレイヤーから逃げるのではなく、正面切って戦うことで、無形の報奨を得られるようになるだろう。
世間知らずの若者でなければ、きっと信じなかったに違いない。この太陽系はほんとうに田舎で、一時間にひとり新しい顔が現れればいいほうだったのだ。
それでもわたしはMolden Heathの環状の星座を、このゲームでいちばん安価で、したがって非力なフリゲートに乗り、獲物をもとめて──というよりその獲物に返り討ちにされるために、来る日も来る日もぐるぐると回り続けた。
敗北記録によって真っ赤に染まっていくキルボード
現在ではありえないことだが、十年前の『EVE Online』の日本企業は、社員にPvPを禁じているところが多かった。理由はたったひとつ──目立たないようにするためだ。
このゲームには、気が遠くなるほど昔から運営されているサード・パーティーの撃墜記録のアーカイブが存在する。キルボードという名前で、その利用法はいろいろあるが、つまり、これが赤く染まっていると、ほかのプレイヤーや会社からカモだと思われる。戦争会社にハラスメントされ、生産がやりにくくなるというわけだ。
当時はPvPにかんする知識が日本語で共有されていなかったから、まったくの新人がPvPを始めたいなら、なまの英語のWikiを読むなどして知識をつけ、実践するしかなかった。試行錯誤、つまり失敗が必要なのだが、生産ばかりやっている日本企業は、失敗を社員に許さない。
まあ、わからなくもない話である。それは自分たちのプレイスタイルじゃないから、どこかほかでやってくれ、というわけだ──そういう風潮が、当時の日系コミュニティにはあったと思う。
だからONI Industryのキルボードも、設立からしばらくのあいだは、撃墜数も被撃墜数も少ない、穏健なものだった。しかし、あるときから、それは真っ赤に染まってしまった。わたしのせいだ。
わたしがMolden Heathの赤い空を飛び回るあいだに、キルボードまで真っ赤にしてしまったせいだ。そのせいでいくつもの企業間戦争──交戦がシステムによって禁止されている太陽系でも私たちを撃てるようになるシステム──を布告されたし、生産部の社員たちにはずいぶんな迷惑だったろうと思う。
敗北を重ねても応援する仲間たち。そして企業同盟へ
嬉しかったのは、そのときわたしがほかの社員から受けたのが、叱責ではなく応援だったことだ。あるとき、わたしは資金面で完全にどん底にたどり着いた。財布はからっぽ、スペアの船もなし、銀河系のどこをひっくり返しても出てこない。いちばん弱い船で負け倒しているから、当たり前なのだ。
進退窮まって、Kushanarや、ほかの幹部社員に相談した。すると翌日には、商都から一時間はかかる田舎の営業所の会社共有ハンガーに、二十隻の船が配備されていた。まるで、何も気にするな、これでもっと負けてこい、と言わんばかりだった。
それで、わたしはますますPvPに熱を上げた。辞書を片手に、海外の情報の深いところを掘り返し、なんとかして一人前になろうと飛び続けた。
そうしてわたしが会社のキルボードを赤くしているうちに、戦闘部に人が集まってきた。ウェブサイトを見たり、キルボードの撃墜記録を見たりしたのだろう。とはいえ、みんな合わせて五人もいなかった。
失うものなど、なにもない。わたしたちはパーティーを組み、艦隊のまねごとをして、見かけた船にかたっぱしから攻撃を仕掛けていった。勝ったり、負けたりした。それらの記録はすべて、キルボードに残されている。
そうして、数ヶ月はHeildで暮らした。あるときKushanarがログインしてきて、うれしそうに言った。
Kushanar:
もしかしたら、君にチャンスをあげられるかもしれない。いま、会社の上層部が、ヌルセクのアライアンスに加盟できないか、方々へ交渉している。レンターじゃない。領土を持った、れっきとした企業同盟だ。僕たちのキルボードを見て、活きのいい奴がいることも、わかってくれたみたいだ。
わたしは嬉しかった。自分がやっていることに意味があるように思った。
誰も覚えているものはいないだろうが、私たちが加入することになったImperial Legi0nという名前のアライアンスは当時、Etherium Reachという場所に住んでいた。引っ越しの時が近づいていた──戦闘部のメンバーは互いの活躍を願って、Heild太陽系第二番惑星ステーションのバーカウンターで、グラスを掲げた。
Cl-IRS、QBZO-R、HV-EAP。ほかの人にとってはたんなるアルファベットの羅列にしか見えないだろうが、わたしにとっては、青春の日々を過ごした第二の故郷の太陽系の名である。
ヌルセクの領土はほんとうに肥沃で、それまで行っていたミッションなどとは比べものにならないほど、時間あたりの稼ぎは高かった。私たちは、それまで指をくわえて見ているしかなかったあこがれの船に乗り、それまで絶対に敵わなかったような敵を相手に、なんとか戦えるようになってきた。
蜜月は終わるが「成長」と「連携」の喜びを覚える
そしてわずか数ヶ月で、その蜜月は終わった。
あえて直截な物言いをすれば、私たちは領土戦の真っ最中に徴兵された、外付けの火力でしかなかったのだ。わたし自身もその文脈や趨勢を知らない、海外コミュニティの巨大な戦争に翻弄されて、わけもわからぬうちにヌルセクから撤退するはめになった。
おそらくこのあたりから、もっと自分たちで何かをしたい、力をつけ、ひとつの領土を自分たちのものとしたい、という意識が社内に生まれてきたのだと思う。
わたし自身はまったく関与していないが、会社の上層部で会議があって、新しいヌルセク・アライアンスに加盟することが決定した。社の嫁ぎ先は、Nexus Fleetといった。これも、誰も覚えている者はいないだろう。
どうしてあんなに貪欲だったのか、わからない。新しいアライアンスに加盟して、引っ越しを済ませた、その日のうちのことだ。
数名からなる敵性の艦隊が、新しい住処のそばをうろついている、という情報があった(それはアライアンス・メンバーが共有する、数百名からなるチャット・ルーム──「インテル」からもたらされた)。
わたしは配布されたばかりのジャンプ・ブリッジ接続網をまとめた資料を確認し、敵方にとっては不明で、われわれにだけ利用できる地形的有利がそこにあることを確信した。
わたしはみんなに船に乗るよう声をかけて、アライアンスの誰かがいつの日にか建設したジャンプ・ブリッジに全員でワープし、そこで獲物が針にかかるのを待った。
先行させておいた船に、敵方はがっちりと食いついた。われわれはブリッジして突撃した。これがよかったのだ──この宇宙でユニコーンよりもめずらしい日本人たちは、自分たちで獲物を狩りにいけるだけの力があるようだと、北アメリカ系の同盟企業の仲間たちに認めてもらえた。
このあたりのことはかつて別誌で語ったから、そちらを読んでもらいたい。ただ、わたしが書き漏らしていたのは、当時の社員たちが共有していた、成長と連帯の喜びだろう。
戦闘部を立てて一年足らずで海外アライアンスに所属し、金を払って誰かに守ってもらうのではなく、自分たちの力で故郷を守るようになった。その喜びは、何事にも代えがたいものだった。自分が生産した船が前線に並んでいるのを見た生産部の職人たちはほんとうに嬉しそうだったし、戦闘部員たちは生産部を信用して、いくらでも船を乗り潰すことができた。
企業の成長とともに立たされたキャリアの岐路
C3-0YD太陽系に住んでいた一年間のあいだ、私たちは会社としてどんどん成長していった。しかしこのあたりで、私自身は、自分がキャリアの岐路に立っていることを実感してもいた。
このゲームの戦闘は、それに関わっているプレイヤーの数が多くなるほど、艦隊司令官に求められる情報処理能力が、マクロなものになる。戦闘が小規模だったころは、一隻一隻の船の能力や装備、その知識などが、ある戦闘の趨勢を決める、大きな要素だった。
しかしアライアンスに所属し、艦隊に参加する人間の数が五十人にものぼるころには、敵艦隊のそもそもの数、戦闘が発生する時間、地形的な優位性、星座の勢力図、これらの情報を得るための外交や諜報などが問題になってくる。
これこそが、大規模戦と小規模戦のちがいである。『EVE Online』において、このふたつのジャンルは、両立し得ないのだ。
当時のわたしの戦闘記録を振り返ると、大規模戦闘の履歴に混じって、それこそHeildのような小規模戦闘が散発する地域に、里帰りしている様子がある。心のどこかで、そうした戦いに恋い焦がれていたのだろう。自分自身と、相手の技術がほんとうに問題となる、目の覚めるような小さな戦いに……。
しかしながら、ロシア人たちとの戦争はますます激化していった。最後の戦いの日が近づくにつれ、一日だってホームを空けていられなくなった。すでにわたしはKushanarから戦闘部部長の役職を引き継ぎ、二十数名の部下たち、所属しているアライアンスの数百名の仲間たちとともに、巨大な艦隊を指揮する立場になっていた。
そして海のむこうから一千人のロシア人たちがやってきて、すべてを灰燼に帰した。
2014年の11月、わたしは日系のPvP企業七社からなる企業連合、Vox Populi.を設立し、日本語を使用言語とする最大規模のフリートとともに、Placid宙域で戦争をはじめた。そのあたりのことは、拙著に詳しく書いたから、そちらを読んでもらいたい。記憶が正しければ、その本のなかで、Kushanarのことはクシャナという人物として書いたはずだ。
■2014年当時の月リソース諜報図
この図において「LESTA」の識別子を割り振られているカルテル「Lestat’s Clan」のことについて、時効ともいえるあぶないネタがある。当時、このあたりでアライアンスとして活動をはじめたわれわれは、月資源採掘施設をめくらめっぽうに撃ちまくっていたのだが、そのときこの会社からメールが来た。
いまでもゲーム内に保存されているそのメールの内容はこうだ──Lestat’s Clanが所持している月資源はすべて、このあたりで活動している企業連合間の八百長によって維持されている。これらの月資源の上がりは、八百長に参加している各アライアンスに戦争軍資金として分割・送金されている。きみたちはこの星座のゲームに参加したいようだし、それだけの力もあるみたいだから、月あたり二十億ISKをきみ宛てに送金するという条件で、NAP(相互不可侵条約)を結ばないか。──わたしはこの書面を読んで爆笑し、契約書にサインした。実際のところ、わたしたちも資金繰りがうまく行っていなかったのだ。ちなみに、復帰してびっくりしたのは、インゲーム・メールボックスを回覧するとクリスマスごとにLestat’s Clanの社長から挨拶のメールが送られてきていたこと、そしてたまたま通りがかった太陽系で、同社のメンバーがわたしの名前を認めて挨拶をしてくれたこと。
引退へ
わたしがこの作品を引退したのは2015年のことである。現実世界で一般企業に就職し、フルタイムで働きながら、数百名の人間を率いて宇宙でどんぱちをやらかすのは、どう考えても無理があった。
たぶん、わたしは気が狂っていたのだと思う。ある日、わたしの家のポストに銀河一武闘会のチラシが放り込まれた。わたしは腕に覚えのあるプレイヤーを集めて、この大会に出場することを告げた。それは事実上の大規模戦闘の停止、数百名からなる人々の、日々のコンテンツの停止を意味していた。
どうしたって、人間はふたつの人生を同時に生きることはできないようだ。監督がマウンドに立ったところで勝利投手にはなれないのと同様に、わたしたちはトーナメントを登り切れなかった。結果はベスト16だか、そんなところだと思う。
もしも大規模戦闘の艦隊司令官ではなく、小規模戦闘のエキスパートになることを選んでいたら、わたしの運命は異なるものになっていただろう。どちらを選ぶこともできた。
それでもわたしが艦隊司令官の道を選んだのは、あの会社──ONI Industry、そしてVox Populi.の人々の喜ぶ様子が、大切だっだからだ。
軍産複合の目標は、完全に達成されていた。そのうえ、自分たちの力で、この巨大な銀河系の勢力図に対して、主体的な軍事行動を起こすことができるまでになっていた。その自覚と誇り、巨大な戦闘に勝利したときの喜びの声を、わたしは失いたくなかった。
そして銀河一武闘会に敗退したその日に、私はゲームをアンインストールした。みんなにむけて、別れ話を切り出すことさえ辛すぎた。言い訳というか、自分に言い聞かせたのは、つぎのようなことだった──私はもう、みんなの夢を叶えた。こんどは、私が自分の夢を叶えるばんだ。そう、私は作家にならねばならなかった。私はゲームとおなじくらい、読んだり書いたりすることが好きなのである。
第二の人生
だから私がいまこうして作家になり、ほかでもない『EVE Online』のことを書いてほしいと、海の向こうのアイスランドのデベロッパー、CCP社から依頼され、五年ぶりにゲームに戻ってきたのは、運命が私に微笑みかけたからだとしか思えない。
いま、私は艦隊司令官というプレイスタイルをきっぱり捨てて、かつて夢見た小規模戦闘を、心ゆくまで戦っている。
このあいだも、駆け出しのころの艦隊ひとつをまるまる賄えるほどの金を一隻の船に注ぎ込んで、それを完全に自分のミスで堕としたばかりだ(いまどきのチャイニーズたちの元気の良さには、敵わない)。
復帰してから就職したのは、こじんまりとした海賊企業だ。古くから活躍していた、信頼できるプレイヤーが数名いる。新顔たちも、心強い者ばかりである。わたしたちは自分を最高のエース・パイロットだと思い込み、数えれば十名もいないような頭数で、此彼戦力差1:10の戦闘を宇宙のあちこちにけしかけて遊んでいる。
社として掲げている唯一の目標は、銀河一武闘会での優勝のみ。気楽で、挑戦的で、楽しい日々だ。まさかこんな楽しみを人生が──いや、『EVE Online』が与えてくれるとは、思いもしなかった。
これが私の第二の人生になるだろう。
Heildにいたころ、Kushanarとふたりで憧れるばかりだった、高級なモジュールを満載した戦闘艦。そんなものは戦争になれば何の役にも立たないと、小規模戦闘をきっぱり諦めて会社を大きくし、彼をむりやりタイタンに押し込んだあの日。
すべては昔日のことだが、今日のわたしは、かつてわれわれがふたりで憧れた最高の船に乗って、星雲のあいだに産まれては消えるワームホールの向こうから、あなたの船を撃墜しにやってくる。
勝ったにせよ、負けたにせよ、私は去るだろう──戦いがあった太陽系のローカル・チャットに、グッド・ファイト(いい戦いだった)と書き残して。
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■連載企画 『EVE Online』 転生(完結)
第一回:「9割のプレイヤーが離脱する過酷な宇宙MMO」で企業連合の元会長が初心者に転生しようとしたら速攻身バレして艦隊司令官になった件
第二回:数が圧倒的正義の宇宙戦争が繰り広げられるMMOで「七機のサムライ同士が御前試合のように死狂う銀河一武道会」に参戦した件
第三回:PR企画の展開にどんづまって酒に酔っ払い前世の貯金を使って宇宙艦隊戦を始めてみたら帝国軍と国連軍に挟撃されて全滅してしまった件
■連載企画 『EVE Online』 プレイヤー取材記(完結)
第一回:現実世界の過労でうつ病をわずらった「元社長」が、宇宙MMOの世界でふたたび企業の経営者を二度も務めた話。58歳のプレイヤーになぜゲームをプレイし続けるのかを聞いてみた
第二回:なぜその男は「小規模PvP」で“強さ”を求め続けるのか? 小勢で強くなっても無価値な宇宙MMOで戦い続ける孤狼のプレイヤーに、ひりつくほどの現場に身を起き続ける理由を聞いた
第三回:宇宙MMOで憧れの巨大戦艦「タイタン級」を動かすまで、彼は“6年”の月日を費やした。歴史の大戦争で夢見た若手プレイヤーに日本円で数十万円の戦艦に搭乗するまでを聞いてみた
第四回:1500名のプレイヤーアカウントを束ねてきた日経企業連合の会長は、日経勢力による銀河宙域の支配を夢見る。宇宙MMO『EVE Online』プレイヤーに聞く歴史と外交
第五回:白血病から回復し家に帰ってきた母親を、宇宙MMOに没頭していた息子が「手伝って」と誘った。PvPで暴れまわる息子とそれを資金面で支える母の『EVE Online』物語
第六回:宇宙MMOで生きた6人の男女、その半生を取材した「記者」の話。数年前に引退した『EVE Online』プレイヤーはいかに第二の人生へ舞い戻ったのか